前回その5 の続きです。
やっぱり仕事が始まるとなかなか書けないな~と思っていたら、早速宇野維正さんに煽って応援していただきました。
更新が「止まって」いるわけではなく、ただ書く時間がないだけなので(同じだけど)来日までには必ずや2023年の「いま」にたどり着けるようがんばりまっす! とか言いながら、今書き終わったら、「モリッシーが何をしていたか」というより日本での2019年振り返りみたくなりました。
2019年
5月
●『イングランド・イズ・マイン モリッシー,はじまりの物語』
前回までに紹介した2019年5月頃、モリッシーはあんなに受難の時を過ごしていた時、自分は何をしていたのだろう?と思ったら、字幕監修したモリッシーの青春時代を描いた映画『イングランド・イズ・マイン モリッシー,はじまりの物語』が日本でも5月31日に公開されたタイミングであり、マーク・ギル監督にインタビューしていました。
監督自身もマンチェスターの出身なので、「マンチェスターAtoZ」を持ってって、実家の郵便番号まで教えてもらいました(笑)。モリッシーと共通するマンチェスター観が聞けてとてもおもしろかったです↓
モリッシー伝記映画の監督が語る 「ボヘミアン・ラプソディじゃない青春」
この映画、モリッシーはまったく「公認」していないし、インタビューで聞かれると「撮るって聞いてもないし何の話?」みたいな、意地悪な姑みたいな反応をしています。ギル監督によると、さんざんコンタクトを試みたのにお返事もらえなかったとのことです。この映画は「モリッシー」を描きつつ、監督自身は
「スミスのレコードを聴いていようが聴いていまいが、若者、もしくは若者であった人であれば、『ああ、この感じわかる!』と共感できるものが多分に含まれていると思う。居場所がなく、何かになろうともがき苦悩する青春の救いは何か、出口はどこか、ただの若者がどうやって世界の『モリッシー』になるのかという成長物語」(マーク・ギル)
と表現しています。ナニモノかになりたくて、ナニモノにもなれない焦燥感とか、そこにさしこむ光とか、暗~いマンチェスターを舞台に、普遍性をもって描かれている映画です。
「スミスの音楽映画を作りたかったわけじゃない。モリッシーに対して賛否両論があるように、この映画に関して好き嫌い意見があるのは当たり前。嫌われてもいい、これは僕が語れる物語だという気概を持って作品作りに臨んだ」
と言う監督に、私は意気込んで
「でも私は、真のファンってそうあるべきだと思うんですよ! 自分が愛しているものの実体に踏み込み、解釈し、その素晴らしさを紹介する。そして『きっとみんなにも通ずるものがあるんじゃないか』と、広く遍く提案することにこそ、意義を感じます」
と言っている。中年の主張!? ギル監督をファン仲間扱いしてるし「これはいらないんじゃないか」と思ったけど、当時の週プレ編集長が「これが上村彰子のモリッシーファン道のすべてのモチベーションを表している」と言ってたしそのままにしたんじゃないかな。でもそうなんですよ。だから、まだ、このブログを書いています!誰からも頼まれてないのに…とよく思うけど、冒頭の宇野さんのように煽って応援してくれる人がいると燃えます。
モリッシーの「ファン」であることは私はもう何があってもやめないんです。当時、モリッシーが「右翼ダー」「差別ダー」と言われまくりなことに、「あーあ」とは思ったけど、私がモリッシーに見出している凄さは世間の批判を凌駕しているので1ミリの不安もなかった。マーク・ギル監督も「政治的見解に大賛成!ってわけでないけど、モリッシーが自分に多大な影響を与えたことに変わりはない」と言っていました。ほんとそう、自分にとってその人が何なのか、が大事だと思います。
6月
●マイク・ジョイス トーク・セッション&DJイベント
で、そのすぐ後6月8日と9日には新宿で、
マイク・ジョイス トーク・セッション&DJイベント
があり、マイク・ジョイスのトークの司会をしました。
2日目にはお客様の熱いリクエストに応えて、「あれ!?なぜかステージにドラムがある…」ということで(華麗な仕込み)、なんとなんと、ドラムプレイまで見せてくれました!!
ナマThe Queen Is Dead凄かったです。この時、ドラムに触ったのは10年ぶりとのこと。
DJ中は、自分でかけた“Barbarism Begins At Home”“How Soon In Now?”“Hand In Glove”に合せて自分のドラムにかぶせてドラミングするという、多重構造のDJ新スタイルでした 斬新すぎるし、お客さん大盛り上がり。
『モリッシー自伝』でモリッシーのマイクへの罵詈雑言を骨身にしみるほど浴びていたので、正直この役目を受けていいのか…と迷いもありましたが、マイクにもモリッシーのことを聞きた過ぎて、受けました。
マイクによるモリッシーコメント抜粋
「モリッシーは普通の人と違った。それまで自分がつきあってきた、仲間のパーティーアニマルたちとは違う。真面目で物静か」
「4歳上というのは、今だったら何でもないが、18歳と22歳では全然違う。音楽のみならず文学や映画、イギリス文化を彼から学び、影響を受けた」
「ヴェジタリアンになったのもモリッシーの影響。1985年、“Meat Is Murder”をレコーディングしたその日に食事中、モリッシーから動物たちのひどい扱いについて話しを聞いた。当時猫を2匹飼っていて、『君の猫が、食用の牛や豚と同じ扱いを受けたらどうする?』と聞かれて嫌だと思い、ヴェジタリアンになった。モリッシーの言葉にはパワーがある。それ以来30年以上ヴェジタリアン。アンディー・ルークは違う」
「最近のモリッシーの言動については何も言うことはない。自分が知っているのは30年以上も前のモリッシー。今の彼とは話しておらず、知らないのに皆自分に聞いてくる。彼とは今関係ない」
「モリッシーは、自分が知っている限りは『おもしろい人』。ひと言でいうと『ドライ』(湿り気がない)、そのユーモアセンスはダークで、すぐさまウィットに富んだことが言える。レスポンスの反応がとても速い。コメディアンとして成功している、モリッシーファンのラッセル・ブランドでさえ、モリッシーと初めて話すのは緊張したという。『あなたのショーを見たことがある』と言ったらすぐさまモリッシーに『アシカでさえショーはやるから』と返されたという。まったく容赦ない」
「モリッシーはただ物静かな文学青年ではない。スミスメンバーでサッカーをした時、モリッシーのサッカープレイはとてもアグレッシブで驚いた」
…というモリッシー情報を教えてくれました。確執の話はナシ(そりゃそう・・・)。
私の印象では、マイクは本当に「率直な元あんちゃん」の感じでした。いろいろ計算して動こうという感じではなく…。今さらどんなにモリッシーをかばっても二度とモリッシーに許してなんてもらえないのにモリッシーのことを悪く言わないので、本当にそう思っているのだと思います。
2018年、“News Thing”という番組に出演したマイク・ジョイスは、「今までにモリッシーが誰かに人種差別的なものを向けているのは見たことがない」と言っています。ただ、彼とはしばらく話をしていないので(そりゃそう…)誰しも年を取れば考え方が変わっていく、「実際のところ、モリッシーは30〜40年前のイギリスが懐かしいんだと思う」と言っています。マイクはモリッシーの父も母も移民だと言い、彼を人種差別主義と呼ぶことをためらっています。人種差別という批判については「彼に尋ねる必要がある」と答えていました(彼に尋ねられる機会があるかどうかは別だけど)。
Mike Joyce on The Smiths, Morrissey allegations - News Thing
最後の方でマイクは、「あなたはドラマーで、ベーシストではない。それでは答えてください、モリッシーは人種差別主義者?」クイズを出されて、とても困惑しています。クイズが本当にひどい!司会者のサム・ディレイニーが引用する言葉が、モリッシーによる発言か「別の有名なレイシスト」(ヒトラーとか)によるものかという質問に答えるんです。さすがのマイクもちょっと嫌な顔をしていました。こんなことして何になるんだ??世界の差別が、これでなくなるんか??
11月
●『モリッシー自伝』急展開
こんなマイクを見たばかりなのに、2019年、事態は思わぬ方向に!
さんざんぱら暗礁にのりあげていた『モリッシー自伝』が出版できるかも!?の方向に動くのです。実は3月に「OKかも」の連絡がきていましたが、てんで信用していなかったら、11月に契約締結に!!6月に会ったばかりの優しくてノリノリ☆マイクへの地獄のような呪詛呪詛呪詛…をまた浴びることになります。ページにして、298ページから339ページなので、41ページ(下記「スミス裁判」比率参照)、ほぼ、マイク・ジョイスと裁判官、弁護士への恨み節のこのパートを訳するのは特につらかったです。
これは本当に1分でわかる!『モリッシー自伝』発売から日本出版、7年の軌跡
●2013年10月17日
『モリッシー自伝』の原書“Autobiography” が発売(最初の噂が出てから5年、また版元のペンギンブックスと直前までもめながら、ようやく出た経緯はこちらに書いてます)。
●2013年12月
発売を前後して、イースト・プレス社は日本での版権獲得オファーを開始。2013年12月に正式に日本版出版が決定。その他13か国でも発刊予定とモリッシーが公式に告知。
●2013年4月11日
モリッシーが当時公式情報を出していたファンサイト“True To You”にて突如、各国での自伝翻訳出版拒否を発表。14か国の翻訳版は発売禁止に。7割方終わっていた日本語翻訳版はお蔵入りに。それでもエージェントとの交渉は続けて行く。
●2014年10月
日本との契約を進めていたエージェントがクビに…。
●2015年11月
モリッシーが急に日本での発売をOKと言っていると新エージェントからの報。
●2016年11月 (←直前、9、10月にはモリッシー来日しています)
モリッシーに契約書を送っているもののサインをしてくれないとエージェントからの報。
そして2年4か月の月日が流れ……(←業を煮やして2018年7月には『お騒がせモリッシーの人生講座』出版)
●2019年3月
モリッシーのマネージメントから日本での発売OKが急に出る。
●2019年11月
…契約締結。
●2020年1月~
日本版発売に向けて翻訳作業リスタート。
●2020年7月17日、イースト・プレス社より、『モリッシー自伝』日本語版刊行
何はともあれ、出せてよかった!私の人生は1度、2020年7月17日で終わったような気もします。2020年7月以降は、アフター・デス…ってことでちょうど今はAD3年。AD3年の今年、またモリッシーが来るので頑張らなきゃいけないですね。
8月18日、モリッシーチケット抽選お疲れ暑気払い会。でも11月まで塩漬け発券不可能邪気払い会↓
ちょっと旅に出るのでまたなかなか書けないかもだけど、つづく。
→つづきはこちら その7