シアワセ、時々、フシアワセ

人生の折り返しをとうに過ぎた
ワタシの喜怒哀楽

おとん

2022-06-26 | フシアワセ

昭和20年生まれの父の訃報が届き、旅立ちを見送ってきました

ワタシが経験した事がないような質素な旅立ち

 

自由の身になれて良かったね・・・

 

本人が望んでいた旅立ちは

通夜も葬儀も戒名も坊さんもいらない

帰りたかった市営アパートの小さな部屋で、血の繋がらない家族に囲まれ1日過ごし

ワタシに第二の人生だ!と豪語した

関わりのあった場所を巡ってもらって、骨になって自分の家に戻る

そこが父の居場所であり、今の家族との暮らしの場

その場に実子であるワタシと弟が一緒にいた事をどう見たんだろう

あなたの娘と息子です

 

大工だった父はいつも角刈りかパンチパーマ

少し延びた髪の父を初めて見たような気がしましたが

思っていた以上に穏やかできれいな死顔をしていました

本当は父には文句の1つでも言ってやりたかったですけどね・・・

お疲れ様でした。よく頑張りました。又会おう。と頭を撫でてあげました

今はあの世の入口で

生前の行いを閻魔様にこっぴどく説教されている最中だと思います

 

昔の漫才師、TVで見てた横山やすし氏のような性分だった父←ワタシが勝手にそう思ってきた

無責任で、自分勝手で、短気で、子供みたいな人←うちの父の事

建築士や指導者の免許を持つ大工職人としては尊敬しますが

短気ゆえ、弟子達を叱り飛ばしていた父の姿を見ていた子供の頃を思い出します

夫、父親、としては最低な人で、もう、言い出したらキリがない程

最後には

生家の一部が立ち退きになり、婿養子の父がその大金を使い込み

逆ギレして家を出て、新たに住まいを構え別居状態になりました

ワタシは母を連れ父の所に何度も説得に行きましたが

襖の向こうにはもう今妻がいて一緒に暮していたようです

再婚して15年たつそうなんで当時父が62歳頃の話です

 

亡母の艱難辛苦は父に出会った事からだと

生家の家族問題を作った張本人は悪びれることもなく

母と離婚後も頻繁に連絡したり母を振り回していましたから

何だかんだ言いながらも

ずっと待ち続けていた母の気持ちを思うと切ないものです

跡継ぎの長男だからと兄だけ生家で育てられた(5歳から約10年~)のも父が原因で

幼少期に育てて貰えなかった恨みがある!と、孫も居るような歳の兄が口走る

父と母が揃って兄との親子関係を修復をするべきだったのに・・・父は匙を投げた

母だけが兄夫婦に責められ続け、母を死に追いやった事

兄の知らない所で兄嫁が母にしていた事は、人として、一生許せません

たらればを言っても空しいだけですが

両親と3兄弟、当り前に過ごせていたら、又違った未来があったのだろうか

思っても考えても無駄な事だと思いつつも、いつまでも胸を痛めてしまいます

きっと良い時もあったはずの家族は崩壊

寡黙な血筋の家族に欠けていたのは、察する事ではなく

言葉だったのかもしれません

父がそう言っていた、らしい、今の家族が決めた事

通夜も葬儀もない直葬だと、聞いた時には涙が止まりませんでした

痴呆症になり施設にいる時も、精神科に入院している時も

コロナがあって生前の父には会えないまま、留守電に残る父の声が切ない

食欲がなくなり胃瘻にし、内臓に腫瘍が見つかり薬物治療を始めた

と聞いた、その翌日の訃報でした

どんな親であれ

人生の終盤を迎えた親に自分は何もしなくてもいいのか?と

ずっと良心の呵責を感じていたワタシでしたが

結局、何も、親孝行らしい事をしてあげられなかったです

当日は

花も無いんじゃないか?と、お供花と棺桶に入れる花を準備して行きました

実際には簡素でありつつも、考えていたよりはまだマシのように思えました

父の妻は今の人であり、母は前妻

ワタシの父はこの父で、母はこの母で、私らが生まれたのは事実

あの世で

恨み辛みなく一緒にいて欲しいと願うのは子供の正直な心の声です

 

父は母とあの世で逢えただろうか・・・と心配し

父はちゃんとお墓に入れてもらえるのだろうか・・・と心配し

親の心子知らずじゃなく

「子の心、親知らず」な親を持った娘の心はとても複雑です

 

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