かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

第二次世界大戦中の日本軍のことについては

2018-09-15 15:27:02 | ブログ記事
戦後に生まれた私たちは、

その戦争に参加した人たちの証言に頼るしかありません。

ですから、日本軍が悪いことをしたと言われたら、申し訳ないと思いましたし、

そんなことはしていないと言われれば、

これは、自分が日本国民であるから、信じたいです。

私は、教科書で、日本軍はこんな悪いことをしたというふうに習いました。

実を言うと、それを大人になるまで信じていました。

が、大人になってから、それも最近、どちらかといえば右派の新聞を読むようになって、

日本人が悪いことをしたのは必ずしも本当ではなかったかもしれないと思い始めています。

歴史を学ぶといっても、その場にいなかった者には間接的な学びしかできません。

だからこそ、歴史教育は大事だと思います。

戦後生まれた日本人は、だいたい私と同じような教育を受けてきていますから、

その教育に洗脳されていたわけです。

一方、韓国、中国では、日本軍のしたこと、してないことまででっち上げて?

子供たちに歴史教育をしますから、みな反日になるわけです。

これも、正しいやり方ではないと私は思います。

最近では、対馬や尖閣列島が、それぞれ韓国、中国が自国領だと主張して、

日本ともめています。

これはどうなんでしょうね。

日本政府は、日本の島だという歴史的証拠を出して主張しているわけですが、

韓国も中国も納得しません。

が、たとえば、中国は、フィリッピンとも島の奪い合いをしていると聞けば、

あるいは、中国のごり押しではないかと、私たちは気づくわけです。

領土ではありませんが、

近年問題になっている慰安婦問題も、

韓国の慰安婦の方は、日本に拉致されたといわれているようですが、

そうではなくて、

自ら売春婦として志願した人たちであったということも聞きます。

そういう証拠も残っているようです。

ということは、私にすれば、慰安婦問題も韓国のでっちあげ?とも思うわけです。

それなら、あちこちに慰安婦像を建てて慰安婦問題を国際的に喧伝するのは
卑怯ではないかとも。

まあ、とにかく、以上のことは私の生まれる前の出来事でありますので、

その時代に生きていた人たちの証言に寄るしかないというのが実情です。

なので、何度も書きますが、私自身は日本国民ですので、

日本人の証言を信じたく思いますから、あまりブログ記事にはしたくありません。

書けば、必ず反論はあるでしょうから。

ブログで議論しても埒のあかない問題だと思うのです。

本気で書けば戦争ですからね。

日本は、こういう国々に囲まれているのだから、

自国を守るための軍隊が必要ではないかとは思います。

戦争をするための軍隊ではなく、戦争抑止力としての軍隊。

じゃないと、反日思想に固まっている国に攻め込まれたとき、

むざむざと領土を明け渡さなければならなくなると思うからです。

一言で領土を明け渡すと言いますが、

これは大変なことです。

現在のシリアの情勢を見れば、説明の要はないと思います。

現在の日本人が、どこまでこのことをわかっているか、わかっていないか。

それが問題だと私は思うのですね。

と、つらつら書きましたが、政治的な記事はこれで最後にします。

何度も書きますが、書いても埒のあかないことですから。


長月の長雨

2018-09-15 08:48:50 | ブログ記事
よく雨が降る。

あの酷暑のさなかに少しは降ってほしかったと思う。

が、これが自然の摂理なのだろう。

春は一雨ごとに温かくなるといわれるが、

長月の雨は、一雨ごとに寒さに向かう雨だ。

梅雨のように、しとしとと降る。

そして降らなくなれば、一気に秋たけなわだ。

実りの秋が過ぎれば、寒い冬がやってくる。

毎年のこととは言え、四季の繰り返しには心打たれる。

同じように見えても、同じ秋ではない。

私個人に限っても、

昨年の秋は、

まだ存命であった母に会いに毎月帰省していた。

会うたびに老いの深まる母を見て、胸ふさがれる思いであった。

が、それでも、生きていてくれることは有難いことであった。

帰省する張り合いがあった。

私の帰省を心待ちしてくれる人がいるのといないのとでは

同じ帰省をしても、雲泥の差がある。

兄嫁にとっては、私の帰省は、むしろうっとうしいくらいだろう。

私は小姑だから。

姑であった私の母は亡くなったけれど、その姑の気持ちを受け継ぐ娘の私であるから。

兄嫁は、まだその両親は存命だし、その姉妹も誰も亡くなっていない。

だから、私の寂しい気持ちなど微塵もわからないだろうと思う。

私には、この長月の長雨が自分の涙ではないかと思えるときもある。

そんな日々を送っている。

昨年5月に高知市の得月楼で一緒に会食をした

村形明子さんは昨年の9月に、母は今年の1月に亡くなった。

それを忘れようと、

元気を出そうと、あちこち旅をしてみるが、家にいるといつのまにやら
長月の長雨になる私。

*

★長月の長雨ながく思ひをり長々降りて湿る室内

★毎日のおさんどんしてやり過ごす長月長雨家に籠りて

★気鬱とは思へど抜け出すきつかけのなければ気鬱の中に籠れる

★長月の長雨すなはちわれなれば長々降りて晴れ間は少し