今日は義叔父のお葬式であった。
私の長男も、義叔父さんには世話になったからと会社を休んできてくれた。
近年の風潮として、お通夜よりお葬式のほうが列席者が少なくなるが、
今回の義叔父のお葬式もそうだった。
が、そうは言っても、世間一般のお葬式よりは、かなりの列席者がいた。
お葬式が終わってから、マイクロバス2台を連ねて火葬場に。
火葬の儀式を終えてから、いったん葬祭会館に戻り、昼食を摂った。
昨日と同様に、さまざまな人が私に声をかけてきてくださる。
親戚関係の人以外にも、義叔父さんの会社の事務をしてくれていた人とか、
義叔父さんの信仰していた宗教関係の人とか。
が、私は聞き取れない。
夫や長男に通訳してもらいながら会話するのだが、
これが神経を使うので、食事もままならない。
時間ばかりが経って、食べたかったデザートとか果物は食べられないまま残して、
後ろ髪を引かれる思いで、また火葬場に戻った。
(なにしろ食い意地が張っているもので)
お骨を拾う人は、従弟一家プラス義叔父さんの姪御さんたちである。
叔父さんの兄弟の子供は女性ばかりで、男性は私の従弟だけだった。
私の従弟には今時珍しく子供が四人もいるので、
それに連れ合いとか孫とかを入れると
それだけでも、かなりの人数になる。
そのうえ、姪御さんたちも子供連れで来ているから、
お骨を拾う人の人数だけでもかなりであった。
義叔父さんは、皆に尽くしたから、
従弟の長女は涙ながらに弔辞を読んだ。
従弟の長女以外の子も、みな涙をぬぐっていた。
その孫たちだけでなく、姪御さんたちも、みな泣いていた。
そのくらい人望があったということだ。
今時めずらしいことかもしれない。
義理の姪の私にも、ずいぶんよくしてくれた。
亡叔母が私をかわいがるのはわかるが、この義叔父さんもかわいがってくれた。
私だけでなく、私の子供たちまでかわいがってくれた。
だから、今日、私の長男は会社を休んでまでお葬式に参列したのだ。
先日も書いた言葉だが、
「人の一生はその棺の蓋を覆って定まる」と言われているが、
この義叔父さんの一生は、
今日のお葬式を見る限りでは、立派だったということになるのであろう。
*
★孫は泣き姪たちも泣き義理叔父の棺(ひつぎ)の蓋は今し覆はる
★覚悟せし死とはいへども人の死はその肉親をかく悲します
★食べられずなりてそののち二か月を点滴のみで生きし義理叔父
★十分に生きたと言へる齢にて死にても家族ならば泣くなり
★大正の最後の年に生まれたる人は平成最後の年に亡くなる
★昭和生き平成生きて大正の男は逝きぬ九十一で
★叔母逝きてのちを生きたり義理叔父は二十八年やもめのままに
★夏果てて涙のやうに降る雨の中を義理叔父火葬されたり
*
今日は朝9時に家を出て、帰宅したのが午後7時だったので、
まる一日がかりのお葬式参列だったことになる。
私の長男も、義叔父さんには世話になったからと会社を休んできてくれた。
近年の風潮として、お通夜よりお葬式のほうが列席者が少なくなるが、
今回の義叔父のお葬式もそうだった。
が、そうは言っても、世間一般のお葬式よりは、かなりの列席者がいた。
お葬式が終わってから、マイクロバス2台を連ねて火葬場に。
火葬の儀式を終えてから、いったん葬祭会館に戻り、昼食を摂った。
昨日と同様に、さまざまな人が私に声をかけてきてくださる。
親戚関係の人以外にも、義叔父さんの会社の事務をしてくれていた人とか、
義叔父さんの信仰していた宗教関係の人とか。
が、私は聞き取れない。
夫や長男に通訳してもらいながら会話するのだが、
これが神経を使うので、食事もままならない。
時間ばかりが経って、食べたかったデザートとか果物は食べられないまま残して、
後ろ髪を引かれる思いで、また火葬場に戻った。
(なにしろ食い意地が張っているもので)
お骨を拾う人は、従弟一家プラス義叔父さんの姪御さんたちである。
叔父さんの兄弟の子供は女性ばかりで、男性は私の従弟だけだった。
私の従弟には今時珍しく子供が四人もいるので、
それに連れ合いとか孫とかを入れると
それだけでも、かなりの人数になる。
そのうえ、姪御さんたちも子供連れで来ているから、
お骨を拾う人の人数だけでもかなりであった。
義叔父さんは、皆に尽くしたから、
従弟の長女は涙ながらに弔辞を読んだ。
従弟の長女以外の子も、みな涙をぬぐっていた。
その孫たちだけでなく、姪御さんたちも、みな泣いていた。
そのくらい人望があったということだ。
今時めずらしいことかもしれない。
義理の姪の私にも、ずいぶんよくしてくれた。
亡叔母が私をかわいがるのはわかるが、この義叔父さんもかわいがってくれた。
私だけでなく、私の子供たちまでかわいがってくれた。
だから、今日、私の長男は会社を休んでまでお葬式に参列したのだ。
先日も書いた言葉だが、
「人の一生はその棺の蓋を覆って定まる」と言われているが、
この義叔父さんの一生は、
今日のお葬式を見る限りでは、立派だったということになるのであろう。
*
★孫は泣き姪たちも泣き義理叔父の棺(ひつぎ)の蓋は今し覆はる
★覚悟せし死とはいへども人の死はその肉親をかく悲します
★食べられずなりてそののち二か月を点滴のみで生きし義理叔父
★十分に生きたと言へる齢にて死にても家族ならば泣くなり
★大正の最後の年に生まれたる人は平成最後の年に亡くなる
★昭和生き平成生きて大正の男は逝きぬ九十一で
★叔母逝きてのちを生きたり義理叔父は二十八年やもめのままに
★夏果てて涙のやうに降る雨の中を義理叔父火葬されたり
*
今日は朝9時に家を出て、帰宅したのが午後7時だったので、
まる一日がかりのお葬式参列だったことになる。