かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

義叔父のお葬式

2018-09-20 20:57:19 | ブログ記事
今日は義叔父のお葬式であった。

私の長男も、義叔父さんには世話になったからと会社を休んできてくれた。

近年の風潮として、お通夜よりお葬式のほうが列席者が少なくなるが、

今回の義叔父のお葬式もそうだった。

が、そうは言っても、世間一般のお葬式よりは、かなりの列席者がいた。



お葬式が終わってから、マイクロバス2台を連ねて火葬場に。

火葬の儀式を終えてから、いったん葬祭会館に戻り、昼食を摂った。


昨日と同様に、さまざまな人が私に声をかけてきてくださる。

親戚関係の人以外にも、義叔父さんの会社の事務をしてくれていた人とか、
義叔父さんの信仰していた宗教関係の人とか。

が、私は聞き取れない。

夫や長男に通訳してもらいながら会話するのだが、

これが神経を使うので、食事もままならない。

時間ばかりが経って、食べたかったデザートとか果物は食べられないまま残して、

後ろ髪を引かれる思いで、また火葬場に戻った。

(なにしろ食い意地が張っているもので)

お骨を拾う人は、従弟一家プラス義叔父さんの姪御さんたちである。

叔父さんの兄弟の子供は女性ばかりで、男性は私の従弟だけだった。

私の従弟には今時珍しく子供が四人もいるので、

それに連れ合いとか孫とかを入れると

それだけでも、かなりの人数になる。

そのうえ、姪御さんたちも子供連れで来ているから、

お骨を拾う人の人数だけでもかなりであった。

義叔父さんは、皆に尽くしたから、

従弟の長女は涙ながらに弔辞を読んだ。

従弟の長女以外の子も、みな涙をぬぐっていた。

その孫たちだけでなく、姪御さんたちも、みな泣いていた。

そのくらい人望があったということだ。

今時めずらしいことかもしれない。

義理の姪の私にも、ずいぶんよくしてくれた。

亡叔母が私をかわいがるのはわかるが、この義叔父さんもかわいがってくれた。

私だけでなく、私の子供たちまでかわいがってくれた。

だから、今日、私の長男は会社を休んでまでお葬式に参列したのだ。

先日も書いた言葉だが、

「人の一生はその棺の蓋を覆って定まる」と言われているが、

この義叔父さんの一生は、

今日のお葬式を見る限りでは、立派だったということになるのであろう。

*

★孫は泣き姪たちも泣き義理叔父の棺(ひつぎ)の蓋は今し覆はる

★覚悟せし死とはいへども人の死はその肉親をかく悲します

★食べられずなりてそののち二か月を点滴のみで生きし義理叔父

★十分に生きたと言へる齢にて死にても家族ならば泣くなり

★大正の最後の年に生まれたる人は平成最後の年に亡くなる

★昭和生き平成生きて大正の男は逝きぬ九十一で

★叔母逝きてのちを生きたり義理叔父は二十八年やもめのままに

★夏果てて涙のやうに降る雨の中を義理叔父火葬されたり

*

今日は朝9時に家を出て、帰宅したのが午後7時だったので、

まる一日がかりのお葬式参列だったことになる。