かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

死ぬときは一瞬で

2018-09-12 07:43:50 | ブログ記事
このたびの北海道地震で亡くなられた方々

並びに残されたご家族の皆様には

心よりお悔やみ申し上げます。

私も、甥一家が被災地の近くに住んでおりますので、心配しておりますが、

兄嫁によりますと、今のところは家族全員大丈夫のようです。

が、身内がいるということで、今回の地震の被害は他人事とは思えません。

と同時に、これは私の希望ですが、

私は、自分がもし地震に遭遇して亡くなるとすれば、一瞬で死なせてもらいたいです。

今回の地震で亡くなられた方々の大半が窒息死であったことを聞き及ぶにつけ、

亡くなるときは一瞬でと望むものでございます。

私は死ぬことは全然怖くありませんが、死ぬときに苦しむことだけは御免被りたいです。

やすらかに眠るようにというのが理想ではございますが、

それが無理としても、

せめてあまり苦しますに彼の世の旅立たせていただきたく。

*

★死ぬことは怖くなけれど死ぬときの苦しみ怖しと心に思ふ

★家族みな彼の世に逝きし此の世には思ひ残すことは少なし

★子や孫は可愛くあれど家族仲よければそれでわれは満足

★君とわれまう数年で金婚式なれど女にモテる男で

★古妻のわれなどゐなくて平気かもしれぬと思ふ夫の君を

★願はくば気づかぬほどにあつけなく死にたし母や姑のごと

★わが母も義母も村形明子氏もあつといふ間に死ににきある日

★姑は肺炎畏友村形氏すい臓がんで母心不全

★死ぬことを知らず死ににし人たちにあやかりたしと思ふわたくし

ブログ休むと辞めるの違い

2018-09-12 01:54:22 | ブログ記事
愛読させていただいているブログが

最近、続けざまにお休みされるとご挨拶があった。

お休みだから、また再開されると思うが、そのまま消えるブログもある?

ご挨拶をして、やめられた方もいらっしゃる。

どういう事情で休まれたり、やめたりなさるのだろう。

という私も、過去3回ブログを作り直した。

理由は、家族に読まれてクレームが出たことからだった。

アップした写真にクレームがついたこともあった。これは主に子供たちから。

一応匿名で書くブログだから、何を書こうと自由なはずだが、

私の場合、

最初にブログを作ったときは、家族や親類に見てもらうのが目的だったから、

ブログ村の登録してランキングに参加するあたりで、

私のブログに対する書き方に変化が生じて、

だんだん家族に読まれると具合が悪くなってきた。

それで新しく作り直したりしたのだったが、すぐに発見されて、また作り直すという
イタチごっこを演じることになった。

私にすれば、せっかくできた読者の方を失いたくなかったので、

似たブログ名にしたのがよくなかったかもしれない。

が、まったく新しくするのも名残惜しくて・・・。

ここらあたりのやり方が中途半端だったことは否めない。

が、本来書くということは、自分が思っていることを書くということだから、

私にすれば、心にもないことは書きたくない。

だけじゃなく、日ごろ口に出して言えないことを書いて自分を建て直すのが
ブログの役目かもしれないとも思うようになった。

それで、家族とも揉める原因になる。

昨年は、離婚騒ぎにまで発展した。

ふつうなら友人に漏らすような悩みを私がブログに書いたからだった。

聴覚の障碍の進んだ私は、ほとんど友人づきあいをしなくなった。

昔はしていたが、聞こえにくいとお互いに気を遣うので、

自分から離れていった。

その代わりできたのが、ネットを通じて語り合うことのできる友人だ。

顔を見たことのない人たちと言っても、

ネットで知り合った人たちには本音を聞いてもらっているから長年の友に勝るとも劣ることはない。

そのためにも、ブログには真実を書く。

これは私のケースだが、

他の人たちは、どういう目的でブログを続けておられるのだろう。

その目的があいまいになれば、続ける意味がなくなって辞めたりされるのだろうか。

私の場合は、特殊な事情があるから、簡単にはやめられない。

が、やめさせられそうになったことは数えきれない。

家族からすれば、なんでも書く私が悪いということになるのだろうが、

ここが、

正直に書かないと書く意義がないと思っている私とのせめぎあいになるのだ。

それにしても、馴染んだブログが消えてしまうのは寂しい。

私は、一人でもこう思ってくれる人がいる間は書き続けようと思う。



いや、思ってくれる人がいなくても、書き続けるか、私の場合。

*

★寂しさは馴染みしブログの消えることある日とつぜん会へなくなりて

★ご近所の人が引つ越しするよりも寂しきことであるかもしれぬ

★声を出し人と交流することの少なくなりしわれにネットは

★ネットなき時代に戻れと言はれても戻れぬわれとなりにけらしも

★朝おきてパソコン開き昼前にパソコンひらき寝る前もまた

★口ひらく代わりに開くパソコンの画面にわれは文字を打つなり

★文字を打つ指が声出す代わりなり無言で指を動かす会話

★言葉にて人は生きると思ふとき言葉吐き出すブログは命

地盤沈下し続ける関空って?

2018-09-11 08:33:17 | ブログ記事
今回は想定外の台風が来たからという理由だが、

しかし、そもそも地盤沈下し続ける空港って?

昔から物事を批判する言葉に「土台なってない」というのがある。

関空は、それではないか。

そもそもあんな海の沖合いに空港を作ったのは間違いでなかったか。

海を埋め立てて空港を作るという考えそのものに無理があったのではないか。

私は、いつも関空に行くとき、あの長い橋を渡るたびに、

もしこれが使えなくなると・・・ということを考えてしまう。

それが今回はタンカーの衝突という事故が起こって心配が杞憂でなくなった。

今日の新聞を読むと台風時のタンカーの避難場所に問題があったという論調だが、

私には、その前に、あの長い橋を渡らないと到着できない空港自体に根本的な問題があったような気がする。

莫大な資金を投じて作った空港だが、そもそもの計画が間違いではなかったか。

あんな沖合いに作る必要があったかどうか。

もともと伊丹空港の周辺の住民の騒音被害の対策として考えられたのが関空ではなかったか。

が、関空ができて、伊丹空港を廃止しようという動きになると、

地元民が地元が寂れるとか言って空港廃止の反対をしたと聞く。

それならなぜ、あれほどの反対運動を展開したのか。

現在は、ジェット機の騒音防止の技術が進んで、あのころのような騒音はないと聞く。

この際、伊丹空港を国際空港を戻すことはできないか。

関西には、現在、無駄と言われながら作られた神戸空港もある。

神戸空港は、今回の台風で被害はなかったのだろうか?

なかったのであれば、この神戸空港をもっと離着陸が多くできるように整備することはできないか。

神戸空港は神戸市内から電車でたやすくいける。

大阪都心からも、少し距離はあるが、電車でたやすく行ける。

距離があるといっても、たしか関空よりも近い?

京都からも同様だ。

関空のように風の強い日は電車が止まるとかいうこともない。(あるかな?)

少なくとも、関空のように、陸の孤島というイメージはない。

私は、この際、関空の廃港も含めて、関西全体の空港の今後を考えたほうがいいと思う。


時間が足りない

2018-09-11 03:33:17 | ブログ記事
本が好きだから、
読む時間がないのに買ってしまう。

短歌の雑誌だけでも毎月2冊、

それ以外に、ネットで買う本が結構ある。

図書館にあれば図書館で借りるが、ない場合や手元にもっていたいと思う本は買う。

結果積読になる。

じゃ、ブログを書くことをやめて本を読めばいいのだけれども、ブログは書きたい。

書きたいだけじゃなく、他人様のブログを読ませていただきたい。

ブログからは生きた情報が得られる。

が、読みたいものを全部読んでいると、それだけで日が暮れてしまう。

一応主婦だから、ご飯も作らなければならないし、その他の家事もある。

食事に関しては、

出来合いを買ってくるとか、外食するとかの手もあるが、

出来合いは飽きるし、外食をたびたびするほどの経済的ゆとりはない。

というわけで、料理にも結構時間をかける。

そのうえ、これが大きいのだが、

最近は疲れやすくて、

夜読書しようと思っても、夕食をとるとストンと眠くなる。

「眠りに落ちる」という言葉がぴったりするくらい、あっけなく寝入ってしまう。

眠られることは有難いことでもあるのだが、しかし、何もせずに寝てしまうのも困る。

今更自己啓発でもないが、しかし、年取っても、日々向上したい。

が、それが叶えられない。

このままなし崩しに年取っていくのかと暗たんたる気持ちになる時もある。

が、これが老化ということなら、受け入れていくしかないのだろう。

*

★寝に落ちる言葉そのもの寝に落ちる毎日なれば何もできずに

★ブログ書きブログを読めば溜まるのは家事と読みたき本の数々

★溜めたままわれは死ぬのかガラクタと読みたき本を机に積んで

★目覚むれば飯を作りて飯を食ふ合間の時間だんだん減りて

★止めざれば何もなせざるまま老いる 恐れながらもブログ書くわれ

★情報の押し寄せてくるネットなり溺れながらもネットの海に

★生活の見直しするも押し寄せてくるネット波に溺れるのみで

★古来より酔生夢死といふ言葉ありてネットに酔生夢死す

★わが死なばあとは野となれ山となれ本も不要の服も残して

★終活といふ言葉など糞くらへ死ぬまで本を買ひて服買ふ

★身ぎれいでありたきわれは死ぬ日まで服買ひおしやれ忘れずに生く

★あたらしき知識求めてわれは買ふ読みたき本をネットで見つけ

★年取れば年年歳歳減りてくる時間と思ふ思へどわれは

え、正恩氏にありがとう??&その他つれづれ思うこと

2018-09-10 07:11:22 | ブログ記事
「正恩氏にありがとう」というネットの見出しを見ました。

思わず、正恩氏はどんないいことをしたのかと思ってしまいました。

別にいいことなどしてないですね。

悪いことならしているけれど?^^

なのに、大国の大統領が礼を言う

小国(と私には見える)の委員長はどれだけ偉いのでしょうか?

こう書いたからと言っても、

私は、別に小さな国が悪いとか言っているのではありません。

と同時に大きな国が偉いとも思っていません。

こういうふうに断っておかないと、
またバカなコメントをつけてくる人がいますから予め断っておきます。

話を戻します。

そういうふうに持ち上げるから、かの国がますます増長すると思うのは間違い?

私たちは、それより一刻も早く拉致された同胞を返してほしいと切望しています。

この場合も、返してもらったら「ありがとう」とお礼を言わなければならない?

そんなバカな・・・(絶句)

誘拐は、被害者が返されたとしても、立派な犯罪でしょう?

国ぐるみで犯した犯罪ならば、その国が慰謝料を払わなければならない案件です。

トランプさんっ、たはやすく「ありがとう」などと言う言葉を使わないでください。

軍事パレードで大陸間弾道ミサイル(ICBM)などの核戦力を誇示しなかったことくらいで
簡単に「ありがとう」なんて言わないでください。

アメリカも、自国民が一人でも誘拐されていたら、

永遠に、その国に対して「ありがとう」なんて言葉は出せないと思います。

日本の一人の少女の不運は、われわれ日本人すべての不運です。

日本の一家族の悲しみは、われわれ日本人すべての悲しみです。

それにしても、最近の日本国の不甲斐なさ!

オリンピックを招致して浮かれている場合じゃないでしょ?

次々と台風が来て、地震が頻発し、福島の原発事故の始末も終わっていないこの国に、

常識で考えても、

よその国の大切な選手をお預かりするオリンピックなど開催できるはずもないでしょ?

しかも、

開催するのは死者も出る酷暑の8月!

できたら、今からでも辞退してほしいです。

なにかあってからでは遅いのです。

それにしても、

オリンピック、オリンピックと浮かれているのは、どこのどいつだ!(怒)

私は、利権まみれのオリンピックそのものがなくなってもかまわないと思っています。

雨の日は雨を楽しめばよいし不幸なときは不幸を楽しめばよい

2018-09-09 14:51:22 | ブログ記事
今年の酷暑はさすがに楽しめなかったが、

しかし、雨の日はいいものだ。

子供のころはテルテル坊主を作って晴れることを望むことが多かった。

が、年取ってくると、晴れより、むしろ雨の日のほうがいいと思うときが多い。

雨であれば、家にこもっていても楽しい。

晴れている日に読書していると、なんとなく後ろめたいが、

雨だと堂々と読書に没頭できる。

食事の支度も

買い物に行かずにありあわせにしても気がとがめない。

考え事をするにも、雨の日はうってつけだ。

気持ちが落ち着くから静かに考えられる。

雨と不幸は一緒にできないが、

しかし、不幸も、その渦中にあるときは、それを楽しめばいいのかもしれない。

私は、現在も、見方によっては不幸かもしれない。

なにしろ聴力は健康な聴力の人の2割くらいしかないのだし。

手術を受けたといっても、心臓の主要な弁ふたつが人工弁であるから人並みではない。

だから、毎日が一生懸命である。

が、これが当たり前になっているから、不幸とも、あまり思わない。

不幸に対して鈍感になっているといえるかもしれない。

あと何年生きるかわからないが、この不幸は死ぬまで続く。

こうなれば、この不幸を楽しまなければと思う。

タフな心臓は持ち合わせていなくても、虚弱は虚弱なまま、働き、歩き、出かける。

聞き取りの悪い耳を携えて、どこにでも出かける。

できるだけ目で情報を得るようにしているが、

どうしてもわからないときは、聞き取りの悪い耳で聞く。

神経を集中すれば、2割しか聞こえない聴力でも必要な情報は何とか得られる。

書いてもらうのは最後の最後になる。

というのが、書いてくれる人というのは本当に少ないから。

それを不幸と思えば不幸になるが、しかし、書いてくれる人がいたら、超ラッキーと喜べる。

文字通り「有難い」ことだから有難い。

普通の人が幸運とも思わない、

小さなささやかなことでも喜べるようになるのが不幸な人の幸運かもしれない。

*

★幸運が転がりてゐる幸福をわれら不幸な生まれの者は

★当たり前あたりまへではあらざると思へる不幸なわれら幸せ

★聞こえねば聞こえたときの喜びは相乗されて増える理(ことはり)

★聞くことを遮断されゐる人生に読書の喜び余人に勝る

★走れずに早く歩くもできがたき身体は好む遅きあゆみを

禍福はあざなえる繩の如くdktp91

2018-09-08 15:00:46 | ブログ記事
今回、地震の被害に遭われた方々には心よりお見舞い申し上げます。

と同時に、

タイトルにしました

「禍福はあざなえる繩の如く」

という言葉をかみしめております。

人は災害に遭った時に、これほどの不幸はないと思われると思います。

が、決して悪いだけのものではないと私は思います。

私は、亡くなった叔母が天理教を信仰していた関係で、

私自身は信者ではありませんが、叔母がしばしば言っていた

節から芽が出る」

という言葉が胸に刻まれています。

この言葉の意味は

不幸なことが起こったら、それはよいことの兆しである。

というふうに解釈させていただいています。

それをきっかけに、人生が好転するということはよくあることのようです。

災害ではありませんが、

私のような身体障碍者は、

しばしば、なぜこんなふうに生まれてきたのだろう?

と、親を恨み、我が身を恨みます。

しかし、

身体障碍者に生まれてきたことも悪いばかりではありません。

少なくとも、

他の身体に障碍を負っている人たちへの共感はもてます。

それだけでも大きな幸いですが、

さらに、自分に弱みがあることによって、

他人様に対して傲慢になることを控えることができます。

これは大きな福音だと思います。

これによって、無用の罪を犯すことから逃れることができますから。

私は、自分のことを顧みました時、

もし、私が五体満足であったなら、

どれほど傲慢な人間であったかと恐ろしくなることがあります。

聴覚に障碍があり、心機能にも障碍がありながらも、

まだまだ傲慢なところのある人間ですから。

ですから、この私の障碍は、

神様からのプレゼントなのかもしれないと思ったりもします。

災害は、

まったく違うもののように思われますが、

私には、

これも、やはり神様からのプレゼントではないかと思えるところもあります。

人は、どうしようもない困難の中におかれて、

初めて悟れるというところがありますから、

人生究極の悟りを得るためには、

必要不可欠なものであるかもしれないと思ったりもします。

私の障碍と同様に・・・。

*

★困難は幸福になる近道であるとぞ思ふ障碍もてば

★災害も神様からの贈り物さうは思へぬときもありつつ

★底力つけるためにはドン底に落ちねばならぬと思ふときあり

★神頼みするしか術のなきときに神は働く仕組みなるべし

★不思議なる助けを受けし者のみが神に近づく者であるらし

人は、それを失くして初めてそのありがたみがわかる

2018-09-07 23:24:31 | ブログ記事
このところ立て続けに災害が続くが、

人は当たり前の生活を失くして初めてそのありがたみがわかるということが多い。

災害ではないが、現在、私は聴力の八割くらいを失ってしまっている。(=80デシベル)

補聴器をつけていても限界がある。

だから、わずかでも聞こえることのありがたみは身に染みる。

また心臓弁膜症の手術を受けて現在は元気に暮らしているが、

子供のころより頑張りがきかなかった。

マラソンなどは、走れば走るほど顔色が悪くなるので免除されたくらいだった。

だから、健康な人がうらやましい。

健康な人は、それが当たり前であるからありがたみを感じることもないと思うが、

ふつうに生きて生活できることが、どれだけありがたいことか。

話を災害に戻す。

このたびの台風、地震の被害を受けられた人々には一日も早く元の生活に戻られることを祈りつつ

しかし、これは自戒を込めて書くのだが、

災害に遭って初めて普通の生活のありがたみを感じられた方も多かったのではないかと推察する。

最近の日本列島では、いつどこで何が起こるかわからない。

そういう状況だから、

私も常に非常事態を想定して暮らしていたいと思う。

また、私たちのような障碍者は、

健康な人々に、

常に私たち障碍者の立場を想定していただきたいとも願う。

災害にしても、障碍にしても、

当たり前の生活を失くしてから初めてそのありがたみに気づくのではなく、

常に、

すでに失くしている、あるいは失くした人たちに思いを馳せる想像力をもちたい、もっていただきたい

と思う。

帰途に着きました

2018-09-07 08:40:58 | ブログ記事
いつもは土佐交通ご贔屓なのですが、今日はJrバスのほうが出発が先だったので、Jrバスにしました。

バスは「大阪駅行き」だったのですが、あえて舞子駅までの切符にしました。



今回は舞子駅から川西池田駅までJrの電車で帰ろうと思います。

大阪駅まで行くより、そのほうが早く帰宅できるのです。

無事にバスに乗れたから、高知駅で買った鯖寿司で朝食にします。



私は鯖寿司が大好きです。

それも土佐の酢の効いた鯖寿司が。😊

留守番の夫にもいろいろ買いました。

晩酌の友に、ひとくち鰹節のセット。


この天ぷらも晩酌の友です。


これは野根まんじゅうという室戸岬のほうにある野根峠の名産です。

仏様へのお土産です。


これは帽子パンと言って高知だけで売っているパンです。

帽子の鍔の部分がカステラ味でおいしいです。

高知には他にもおいしいものがいっぱいありますが、上のお土産は県外の皆さんにもお薦めします。

だから相続は難しくなる

2018-09-07 00:17:01 | ブログ記事
と、きのう(になってしまった)税理士さんに言われてしまった。

私もすんなり放棄したかった。

が、晩年の母の世話をろくすつぽしてくれなかった様子を目の当たりにしたから、亡母の悔しかった気持ちを斟酌して娘の私は簡単に放棄はすまいと思ってしまう。

私の私欲で難しいことを言っているのではない。

同居していた兄嫁が母の食事の心配もしてくれなかったから、母は死ぬまで自分で人を雇って掃除をしてもらい、食事も作って持ってきてもらっていた。

入院しても毎日来てくれるのは、お金をはらって来てもらうお掃除のおばちゃんだけだった。

洗濯物もおばちゃんが持ち帰って洗ったものを毎日とどけてくれていた。

帰省のたびに、そういう様子を見てきた娘の私は、そうやすやすと不動産放棄をする気持ちにはなれない。

また私に対しても、帰省しても気を遣ってくれたことがない。

それでも私は、母が生きている間は、母に少しでも優しくしてほしかったから、帰省のたびに世話をしてくれていたおばちゃんだけでなく、義姉にも甥にもお土産を買って帰った。

義姉は義姉なりにしていてくれていたこともあったかもしれないが、娘の私からすれば、もっと衣食住に気をつけてやってほしかった。

その母の無念の気持ちが、いま娘の私に乗り移って、不動産放棄を躊躇わせているような気がしてならない。

世の中の相続問題には、それぞれこういう複雑な事情が絡んでいるのかもしれない。

一度帰省しないといけないのですが

2018-09-06 04:33:54 | ブログ記事
昨日の京都行きで疲れて行けそうにありません。

最近は出かけると一日休まないと次に出かけることができません。

昨日は電車で行ったのと、夫の歩きに合わせて歩いたので、余計疲れています。

そのうえ、お昼はどこかで食べればよかったのですが、

夫が仕事があるというので、そのまま帰宅して昼食を作ったので、

本当に疲れました。

が、高知にも今週中に帰省すると義姉に伝えてあるので、今日か明日には帰省しないと。

昨日の京都行きで思ったのですが、

まだ暑さが残っているので、出ただけで疲れます。

なので、帰省をするとすれば、夜行バスかな?

その前に税理士さんにも連絡しておかなければ。

*

★遠方であれば遺産の相続も何度も何度も行かねばならぬ

★印鑑を一つ忘れて出直すもあれば相続たはやすからず

★遠方であれど筆頭相続人われの責務は重くありける

★放棄せば郷里に帰るわが家がなくなることをいたく恐れる

★相続をしてくるる人ゐることを喜ぶ時代と言はれてもなほ

★亡き母のまだ生きてゐしころもまう泊まることなどなかりし実家

★亡き母の食事も作りてくれざれば小姑われが行きてもしかり

★亡き母の部屋の荷物は捨てられて何もなくなりわが居場所なし

★訪問をすることさへや気を遣ふ家を実家と呼び難きかも

★不動産相続放棄はやめにせむさういふふうに思ひはじめて

★亡き父母を真に思ふはわれのみになりて今年の夏も晩夏に

★わが生まれ父母に育ててもらひしは建て直す前の実家の家で

★現在の実家の土地に生まれしは家族の中でもわれのみなりき

★愛着はあふれるほどにありければたはやすやすと放棄はすまじ

★亡き父母はいかに思ひていませるや嫁ぎし娘のこの思ひをば

★放棄せば実家と縁の切れること恐れてわれは放棄しがたし

すばらしい言葉の書かれた記事を読ませてもらった

2018-09-06 00:17:54 | ブログ記事
備忘のために、

その記事の中の素晴らしいフレーズを転記させていただく。

すばらしい瞬間は

なにも期待せず心も用意していない時に起こる。

他の人が、たかが小さなことだと見過ごすことが、

実は美しい衣をまとっているのに気が付かないのだ。


この素晴らしい言葉を自分の心に記銘させてもらおうと思う。

*

★期待せず心の用意もせぬときに起こりがちなる素晴らしき瞬間(とき)

★人に為す情けは人の為ならず我が身のためとわかる時くる

★丁度よきときに天から教へらるいかにするのが一番よきか

昨年の今日、お見舞いに行くかどうするか迷っていた

2018-09-05 19:07:12 | ブログ記事
Gooブログから毎日送られてくる昨年の記事

それによると、

昨年の今日は、今日行った友人のお見舞いに行くべきか否かを迷っている。

で、結果、昨年の今日亡くなられたわけだが、

行ったとしても、その死に目に会えたかどうか。

それにしても、虫の知らせとはこういうことを言うのだろう。

私は昨年の今日、お見舞いに行かなかったが、

夫の京都在住の友人に入院されたことを知らせると、すぐに行ってくださり、

村形明子さんが亡くなられたことは、その夫の友人から知らせてもらった。

その二日後には、村形さんの教え子さんからお通夜とお葬式のお知らせのメールが届いた。

それから早一年。

今日、村形さんの住まいであったマンションに出向いたのは、

この村形さんの住まいを買わせていただきたいという思いもあったからだった。

が、マンションの管理人さんにお聞きすると、

教え子さんが相続されるらしいと。

それなら仕方ない。

それで私たちはすぐに帰ったのだった。

村形さんは遺言でも残しておられたのだろうか?

昨年は、教え子さんが、管財人に相談して、一周忌くらいには
お返事できると思いますと応えてくれたのだったけれども。

まあ、どっちみち私にはご縁がなかったということだ。

日曜日に次男夫婦に相談したときも、

買うことは二人に反対されたから、これですっきりした。

今日は、はるばる京都まで行ったが、夫とデートできたと思えば無駄足ではなかった。

久しぶりの京都だったから、バスから見る景色も楽しかった。

ただあまりにも暑かったから、どこかを観光する気にはなれなかった。

また涼しくなったら出直そう。

友人の命日なので京都へ 

2018-09-05 10:17:00 | ブログ記事
今日は京大名誉教授だった村形明子さんの命日なので、京都にきました。



ひょっとして教え子の方が来られているかなと思ってきましたが、

玄関が閉まっていて入れなかったので玄関前で手を合わせてから、

マンションの前のバス停に停まったバスに飛び乗りました。

もっと涼しい日だつたら、ひさしぶりに観光したいところでしたが、まだ暑すぎました。

祇園で降りました。


まだお昼には早いし、夫が仕事が残っていると言うから、そのまま阪急電車に乗って帰ることに。

お昼は帰宅してから素麺でも作ることにします。

台風21号が通り過ぎました

2018-09-05 03:02:58 | ブログ記事
すごかったといえばすごかったし、

前評判ほどではなかったといえば、そうも言えるような?

我が家は停電しませんでしたが、ご近所で停電した家がありました。

が、我が家も、私が食堂で録画した映画を見ていると

突然切れて、またついたときは映画ではなく、ニュース画面に代わっていました。

あれ、どういうことだったんでしょうね。

夫は二階の自分の寝室でテレビを見ていたのですが、なんともなかったと。

外回りも特に変わったことはありませんでしたが、

ただ、

裏庭に植えてあるメラレウカマウンテンファイアーとかいう名の木が

お隣に倒れ掛かっていましたので、夫が伐ると言い出して、

私と喧嘩になったくらいでしょうか。

私にすれば、何年も水やりを続けて大きくした木を伐られるのは我慢できません。

この木は幹そのものが柔軟性があるというかしなやかなので、

すぐにへにゃっとなるのです。

ですから、

倒れても簡単に起こしてやることができます。

過去、何度かそうして起こしてやってきました。

それなのに、この木の性質も知らない夫が簡単に伐るとかいうので、

私が怒ったのです。

お隣に倒れ掛かったといっても、

柔らかい幹ですので、お隣の壁を傷つけることなどないのです。

それなのに、夫は、変に近所に気を使って・・・。

私がどんなに愛情をもって植物を育てているかも斟酌しないで・・・。

私は夫のこういう無神経なところが我慢ならなかったので怒ったのでした。

夫は片付け下手な私と違って片付けは上手なのですが、

こういうふうに無神経なところがあるのも事実です。

大昔の話になりますが、

私の父が生きていたころ、

まだ字の読めないほど幼かった私の娘にマメに手紙を書き送ってくれました。

その後、父は57歳で亡くなりましたので、それは父の形見でした。

それなのに、いつのまにやら、夫は全部捨ててしまっていたのです。

まあ当時住んでいたマンションは広さが限られていましたから仕方ないと諦めましたが、

私は悲しかったです。

それとは事情が違いますが、

昨日、夫が、私が大事にしている木を伐るといったときは、私は夫に怒りました。

夫は理科系人間のせいか、どうもデリカシーにかけるような気がしています。

夫は私の剣幕に驚いて、

その後、二階に上がって夕食の時間になっても降りてきませんでした。

私は待っているうちに眠くなり、そのままさっきまで眠ってしまっていました。

いま見ると、夫は一人で夕飯を食べたらしい形跡が残されていました。

外に出てみると、台風の通り過ぎたあとの気持ちのよい夜風が吹いていました。

*

★大切な私の木を伐るなどと言ふ人に怒りは燃え上がりたり

★植物と言へども命あるものの命は軽くあらざるを知れ

★木には木の気持ちがあるを知らぬ君あらしのさなかに木を伐ると言ふ

★豪州の木であるらしきメラレウカマウンテンファイアーわが愛する木