〈来栖の独白〉 . . . 本文を読む
〈来栖の独白 2016.10.25 Tue 〉爆発事件であるから、報道が派手を極める。これまでこの種の記事は弊ブログで取り上げずに来たが、「冤罪」「裁判所」といった語が目につき、詳細に読んでみた。 裁判所、延いては「役所」とは誰のためにあるのだろう、と私が考えるようになって久しい。 裁判官になった以上、上(最高裁)に行くことが究極の目標であろうし、そんなもの、家裁にいては、生涯、望めぬ。 例えば原発の案件でも、国を敗けさせれば、家裁へ飛ばされる。己が出世を断念して初めて、自己の信念(思想)を反映させた判決文が書ける。 沖縄の翁長知事は国を相手に訴訟を起こしたが、こういった司法の内部の事情(出世と判決の関係)を全く知らぬはずはないだろう。それでも提訴する。自分を知事に選んでくれた県民への一種の「パフォーマンス」に過ぎないことが、透けて見える。知事などはこれで気が済むが、哀れなのは、当該容疑者のような人たちだ。冤罪であっても、自己の正当性を訴えたり、気持ちを浄化させる術を持たぬ。 裁判所(裁判官、書記官)も役所(官僚、官吏)も、畢竟、そんな彼らを国民の税金で養ってやっているにすぎぬ、と捻くれて考えたりもする私である。 . . . 本文を読む