Eさんからの手紙 独りの日々のために 〈来栖の独白〉

2015-04-20 | 日録

〈来栖の独白〉
 ほぼ毎日、カトリック中央協議会の『毎日のミサ』に則って、その日その日の聖書朗読とエレクトーンで聖歌を弾き歌うひと時が私を支えてくれている。老後の独りの日々のためにこそ、主は私をオルガン弾きにしてくださった、と感じる。能・狂言の鑑賞も大きな楽しみだ。
 私は若い頃から、例えば教会でも、皆と一緒の活動はしなかった(オルガン弾きも、一般信徒の9時半からのミサではなく、修道院のシスターたちの与る7時からのミサの、それである)。福音そっちのけのコミュニティセンター的集まりが嫌いだったし、(聖体ランプは鎮座していても)そんなところに主イエスは居られないと考えてきた。「小さくされた人」のところに、主はおられる。
 「友だちはいません」と公言して憚らない私だが、今月初めEさんへ手紙を出したところ、4月16日、返信。
 Eさんとは大学入学と同時に知り合った。現在はどうか知らないが、当時、母校は時計台本館1Fが英米文学科の固定教室で、席まで決まっており、Eさんは私の後ろの席で、彼女の方から話しかけてきた。札幌生まれ、現在も札幌在住だ。
 Eさんだけは、もし友人と呼ぶなら、呼ぶに迷いの一つもない。彼女だけである。何が心をゆるさせ、長い付き合いを可能にしたのか。私のような気難しい者が、彼女に対しては不快な思いをした覚えが一度もないのである。Eさんは人に媚びることがない。常に矜持ある生き方を保ってきた。群れることをしない。
 彼女は未婚である。会社を経営していらしたお父上様が2013年に他界され、翌年にはお姉さまが逝かれた。高齢のお母上様とEさんが遺された。
 そんなEさんからの手紙、以下である。私の感覚と同じだ。彼女のような友人を、主は、与えてくださった。

 春のポカポカ陽気と、風の冷たい、チラホラ雪の混じる日とが、交互に訪れて、桜はまだかなり先のことです。

 お母様の胃瘻の器具を替えられたとのこと、一先ずご安心でしょう。
 それにしても少し前までは耳慣れなかった介護とかデイサービスとかの言葉が、今は日常で普通に目に入らない日はないくらいの浸透ぶりです。私たちの20代の頃と今とでは、社会構造ががらりと様変わりして、人の、老年を迎える認識も、より切実、深刻に、具体的になってきたということでしょうか。
 今の母を担当してくれているケア・マネージャーの人が「お母さんもデイサービスなど、気晴らしにどうですか」と誘ってくれるのですが、母はきっぱり断っています。父もそうでしたが、元々そういうのが大の苦手な人で、やはり人それぞれで、そういうことが楽しめて元気が出る人はいいけれど、合わない人もいますから。私もそちらの(母の)部類に入っていて、シラケてしまう方で。何につけても、もともと気持ちがさめている性格で、要らない人間関係も広げるのはイヤだし、この歳になると、こういう生まれついての性格はなおそうと思っても土台無理、ということがよくわかってきて、しょうがないじゃないの、と開き直る気分が大きくなってきました。
 これはもう、高齢者になって死ぬまでこのままでしょう。
 母に付き添って病院など、外出先やタクシーなどで、高齢者に対する、人の態度に腹が立つことが多々あります。まるで子供に対するような話し方、馴れ馴れしい物言い、それかというと、まともに話を聞こうとしない、年とった人を一人前の対等の大人として見ていない、そういう人って、かなりの数いて。
 自分もいつかこういうふうに扱われるのかって思ったり。

 お父様やお母様のお話、享年34歳というのはあまりにもお若い一生でいらっしゃいました。
 子どもの頃に目に入る色々なことは、大人よりか、強烈にしっかりと心の中に定着するのではないでしょうか。普段あまり意識していないことなど、お手紙拝見して、考えてしまいました。
 お互い、少しでも楽しい気持ちで生きましょう。
 “ただ過ぎに過ぐるもの 帆をかけたる舟 人の齢(よわい) 春 夏 秋 冬 ” 〈『枕草子』の一節〉


「Chopinと福永武彦と」 2008-01-21 | 日録 
 〈来栖の独白 2008/01/21 〉
 ショパンの華麗さとしなやかさに惹かれて、一昨年から弾いてきた。高く深い美しさに惹かれた。ダン・タイ・ソンで聴いてからは、虜になった。小原孝さんがご自分の番組NHKFMのなかで「フォルテは無いと思ってください。すべてピアノで」とおっしゃっていたが、本当にそう。あくまでも、やさしくしなやかに弾く。特にノクターンは。
 先日もNocturnesを弾いていた。No1.Op.9-1「変ロ短調」。ちょっとロマンチックな出だし、甘さすら感じさせる、とずっと思っていた。
 しかし突然、違う、と感じた。甘くない、と。凛とした孤独が聴こえた。そしてすぐに、それはそのはずだ、と思った。ショパンが、孤独を奏でないはずがない。他人の寄り付くことを頑なに拒んで強靭な美のリアリストだったショパンの音楽に、孤独が漂っていないわけがない。
 私がショパンに強く惹かれたのはこの孤独の旋律の故だった、と気づいた。
 ショパンは、次のように言う。(音楽とは)「音によって思想を表現する芸術」、「自分の耳が許す音だけが音楽である」と。この思想の故に、ショパンは孤独であった、と私は思う。
 思想とは、生命の証、生きる意味である。
 不意に(いや、当然のように)、福永武彦を思い出した。
  福永武彦の作品に出会ったのは、大学の教養時代だったと思う。青年特有の寂しさと不安(落ち着かなさ)を持て余し悩んでいた私は、この『草の花』に衝撃を受けた。たまたま前期の試験と時期を同じにしたが、福永作品の世界から抜け出せなかった。単位を落とすことも覚悟した。が、試験を受けることだけはしておこうと思った。アメリカ文学史(アメリカン・フォークロア)の試験で、答えがさっぱり書けず、問題とは関係のない要らぬことを書いて出した。「私はいま福永武彦の小説に夢中になっています。氏の描く『孤独』は、いまの私にとってのっぴきならないテーマなのです・・・」。単位を落とすことを覚悟しているので、気持ちだけは強かった。ところが、後日発表を見ると「優」をくれていた。びっくりした。申し訳ない気持ち、単位が貰えてほっとしている自分、弱い自分が恥ずかしかった。
 長い時を隔てて、『草の花』を手に取った。懐かしい文字列。しかし、今回初めて、この小説にショパンという文字が出てくることを発見した。福永氏の心の中で、恐らくショパンの孤独が鳴り響いていたのだろう。

 福永武彦著『草の花』より

 しかし、一人は一人だけの孤独を持ち、誰しもが閉ざされた壁のこちら側に屈み込んで、己の孤独の重味を量っていたのだ。

 ----僕は孤独な自分だけの信仰を持っていた、と僕はゆっくり言った。しかしそれは、信仰ではないと人から言われた。孤独と信仰とは両立しないと言われたんだ。僕の考えていた基督教、それこそ無教会主義の考え方よりももっと無教会的な考え方、それは宗教じゃなくて一種の倫理観だったのだろうね。僕はイエスの生き方にも、その教義にも、同感した。しかし自分が耐えがたく孤独で、しかもこの孤独を棄ててまで神に縋ることは僕には出来なかった。僕が躓いたのはタラントの喩ばかりじゃない、人間は弱いからしばしば躓く。しかし僕は自分の責任に於いて躓きたかったのだ。僕は神よりは自分の孤独を選んだのだ。外の暗黒(くらき)にいることの方が、寧ろ人間的だと思った。
 孤独というのは弱いこと、人間の無力、人間の悲惨を示すものなんだろうね。しかし僕はそれを靭いもの、僕自身を支える最後の砦というふうに考えた。傲慢なんだろうね、恐らくは。けれども僕は、人間の無力は人間の責任で、神に頭を下げてまで自分の自由を売り渡したくはなかった。

 ---ピアノコンチェルト一番、これ、前の曲ね。これはワルツ集、これはバラード集。どうしたの、これ?
 ---千枝ちゃんにあげるんだよ。千枝ちゃんがショパンを大好きだって言ったから、それだけ探し出した。向うものの楽譜はもうなかなか見付からないんだよ。

 僕の書いていたものはおかしな小説だった。(略)全体には筋もなく脈絡もなく、夢に似て前後錯落し、ソナタ形式のように第一主題(即ち孤独)と第二主題(即ち愛)とが、反覆し、展開し、終結した。いな、終結はなく、それは無限に繰り返して絃を高鳴らせた。

 僕はそうして千枝子を抱いたまま、時の流れの外に、ひとり閉じこもった。僕はその瞬間にもなお孤独を感じていた。いな、この時ほど、自分の惨めな、無益な孤独を、感じたことはなかった。どのような情熱の焔も、この自己を見詰めている理性の泉を熱くすることはなかった。山が鳴り、木の葉が散り、僕等の身体が次第に落ち葉の中に埋められて行くその時でも、愛は僕を死の如き忘却にまで導くことはなかった。もう一歩を踏み出せば、時は永遠にとどまるかもしれない。しかしその死が、僕に与える筈の悦びとは何だろうか、・・・・僕はそう計量した。激情と虚無との間にあって、この生きた少女の肉体が僕を一つの死へと誘惑する限り、僕は僕の孤独を殺すことはできなかった。そんなにも無益な孤独が、千枝子に於ける神のように、僕のささやかな存在理由の全部だった。この孤独は無益だった。しかしこの孤独は純潔だった。

 孤独、・・・いかなる誘惑とも闘い、いかなる強制とも闘えるだけの孤独、僕はそれを英雄の孤独と名づけ、自分の精神を鞭打ちつづけた。

 支えは孤独しかない。

 僕の青春はあまりに貧困だった。それは僕の未完の小説のように、空しい願望と、実現しない計画との連続にすぎなかった。

 藤木、と僕は心の中で呼びかけた。藤木、君は僕を愛してはくれなかった。そして君の妹は、僕を愛してはくれなかった。僕は一人きりで死ぬだろう。

〈来栖の独白 追記〉
この孤独は無益だった。しかしこの孤独は純潔だった。・・・・僕は一人きりで死ぬだろう。
 なんという、ぞっとさせるような孤独だろう。しかし、冷静な理知の眼には、人生の現実はそのような残酷なものだ。『草の花』は知的な青年の孤独を描いている。私はこの孤独(純潔)に魅せられ、惹かれ続けてきた。守りたいものであった。群れることを嫌った。
 若いときには若いときの、老いには老いの孤独があるだろう。老いての孤独は、若いときとは比較にならぬ峻烈なものであるのかもしれない。人は、そのようにして、やっと死に辿りつくことができる。 2008/01/21 up
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