【 「オレ流」GMの手腕はいかに 落合博満氏が復帰した中日 】 田坂貢二

2013-10-15 | 相撲・野球・・・など

「オレ流」GMの手腕はいかに 落合博満氏が復帰した中日
 セ、パ両リーグでクライマックスシリーズ(CS)が始まる直前の10月9日、12年ぶりにBクラス(4位)となった中日が仰天人事を発表した。高木守道監督に代えて、来季から谷繁元信捕手を兼任監督に、球団初のゼネラルマネジャー(GM)に前監督の落合博満氏を起用したからである。72歳の高木監督から42歳の谷繁監督への交代にも驚かされたが、なんといっても落合氏を監督としてではなくGMとして復帰させたのには正直びっくりした。2年前、落合監督をめぐる権力争いがチームの低迷につながったとして、白井文吾オーナー(中日新聞社会長)が決断した人事だったのである。
 ▽優勝監督のクビを切る
 あれは2011年9月22日だった。中日は落合監督の退団と高木監督の来季からの就任を突然発表した。理由は監督との契約切れということだったが、優勝争いをしている最中の監督にクビを言い渡すというあまりにも異例の事態に、中日ファンならずとも驚かされたものだった。
 それでも淡々と指揮を執り続ける落合監督は評価を上げ、球団への風当たりは強くなった。その年の中日は大逆転V。落合監督は8シーズンで4度のリーグ優勝と日本一1度の抜群の実績を残して去った。勝つためとはいえ、選手補強やコーチ陣強化に金を使い過ぎるというのが、反落合派の言い分だった。勝つと選手の年俸が上がり、その割には観客動員が伸びないということだった。
9年連続日本一のいわゆるV9時代の巨人、常勝だった西武などは勝利イコール観客増に結びつかないことはあった。40年ほど前の阪神に「2位で十分。優勝すると選手の給料が上がるから」と言った球団幹部がいたという、笑うに笑えない話もあった。費用対効果。難しい問題なのだが、2年前の中日を見ながら「監督や選手の責任ではないのになあ」と思うしかなかった記憶がある。
 ▽クーデターを鎮圧?
 今回の中日の一連の人事は白井オーナーが「勝てるチームへの作り直し」を落合氏に委ね、本当はユニホームを着たかった落合氏もGMという仕事に魅力を感じたのだろう。同時に白井オーナーは球団社長の交代など球団幹部人事も断行した。高木監督体制下のコーチ陣も総入れ替え状態となっている。2年前に落合監督退団を主導した前球団社長は「中心になって動いた人間が居座るのはよくないだろうね」と語っている。“クーデター”が鎮圧された格好となった。
 ▽GMがチームを作る時代
 今や、日本でもGMは珍しくなくなった。監督をフィールドマネジャーと呼ぶのに対して、チーム編成や強化で全責任を負うのがGMで、監督の選任も仕事である。元巨人の名選手、高田繁氏は日本ハムそしてDeNAでGMをやり、阪神には中村勝広GMがいる。元選手ばかりでない。巨人は2011年に野球に素人の清武英利氏を起用している。“清武の乱”で一躍有名になった清武氏は、その権限をめぐって最高実力者の渡辺恒雄球団会長と衝突、退団したのは記憶に新しい。
 プロ野球で初めてGMを名乗ったのは1994年のロッテ・広岡達朗GMだった。大リーグやNFLなど、米国のプロスポーツでは当たり前のGM制度だが、日本では球団本部長がその役職にあり、あくまで球団内の人材で賄っていた。ロッテが広岡氏をヘッドハンティングしたのは画期的だったが、仕事の範囲などをめぐってトラブルとなり、わずか2年で退任した。
 ▽根本氏がナンバーワンGM
 GMと名乗らなかったが、ナンバーワンのGMと評価されているのが故根本陸夫氏だった。プロ選手としての実績はないが、スカウト時代に作り上げた人脈をフルに使い強いチームを作るのが特長だった。弱小だった西武やダイエー(現ソフトバンク)では大胆で大幅な選手の入れ替えで強化する手法だった。「弱いチームは負け犬根性とでもいえばいいのか、選手の意識を変えるためにも選手の入れ替えは必要だった。それとチームの軸を作る。手っ取り早くやるために自分が監督をした。下地を作り、そして勝てる監督を連れてくる」といった話が思い起される。西武では広岡監督を、ダイエーでは王貞治監督を誕生させた。
 西武時代は堤義明オーナーから絶大の信頼を得て、球団社長並みの権限を与えられていた。「オーナーがどんなチームにしたいかを知ること。堤さんはまず西武の名を全国区にすること、そして優勝できるチームを作ってほしいということだった」という。西武では、最初に田淵幸一らのスター選手を獲得してファンの注目を集め、次に秋山幸二や清原和博、工藤公康らを補強していった。根本氏は広島の監督時代に山本浩二や衣笠祥雄ら次代を担う選手を育てることで常勝“赤ヘル軍団”の基礎を作ったと評判になった。
 ▽オレ流新GMの手腕はいかに
 落合新GMは就任会見で「優勝できるチームを作ることが仕事」と話している。最初は兼任監督の谷繁監督を支えるスタッフづくりからで、落合氏が監督時代に全幅の信頼を寄せていた参謀役・森繁和氏を中心にコーチ陣を組む。戦力に欠かせない外国人選手の補強、24日にあるドラフト会議での新人選手獲得、チームの“高齢化対策”でのトレードなども大胆に行うことが予想される。「現場は(監督らに)任せて、俺が表に出ることはない」という。どんな「オレ流のチーム作り」をやるか楽しみである。落合氏が他球団の戦力をどう分析して中日をどう位置付けたチームを作るか。そんなどっしりとした中、長期戦略に興味がわくのは、それこそがプロとしてのGMの仕事であるからだ。
*田坂貢二[たさか・こうじ]のプロフィル
 1945年広島県生まれ。共同通信では東京、大阪を中心に長年プロ野球を取材。編集委員、広島支局長を務める。現在は大学野球を取材。ノンフィクション「球界地図を変えた男 根本陸夫」(共著)等を執筆
 2013/10/15 12:41【共同通信】
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