神戸小学生連続殺傷20年 「おじいちゃんのとこ、行ってくるわ」土師守さんは、その声をついこの前のことのように覚えている(毎日新聞2017/5/22)

2017-05-23 | 神戸 連続児童殺傷事件 酒鬼薔薇聖斗

神戸小学生連続殺傷20年 「なぜ」今も解けず
毎日新聞2017年5月22日 02時30分(最終更新 5月22日 02時39分)
 神戸市須磨区で1997年に起きた小学生連続殺傷事件で、土師(はせ)淳さん(当時11歳)が殺害されて24日で20年となる。遺族の思い、少年更生の現場、被害者を巡る現状を取材し、終わることのない道のりをたどる。

 「おじいちゃんのとこ、行ってくるわ」。土師守さん(61)は、その声をついこの前のことのように覚えている。「もう20年もたったんやな……。悲しみは全く変わらない」。淡々とつなぐ言葉に、我が子を守れなかった後悔がにじんだ。
 97年5月24日、次男淳さんは1人で家を出た。いつもの土曜日の昼下がり。土師さんはそれが永遠の別れになるとも知らず、顔さえ見なかった。
 3日後、淳さんは変わり果てた遺体となって見つかった。警察署で対面した。愛らしかった顔は、作り物のようだった。「誰にこんなことされたんや」。涙が止まらなかった。
 1カ月後に逮捕されたのは14歳の少年。報道は過熱し、取材が絶え間なく続いた。「負けたらあかん」。自分にも家族にも言い聞かせた。登校できなくなっていた中学生の長男が、父のプレッシャーに耐えかねて家を飛び出したこともある。高速道路を運転中、側壁が目の前に見えた。「このまま突っ込んだら、楽になれるんかな」。そんな考えも頭をよぎった。
 苦悩の中で、2000年から取り組んだのが全国犯罪被害者の会(あすの会)での活動だ。勤務医の仕事の傍ら、全国を巡って少年事件の情報開示や被害者支援を訴え、少年審判への被害者参加などが進んだ。「もう誰も、こんな理不尽な思いをしてほしくない」という願いが心を支えた。
 加害男性(34)が関東医療少年院を仮退院した04年3月。「心に重い十字架を背負って生きてほしい」。土師さんは報道機関を通じてメッセージを送った。男性から毎年命日に手紙が届くようになった。「内面の成長も感じる」。読むのはつらかったが、前向きに受け止めようと努めてきた。
 しかし、男性は15年、事件の経緯や社会復帰後の生活をつづった手記を無断で出版。土師さんは「被害者や遺族を苦しめている。精神に対する『傷害』だ」と憤りを隠さない。「なぜ我が子が狙われたのか」「なぜ彼は事件を起こしたのか」。解けないままの問い。今は手紙の受け取りを拒んでいる。「ずっと闇の中なのかな。掛けたい言葉はもうない」
 毎朝、線香を上げて家を出るのが20年来の習いだ。気が付けば白髪は増え、「事件を知らない人も多くなった」と語る。長男は結婚し、2年前に男の子が生まれた。自身の初孫。「新しい命を迎える日が来るなんて考えられなかった」
 明石海峡を望む小高い丘にある寺院。淳さんは今、大好きだった船や電車が眼下に見えるこの場所に眠る。寂しくないよう、ここを選んだ。
 「この子に恥ずかしい生き方はしたくない」と繰り返し語ってきた土師さん。父の歩みを淳さんはどう見つめるのだろう。「まだ分からへん。人生が終わる時には、分かるんかな」。11歳のままの笑顔に背中を押されている。
【ことば】神戸小学生連続殺傷事件
 1997年2~5月に神戸市須磨区で小学生5人が相次いで殺傷された事件。山下彩花さん(当時10歳)と土師淳さん(同11歳)が殺害された。兵庫県警は「酒鬼薔薇聖斗(さかきばらせいと)」を名乗る声明文を出した中学3年の少年(同14歳)を殺人などの容疑で逮捕。関東医療少年院に収容された少年は04年に仮退院、05年に本退院し、社会復帰した。事件は刑事罰対象年齢の引き下げなど少年法改正、犯罪被害者等基本法の制定などの契機にもなった。

 ◎上記事は[毎日新聞]からの転載・引用です  
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