天皇の天皇制(天皇制利用主義)からの解放 「個としての天皇、皇后を解放せよ」

2009-12-12 | 社会

水の透視画法  けうとい風景 この世の明るさの奥で
辺見 庸(へんみ・よう=作家)中日新聞2009/11/24Tue.
 ふだんつかわれない古い日本語に「けうとい」という含意のひろく深い語があって、私は好きだ。「きょうとい」ともいい、漢字をあてると「気疎い」となる。時代と文脈によって意味するところが変わるけれども、「けうとい」といえば〈いとわしい、気味がわるい、人けがなくてさびしい、おそろしい、不思議だ、得心できない〉など一般に否定的な心象表現になる。これに想到する現代語はないものかさがしたが、ぴったりというのは見あたらない。なぜなのだろうとこだわってみるに、けうとい状態が昔より減ったというのではないらしい。むしろ状況は前よりよほどけうといのに、そう感じる心が減ってしまったからではないのかと察せられ、文字どおり、けうとましくなるのである。
 なんでもない日常にありながら、こつ然、胸裡をさっとかすめていく正体不明の黒い影は、けうとい。風吹きすさぶ荒れ野にひとり立つ夢もまた、けうとい。宗左近の詩には「この世の明るさのそとに/花びらの色の流れさるあざやかさ/わたくしの暗さのなかに/花びらの色の泳ぎいるけうとさ」(花のいろは」)というすごいくだりがあり、闇夜に散りおちる紅(あか)い花弁の、血汁のような軌跡をおもわせる。とすれば、けうといとは、固定した風景ではなく、移ろう心の動態であり、いうにいえない第六感か予感のような、繊細で、曖昧で、よくもあしくも日本的な、くぐもった心性でもある。語はすでに『徒然草』に見え、江戸期には意味が転じて〈立派、すばらしい〉となったりするのだが、それとて手ばなしにポジティブなのではなく、語感に〈気味がわるいほど立派〉といった屈折もあるのがまた日本的だ。
 天皇即位20年を祝い皇居前広場でひらかれた「国民祭典」をテレビで見て、さても、けうといものよなあ、とおもった。「奉祝」としるされた無数の提灯の揺らぎ、夜陰に尾をひく野太い万歳三唱の声がいずれもけうとく、ざわざわと胸がさわいだ。「奉祝曲組曲」とそれに合わせた男たちのクネクネ・ダンスが、かかわった人びとの世代や情感がもとよりこちらと大きくことなるとはいえ、美としても芸としてもある種の思想としても、あまりにも凡庸、低調であり、これまたけうといおもいを抑えがたかった。そして、もっぱら政財界の企画によって不況の寒天下このようにことほがれるのが、はたして、天皇ご自身の願いであったろうかといぶかり、またもけうとくなったことである。
 提灯の群れを置きさったいっかな消えない熾火(おきび)のように見ながら、ふと中野重治の文をたぐる。敗戦の翌年、中野は「五勺の酒」に書いた。「せめて笑いを強いるな。強いられるな。個としての彼らを解放せよ」。「彼ら」とは当時の天皇と皇后である。彼らは「個人が絶対に個人としてありえぬ。つまり全体主義が個を純粋に犠牲にした最も純粋な場合だ」とも述べ、共産党批判のかたちをとりつつ「天皇の天皇制からの解放にどれだけ肉感的に同情と責任を持つか・・・」としるしている。〈笑いを強いるな〉〈個としての解放〉は、以来60有余年、天皇の代がかわっても、いっこうにはたされてはいない。天皇にたいしてはたしていないということは・・・、と私はおもいまどう。社会も天皇制(というより天皇制利用主義)の心的くびきから解かれていないのではないか、と。
 中野の筆致は時の勢いがたすけた面もあるかもしれない。にしても、いまとなってはとても信じられないほど自由である。きょうび、だれが〈天皇の天皇制からの解放〉を公言し、どれほどの人びとがそれについて肉感的な同情と責任をもとうとするだろうか。そこいらの権力者やマスコミよりずいぶんまっとうで公正な歴史認識、人間観をおもちでいるらしい天皇や皇太子らに、人として当然もつべき諸権利をそなえてもらい、天皇制利用主義の抑圧から解く発想はなぜゆるされないのか。「五勺の酒」には天皇の天皇制からの解放だけでなく、いまもくりかえし熟読玩味すべき記述が多々ある。そのひとつ。「メーデーは50万人召集した。食糧メーデーは25万人召集した。憲法は、天皇、皇后、総理大臣、警察、学校、鳩まで動員してやっと10万人かきあつめて1分で忘れた」。これも私たちの戦後史である。
 けざやかに耀(かがや)くこの世の奥に妙な色が見えかくれするのは、なんだかけうとい。けうといものとも知らず、こぞって笑いさんざめくのは、なおのことけうとい。
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『差別と日本人』 野中広務・辛淑玉(角川ONEテーマ21)
p125~
●民にとって、「天皇」とは
 1917(大正6)年、「神武天皇稜」を上から見下ろす位置にあった洞の200戸余りの人々は、強制移住を強いられた。
 神武天皇稜は1863年、幕府が造営し、1890年、橿原神宮がつくられた。
 1913年、『皇陵史稿』には、「・・・・神武天皇陵に面したところに、の墓がある。土葬なので、その醜骸が、この神聖な地に埋められている」。このままだと「霊山と御陵の間は、穖多の家で充填され、醜骸は霊山の全部を侵食する」と述べている。
 は、土地を宮内庁に献上するという形を取り、1920年、移転を終えた。しかし、移転先に田畑などはなく、移転費用も僅かで、古家も買えず貧しさは加速された。移転の際には、人だけではなく、墓も「遺骸」も根こそぎ掘り起こされ運ばれた。埋葬後10年たっても遺骸はまだ原形をとどめていおり、とうもろこしのような毛のような遺髪をの人々は自らの手でまとめた。埋葬して2,3年しか経っていないものは腐敗臭もあり、それを担ぎ、排斥運動のあった一般の村を避けて遠回りをして移動させられていった。
 天皇制により、の人々はより貶められていった。
 他方、被差別者には、天皇に対する独特の親近感もまた存在する。
 歴史的には、南朝を代表する後醍醐天皇が、農本主義者である武士=足利政権に対抗するため、非農耕民(流通業者、職人、芸能民、被差別民)を軸足にした政権維持を試みた。もちろんこれは失敗して、南朝勢力は衰亡した。しかし、このとき天皇が被差別者を厚遇したことが、それ以後の被差別階級にとって、天皇家との関係を自分たちの正統性の根拠とする慣習を生んでいった。
 もうひとつは、貴種流離譚との関係。やんごとない人々が政治的迫害や病などの理由で、被差別階級に落ちぶれ、全国各地を流浪するという民話がある。王子と乞食などもこの話の系譜である。
 つまり、被差別者の失われたアイデンティティを補償する存在として、天皇家との関係をシンボリックに強調する傾向(家系図で先祖に天皇家をいれたがる)がある。
 だから、任侠も、右翼も、被差別者も天皇が好きなのだ。

p113~
●オウム真理教事件と破防法
 両親が犯罪を犯したからと、子どもも犯罪者のように扱われ、小学校にも行けないというのは異常でした。住むことも、食べることも、働くことも、公衆浴場に行くことも、電気ガス水道の使用も拒否されるなんていうのは、すさまじい大衆の暴力です。
 朝鮮人が叩かれてる時もそうだけど、政治家は、それはいけないことだと言ってほしい。アメリカのあのブッシュでさえ、「9、11」の後、アメリカにいるイスラム教徒は別なんだっていう話をしたにもかかわらず、日本の場合は、たとえば北朝鮮関連で何らかの問題が起きたのをきっかけに在日がボコボコやられていても、決してそれに対してコメントを出さない。それと同じように、松本智津夫氏の子どもは犯罪者の子どもだということでボコボコにやられていても誰も助けない。つまり、叩いてもいい相手を決めて、集団でストレスの発散をする。
野中 困った民族だ。

p114~
 オウム真理教関係者によるさまざまな犯罪が明るみに出ると同時に、インターネットでは、教祖である麻原彰晃は「民だ」「朝鮮人だ」という言説がまことしやかに流れた。これは、何もオウム関連の事件に限ったことではない。凶悪犯罪が起きる度に、都市伝説のように流される。これは、マスコミが「犯人は外国人風」と報道するのと同じである。外国人とは一体何をさすのか。国籍なのか、肌の色なのか、言語なのか。私は“外国人風”に見えるだろうか。つまり、「日本人」以外の者がやったと言いたいのだ。日本人はいつも善良で、被害者だと思いたいのだ。そして、彼らが言う「日本人」には、民も、日本国籍を取得した人も、アイヌも、ウチナンチュも、ハンディのある人も、セクシャル・マイノリティも入っていない。
 どこまでも徹底して自分たちと他者とを分け、そして、あらゆる問題について、自分たちの社会の問題だということから逃げようとする。そのいけにえとしての民であり、朝鮮人なのだ。

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「天皇陛下、中国副主席と会見」 政治利用


4 コメント

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Unknown (rice_shower)
2009-12-13 09:48:29
心が強ければ、異質なものを包摂出来、結果その免疫力、許容力が強化され、より高く、深い精神文化の領域に生きることが出来る。
排他は心が脆い、暴力の使い方も知らないヘタレの所業。 
強い社会とは、包摂性の高い社会。 
あそこへ行けば自分は包摂される、その社会の一員となり、その社会をより強い社会にする為に、自分も微力を注ぎたい、そう思わせる社会でありたいものです。

天皇は“装置”。 その機能は、為政者、彼らにその行使を委ねる国民の質が決める。 真正保守主義者はそれが凶器にもなり得ることを知っているので、その政治利用には反対するのです。 戦争は言うに及ばず、“平和にも”軽々に利用するな、というのが私の立場かな。

 
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Unknown (ゆうこ)
2009-12-15 16:12:54
rice_showerさん。すてきなコメント、ありがとう。
 天皇さんと習氏の会見についての小沢氏発言、びっくりしました。多数で少数を捻じ伏せるのは、民主主義ではないです。政権を獲ったらこんなことになるのではとの不信感があって、私は民主党へ票を投じなかった。が、危惧したよりも遙かにひどい。経済も普天間も、つまり彼らは政策を持っていない。
 ところで、rice_showerさん。『創』をいつも読まれているとお伺いしたように記憶します。12月号72頁から、鈴木邦男さんの〔明治精神と全共闘〕という言論がありましたね。私も全共闘世代ですので(ノンポリでしたが)、あの頃の風景がよみがえって、懐かしさでいっぱいになりました。ほんとうに、そう(書かれてある通り)だったのです。私の母校でも、外来(他の大学、早稲田とか法政とかの学生)がキャンパスを占拠し、盛んにアジっていました。やがてバリケード封鎖され、授業はなくなったのでした。
 75頁には、rice_showerさんがコメントで話してくださった重信房子さんとお父さまのことも、そのまんま書かれてありました。「娘は右翼」と。http://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/e7e296a106f8a7fdb49447b81eaaa317
 今は、国を憂う、そういう気風はどこにも見られないように思います。犯罪も、連合赤軍、三菱重工爆破、オウム真理教事件といった確信犯事件ではなく、個人の事件に移ったように思います。死刑も、本来公的な根拠を有していたものが、被害者参加制度とも相俟って私的なものに替わったように思うのです。
 rice_showerさん。ありがとう。
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Unknown (rice_shower)
2009-12-15 21:00:00
“気疎い”と云う言葉、このエントリーで初めて知りました。
私が昔から、野中さん、小沢さんに感じていたモヤモヤ感は、これだな、とストンとはまりました。 こちらこそ感謝。

ところで、朝貢的、強圧的というメディアの相変わらずの小沢評はまた、哀れなほど的外れだと思います。

強かでリアルで、“有益(“国益”も包含する)と見切れば”タブーにも突っ込むし、自ら傷を負う事も頓着せぬ、返り血を浴びることをも厭わぬ、汚れた、いや壊死の部位を抱えながらも死なないハト、このポジションを小沢が自民党から完全に収奪した、という事を強く感じます。
何とも、けうとい.....。
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Unknown (ゆうこ)
2009-12-17 16:33:37
rice_showerさん。
>“平和にも”軽々に利用するな
 最初に戴いたコメント。同感です。
>“有益と見切れば”タブーにも突っ込むし、
>自ら傷を負う事も頓着せぬ、返り血を浴びることをも厭わぬ、
>壊死の部位を抱えながらも
 この機動力といいますか無軌道、なぜか惹かれます。
 「辞表、出してから云え」、これも、なかなか言いたくても、云えないことで・・・。
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