稀勢の里が引退表明 2019/1/16 …強行出場した末の劇的優勝の代償は大きかった… 潔さゼロの引退 稀勢の覚悟

2019-01-16 | 相撲・野球・・・など

稀勢の里、引退! 田子ノ浦親方が明かす 横綱ワースト8連敗、地元後援者に勇姿見せられず
2019/1/16(水) 8:46配信 スポニチアネックス
 横綱・稀勢の里(32=田子ノ浦部屋)がついに現役引退を決断した。師匠の田子ノ浦親方(元幕内・隆の鶴)が16日、明らかにした。進退を懸けて初場所に臨んでいた稀勢の里だが、初日から3連敗。昨年秋場所千秋楽から不戦敗を除いて8連敗となり、1場所15日制が定着した1949年夏場所以降の横綱では貴乃花を抜いてワースト記録を更新したこともあり、その去就に注目が集まっていた。
 前夜は東京都江戸川区の田子ノ浦部屋へ姿を見せ、約1時間半の滞在後に部屋を後にした。師匠の田子ノ浦親方と何らかの話し合いをもったもようだが、進退の決断や4日目の出場について態度を明かさず、関係者によると結論を持ち越していた。
  地元・茨城県牛久市の「稀勢の里郷土後援会」はきょう4日目にバス2台の応援ツアーを実施。95人が両国国技館に駆けつける予定になっていたが、地元の後援者に最後の勇姿を届けることはできなかった。
  稀勢の里は17年初場所で新入幕から73場所目にして初優勝。場所後に第72代横綱に昇進した。日本出身横綱の誕生は1998年夏場所後の3代目若乃花以来、19年ぶりとあって、日本中が「稀勢の里フィーバー」に沸いた。
  続く春場所では13日目の横綱・日馬富士戦で左肩上腕付近を負傷しながら、千秋楽で大関・照ノ富士を本割で破り13勝2敗に。優勝決定戦では土俵際での執念の右小手投げで再び照ノ富士を下した。新横綱としては95年初場所の貴乃花以来、22年ぶり8人目の優勝。初場所から2場所連続優勝を飾ったことで「稀勢の里時代」の到来を予感させた。
  ところが、強行出場した末の劇的優勝の代償は大きかった。3場所連続優勝を狙った翌夏場所は、春場所で痛めた患部を悪化させ11日目から途中休場した。その後も故障が完治せず18年名古屋場所まで8場所連続休場。年6場所となった58年以降では貴乃花の7場所連続を抜いて横綱の最長連続休場を更新した。
  進退を懸けて臨んだ同年秋場所は10勝5敗。復調を感じさせ引退危機を脱したかに見えたが、続く九州場所では初日から4連敗。横綱としては87年ぶりの屈辱を味わい、今場所は再び進退を懸けて臨んでいた。
  看板力士として抜群の人気を誇り、相撲界を支えてきた和製横綱だが、ケガに泣き横綱在位は12場所。在位15場所だった入門時の師匠・鳴門親方(元横綱・隆の里)同様、横綱の地位を長く務めることはできなかった。
 最終更新:1/16(水) 9:18 スポニチアネックス

 ◎上記事は[Yahoo!JAPAN ニュース]からの転載・引用です
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〈来栖の独白 2019.1.16 Wed〉
>強行出場した末の劇的優勝の代償は大きかった。
 あの時期、大丈夫か?と、私ですら深く危惧したものだ。愚息は「これは無理だよ。後に響くよ」と言った。無理しちゃ、駄目だよ。
 初場所始まってから連日、NHKTVは取り組みだけでなく、稀勢の里を追い、映した。昨年からどんなに苦しい胸中だったことだろう、と私は痛感してきたが、愚息には「稀勢の里だけじゃないよ。力士みんな、『今日は負けてもいい』って日は、一日も無い」などと会話した…。初場所が始まって昨日は3日目だったが、上位陣(大関、横綱)が、振るわない。そのため金星を獲った関脇などがインタビューに顔を出す。皆、好い顔をしている。一番一番、一日一日、真剣に闘っている、生きている人の顔だ。
 私は能楽が好きで定期的に名古屋能楽堂へ観能に足を運ぶ。「能と相撲に共通点」というと変かも知れないが、能も相撲も、眼に、多くの楽しみをくれる。「装束」も、その一つ。行司の装束も、格によって、履き物に至るまで決められている。ヒエラルキーの世界。
 願わくは、日本出身の横綱を望む。日本の相撲は、単なる格闘技ではない。神技である。
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稀勢の里が引退表明 3連敗で決断…田子ノ浦親方「昨日の夜、引退させて下さいと話がありました。信じられない」
1月16日(水)8時45分 スポーツ報知
 第72代横綱・稀勢の里(32)=田子ノ浦=が16日、現役引退を表明した。15日の大相撲初場所3日目に、東前頭筆頭・栃煌山(31)=春日野=に寄り切られ初日から3連敗。横綱ワーストの8連敗を喫し、一夜明けて「引退」することを決断した。
 師匠の田子ノ浦親方は「昨日の夜、引退させて下さい、引退しますと話がありました。表情等はいつも通りでした。師匠として現実が見られないというか、まだそこまで考えられない。信じられない」とコメントした。
 稀勢の里は2017年初場所で14勝1敗の成績で初優勝し、1998年夏場所後の3代目若乃花以来、19年ぶりとなる日本出身の横綱に昇進。同年春場所では13日目に左腕付け根を負傷しながら出場を続け、決定戦の末に先代師匠の故・鳴戸親方(元横綱・隆の里)と同じ新横綱優勝を飾った。新横綱の優勝は15日制が定着した49年夏場所以降では95年初場所の貴乃花(現親方)以来22年ぶりの快挙だった。
 しかし、けがを押しての出場の代償は大きく、年6場所制(1958年)以降の横綱ワーストとなる8場所連続休場をするなど、地位にふさわしい力量を示せずにいた。
 昨年11月の九州場所で、横綱としては87年ぶりに初日から4連敗して途中休場。場所後に行われた横綱審議委員会では、初めて「激励」決議が出された。九州の休場を決断する際には「このままでは終われない。もう一度チャンスを下さい」と師匠に直談判。不退転の覚悟で初場所に臨んでいたが、無念の3連敗を喫し、昨年秋場所から不戦敗を除き、3場所にわたって8連敗。貴乃花(99年)の横綱ワースト記録を更新。金星配給も通算18個目の不名誉な記録となった。
 最後の相撲となった15日は、くしくも父・貞彦さんの73歳の誕生日。日本中から愛された横綱が、ついに土俵を降りることになった。
*稀勢の里 寛(きせのさと・ゆたか)
 本名・萩原寛。茨城・牛久市出身、32歳。188センチ、177キロ。02年春場所で鳴戸部屋から初土俵。17歳9か月の新十両(04年夏場所)、18歳3か月の新入幕(同九州場所)はいずれも貴乃花に次ぐ史上2位の若さ。10年九州場所で白鵬の連勝を「63」で止めた。11年九州場所後に大関昇進。13年12月に部屋の名称が田子ノ浦に変更。優勝2回。殊勲賞5回、敢闘賞3回、技能賞1回。得意は左四つ、寄り、突き、押し。 スポーツ報知

 ◎上記事は[BIGLOBE ニュース]からの転載・引用です
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稀勢の里の「潔さゼロ」の引退が物語るもの
十枝慶二  | 相撲ライター
 2019/1/17(木) 0:49
 横綱の引き際は潔くあるべき--。そんな美学は、大正時代の名横綱・栃木山から始まった。3連覇を果たした後、1度も土俵に上がらないまま引退した鮮やかな引き際は、引退から6年後の第1回大日本相撲選士権で、現役の横綱・大関たちをなぎ倒して優勝したエピソードでさらに彩られた。栃木山の弟子の栃錦をはじめ、何人もの横綱たちがこの引き際を踏襲し、称賛されたことから、いつしか潔さこそが横綱の「理想の引き際」として揺るぎないものとなった。
 横綱には引き際以外にもいくつかの、「かくあるべし」という理想がある。「受けて立つ相撲を取るべし」「毎場所優勝争いに絡むべし」「品格ある行動をとるべし」などなど。その多くは、常陸山、栃木山、双葉山など、過去の伝説的な横綱たちの理想的な姿から選りすぐられたものだ。それらがあいまって理想の横綱像が形作られ、すべての横綱が、それに近づくことを求められる。
 しかし、実際にはほとんどの横綱が、理想の横綱像と現実の自分とのギャップにもがき苦しむ。それも無理はない。そもそも、横綱昇進の基準が、「2場所連続優勝」という成績が中心で、理想の横綱像に近づけるかを考慮していないからだ。ところが、昇進した途端、理想の横綱像に近づくことを当然のように求められる。じつに理不尽なことだ。
 横綱たちは、そんな理不尽さにじっと耐えて土俵に上がる。彼らは、それぞれに優れた個性を持ち、磨き上げて横綱に昇進した。しかし、横綱の理想像に近づくには、そんな個性を曲げなければいけないこともある。両者の間で揺れ動き、もがき苦しむ。そんな葛藤が横綱たちをたくましく成長させ、個性をさらに磨く。その過程で生まれる数々のドラマが、ファンの心を揺さぶる。
 引退会見で、17年間の土俵生活で貫いた信念は何かと問われた稀勢の里は、「絶対に逃げない。その気持ちです」と答えた。稀勢の里が土俵上で体現し続けた、まっすぐ当たって前に出る、愚直な相撲は、まさしく「逃げない」信念の現れだ。それは得難い個性として多くのファンを引き付け、初優勝、横綱昇進、新横綱場所での大ケガを乗り越えての劇的の優勝として結実した。そして、大ケガをきっかけに不振が続いても、引退せず、休場して出直すという道を選び続けたのもまた、「このまま引退したら逃げることになる」という思いからではないか。「横綱らしくない」「潔くない」という非難は、当然、その耳に届いていたはずだ。しかし、稀勢の里は、葛藤の末に、横綱の理想像に反することを承知の上で、「逃げない」という自分の信念と心中する覚悟を決め、散ったのだろう。
 歴代横綱を見渡してみても、理想の横綱像を体現したといえる者は数えるほどしかいない。しかし、それぞれの横綱には、得難い個性がある。芸術品のような技能を誇る横綱もいれば、破天荒な相撲や言動が魅力の横綱もいる。体に恵まれなくとも精いっぱいの相撲でファンを喜ばせた横綱もいる。横綱とは、一つの美しい理想像として描かれるものではなく、歴代の72人の横綱というピースが集まってできたモザイクのようなものではないか。72のピースの一つひとつに、同じものはない。色も形も違うピースが、それぞれの輝きを放く。その集合体こそが横綱であり、理想の横綱像とは、その輝きをいっそう増すための装置に過ぎないように思える。
 稀勢の里の魅力は、「絶対に逃げない」という信念を貫いたことにある。苦しみぬいたこの2年間は、その魅力にさらに違った彩りを与えた。引退して完成した稀勢の里という横綱のピースは、ほかの71のピースにはない、唯一無二の輝きを放ち続ける。
*十枝慶二
 相撲ライター
  1966年、東京都生まれ。フリーライター・編集者。大学時代は相撲部に所属。卒業後はベースボール・マガジン社に勤務し「月刊相撲」「月刊VANVAN相撲界」を編集。両誌の編集長も務め、約7年間勤務後に退社。教育関連企業での約7年間の勤務を経て、フリーに。「月刊相撲」で、連載「相撲観戦がもっと楽しくなる 技の世界」、連載「アマ翔る!」(アマチュア相撲訪問記)などを執筆。

 ◎上記事は[Yahoo!JAPAN ニュース]からの転載・引用です
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暴力が当たり前のような世界だった角界…スネ傷ある相撲協会幹部らで決別できるのか?
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