押し付け憲法論をめぐる論理の混濁 もはや意味不明の護憲派主張 【阿比留瑠比の極言御免】2016.11.3

2016-11-03 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法/歴史認識〉

産経ニュース 2016.11.3 08:14更新
【憲法公布70年】やはり押し付けの「盗作」憲法
 日本国憲法は終戦翌年の昭和21年11月3日、連合国軍総司令部(GHQ)による占領下で公布された。その成り立ちを振り返れば、「押しつけ憲法」というしかないが、日本国民の手で一度も改正することなく70年が過ぎ去った。
 この問題をめぐっては、安倍晋三首相は「占領軍の影響下で原案が作成された」と指摘し、「私たち自身の手で憲法をつくる精神こそが新しい時代を切り開く」と訴えてきた。これに対し、民進党は前代表の岡田克也氏が「70年間国民が育んできた事実の方が重要だ」と繰り返すように、認識に相当な乖離(かいり)がある。
 事実関係はどうか。
 連合国軍最高司令官のマッカーサーは21年2月3日にホイットニー民政局長に憲法草案の作成を命じ、(1)天皇は国家元首の地位(2)自国の安全を維持する手段としての戦争も放棄(3)日本の封建制度は廃止-の3原則を示した。後に「マッカーサー・ノート」と呼ばれる指示で、日本の防衛法制を過度に縛る9条は、日本の無力化を狙った(2)に由来する。
 民政局は翌4日からマッカーサーの指示に沿って、ケーディス大佐ら二十数人の“素人集団”が原案作成の作業を一気に進め、9日後の13日、日本政府に提示する。その原案は米合衆国憲法などを切り張りした「コピペ」(コピー・アンド・ペーストの略)と呼ぶしかない代物だった
 日本国憲法前文の「われらとわれらの子孫のために(中略)自由のもたらす恵沢を確保」と米憲法は完全に一致する。また、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ」という前文も、1941(昭和16)年に米英首脳が戦後の世界秩序のあり方などについて調印した大西洋憲章にある「一切の国の一切の人類が恐怖および欠乏から解放され」とうり二つだ。
 憲法前文には本来、国の歴史や伝統、文化など国柄が記されるものだが、GHQによる「盗作憲法」をいまだに日本国民は背負わされている。西修・駒沢大名誉教授(比較憲法学)がかつて、憲法原案を作った民政局員8人に話を聴いた際には、みな異口同音に「自分たちの案は暫定的な性格のものであり、早晩、日本国民の手で恒久憲法が作成されるだろうと思っていた」と語っていたという。
 マッカーサーは新憲法で日本を非武装化してみたものの、昭和25年に朝鮮戦争が勃発すると、日本政府に警察予備隊を発足させた。予備隊は保安隊となり、現在の自衛隊になった。
 泉下のマッカーサーも、まさか70年後の日本国民がこの「押しつけ憲法」をそのまま抱き続けているとは夢想だにしなかっただろう。自分たちの占領政策の成功の結果、頑迷固陋(ころう)な護憲勢力が幅を利かせ続けることも。(峯匡孝)

 産経ニュース 2016.11.3 01:00更新
【阿比留瑠比の極言御免】もはや意味不明の護憲派主張 押し付け憲法論をめぐる論理の混濁
 もはや護憲派勢力は、自分たちが一体何を訴えているのか訳が分からなくなっているのではないか。3日の憲法公布70年に先立つ2日付朝日新聞の社説「未完の目標に歩み続ける」を読んで、率直にそう感じた。
 社説は、戦後の占領下で日本政府が作成した憲法改正案には「国民主権」の言葉はなかったと説き、こう指摘する。
 「それが今の姿になったのは、連合国軍総司令部(GHQ)が国民主権の明記を指示したからだ」
 ならば朝日新聞は「押し付け憲法論」の立場にあるのかというと、そうではないからややこしい。「日本国憲法が米国主導で生まれたのは事実だ」(8月17日付1面コラム)と認めつつも、あくまで押し付けではないと言い張るのだから分かりにくい。
 2日付の社説にはこんな一文があった。
 「憲法それ自体は一片の文書にすぎない。自由・平等・平和という憲法が掲げる普遍的な理念にむかって、誕生時の重荷を背負い、時に迷い、時に抵抗を受けながらも、一歩ずつ進み続ける。その営みによって、体全体に血が通い、肉となっていく」
 一読、文意がよく理解できたという人がどれほどいるだろうか。筆者は繰り返し読んでも何を言っているのか腑(ふ)に落ちない。かろうじて「誕生時の重荷」とはGHQが草案を書いたということだろうかと判読したが、誤読かもしれない。
 「時に抵抗を受けながらも、一歩ずつ進み続ける」の部分については、護憲派の反対に遭いながらも、逐条的に改正を続けてより良い憲法にしていくという意味かしらんとも考えたが、そんなわけもあるまい。
 また、別の部分では「憲法に指一本触れてはならない、というのではない」とわざわざ断っている。
 本心では憲法改正にとにかく反対だし、憲法がGHQ製だとは認めたくないのだけれども、憲法信者・憲法原理主義者だとは思われたくないので、抽象論に逃げて言い訳しているようで論理が混濁している。
 9月1日付当欄でも取り上げたが、米国のバイデン副大統領は8月15日の演説であっけらかんと「日本国憲法を、私たちが書いた」と述べているのである。
 駒沢大名誉教授の西修氏によると、ブッシュ前米大統領も就任前の1999年11月の演説でこう語った。
 「われわれは、日本を打ち負かした国である。そして食料を配給し、憲法を書き、労働組合を奨励し、女性に参政権を与えた」
 憲法を押し付けた側が当然の事実としてそれを認めているのに、押し付けられた側が必死に否定しようとしても無駄な抵抗である。
 そもそもGHQは自分たちの占領目的に合致するように憲法草案を作ったのであり、その目的の一つは間違いなく日本の弱体化だった。護憲派は、それを無理に擁護しようとするから「不合理ゆえにわれ信ず」的な信仰の告白のような主張となるのだろう。
 「一時はメディアや野党の改憲反対キャンペーンによって改正反対派が増えていたが、最近は世論も冷静になってきた」
 安倍晋三首相は最近、周囲にこう語り、憲法改正は「急がば回れ」の姿勢で取り組む考えを示している。確かに、護憲派が力めば力むほど、国民はしらけるものかもしれない。(論説委員兼政治部編集委員)

 ◎上記事は[産経新聞]からの転載・引用です
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「私たちが日本国憲法を書いた。日本は核保有国になり得ない」バイデン副大統領、トランプ氏の核武装論批判2016/8/16
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