背番号「42」 ああ、イチロー、そしてジャッキー・ロビンソン

2009-04-21 | 相撲・野球・・・など

ストップウォッチ 背番号「42」
 イチロー選手が日米通算3085本を放った日は、ジャッキー・ロビンソン・デーだった。黒人初の大リーガーがデビューしたのが62年前の4月15日。イチローはもちろん、全選手が背番号「42」をつけていたから、驚いたファンは多かったかもしれない。
 当時、遠征中のロビンソン選手は3つの戦いにさらされていたという。やじと挑発が交錯する激烈な試合、1人だけの粗悪な黒人専用ホテル。そして、脅迫。スポーツコラムニストのジョージ・ベクシーは「野球、アメリカが愛したスポーツ」の中でこんなエピソードを紹介している。
 デビュー翌年のある日、ロビンソンの元に試合に出場すれば撃ち殺すという脅迫状が届いた。ロッカーで笑い飛ばしながらユニホームに着替えるロビンソンに、同僚が声をかけた。「おれたち全員が背番号42をつけよう。そうすれば悪党も誰を狙えばよいかわかるまい」。ロビンソンは答えた。「そいつはありがたい。だが、それでもそいつはおれのことを見つけると思うな」
 もし、この悪党がロビンソン・デーの光景を見たなら慌てふためいたに違いない。チームメートだけでなくメジャー全選手の背番号が「42」。その3割近くが黒人で、しかも日本人選手がメジャーを舞台に大記録を達成する時代になったのだから。
 「よいことをするとアメリカ人と言われ、悪いことをすると黒人と言われる」。メキシコ五輪で拳を掲げ黒人差別に抗議した陸上のトミー・スミスは言った。ロビンソンは高潔にそして勇敢にパイオニアとして重圧と戦って輝かしい戦績を残し、人種の扉をこじ開けた。
 ロビンソンが強いられた苦労と比較はできないが、イチローも日本人大リーガーの先覚者としての責任と重荷を背負って戦ってきた一人。節目の日にあえてロビンソン・デーを選んだとは思えないが、背中の「42」が妙に似合っていた。〔中日新聞2009/04/21 運動部長・末次秀行〕

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