ハイチの“マザーテレサ”須藤昭子医師(クリストロア宣教修道女会)に聞いてみたい、牛や豚のこと。

2010-05-24 | いのち 環境

ハイチの“マザーテレサ”日本人医師82歳、大地震からの復興へ奔走
 産経ニュース2010.3.8 15:43
 「どうか仲間を見捨てないで」。大地震に見舞われたハイチで34年前から結核患者の治療や植林指導の慈善活動を続ける日本人修道女の医師、須藤昭子さん(82)が、日本で被災者支援を呼びかけている。ハイチから一時帰国していた今年1月にハイチ大地震が発生。現地の仲間の安否も分からない中、須藤さんの母校・関西医大(大阪府守口市)が義援金を贈るなど、支援の輪も広がり始めた。「残された人生はハイチの復興に力を尽くしたい」。須藤さんは今後の出国を目指し、病院や学校再建に思いをはせている。
 カトリック信者の須藤さんは兵庫県西宮市内の結核病院で勤務後、昭和51年にクリストロア宣教修道女会(本部・カナダ)の医師としてハイチに渡った。一時期はカナダに滞在したが、平成16年に再びハイチに戻り、地震直前まで首都ポルトープランスから西に約30キロ離れた小都市レオガンで暮らした。
 レオガンでは、80歳で引退するまで「国立シグノ結核療養所」で働いた。ハイチ人は結核の罹患(りかん)率が高く、療養所には連日200人以上の患者が詰めかけた。医療器具は当初、注射器1本だけで、入院病棟も一部は野ざらしだった。間もなく政府が新病棟の建設に着手したが、レントゲンなど医療設備の整備は他国の援助頼みだったという。
 須藤さんが滞在する間、貧困にあえぐハイチ国内はクーデターや国連による経済制裁などで混乱が続いた。町では政情が不安定になるたびに暴動や略奪が繰り返され、外国人は大挙して国外に逃れた。療養所の職員が使う政府の車も襲撃されたが、須藤さんは現地を離れようとしなかった。
 「私が去ったら患者の面倒を見る人がいなくなる。ハイチの人々を見捨てることはできませんでした」
 医師を引退後は、ハイチで仲間たちと環境保全団体を結成。植林活動や子供たちへの農業指導に力を入れ、農業学校設立の協議も進めた。昨年11月に日本に帰国する直前には正式に設立も決まったが、その2カ月後、死者20万人超ともいわれるハイチ大地震が起きた。
 須藤さんは今、同会の東京本部で生活し、出国に向けた準備を進めている。通信手段を持たないレオガンの仲間たちとは連絡が取れず、安否さえ分からない。だが、「日本にいる間にでもできることはある」と日本の政府関係者や医療関係者に支援を訴えている。
 そんな中、母校の関西医大では大学職員やOBなどが約140万円の義援金を須藤さんに託すなど、善意は広がりつつある。義援金は現地の病院や学校再建に役立てるつもりだ。
 「ハイチは私の第2の故郷。一刻も早く国に帰り、患者や仲間たちと国の再建のために働きたい。そして、世界の人々には長い目で復興を見守ってもらい、力を貸し続けてもらいたい」
 須藤さんは、残りの人生をハイチにささげる決意を固めている。
 「ハイチのマザーテレサ」Sr.須藤昭子(83y)
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〈来栖の独白〉
貧困にあえぐハイチ国内はクーデターや国連による経済制裁などで混乱が続いた。町では政情が不安定になるたびに暴動や略奪が繰り返され、外国人は大挙して国外に逃れた。療養所の職員が使う政府の車も襲撃されたが、須藤さんは現地を離れようとしなかった。
 イエスのおられる世界。イエスも、ここから離れようとされなかった。芥川の『羅生門』の世界。親鸞の『歎異抄』の世界。
 震災後、Sr.須藤さんが再び訪れた(帰った)結核療養所。無残に倒壊した建物だが壁に十字架がかけられてあった、という。私はこのような場所にある十字架に、感動しないではいられない。十字架は、このような場所にこそふさわしいものだ。貧困や苦難のなかにあって、一条の光を示すもの、神の威光と人間の尊厳を高く掲げ示すものだからだ。そしてそこから離れようとしないイエスの群像(キリスト者たち)、こういう人たちが私はたまらなく好きだ。こういう生き方に惹かれてきた。振り返って、私の来し方は、どうだったろう・・・。
 だが、今、Sr.須藤に聞いてみたい。殺人処分されている牛や豚についてどう思われますか。そのようにする人間というものをどう思われますか、と。この日頃ほど、生きていることが辛い、悪だと痛感させられる明け暮れは、私の生涯で、無かった。生きている限り、他の生きもの、無辜の生きものの命を奪う。
 北御門二郎氏は「農業は平和的な職業だ」と言い、また「命を奪ってまで生きることはない」と言って、老人になってからは肉を口にしなかったという。
 老人になってから、では私の今の憂さは解消されない。人間存在そのものが疎ましい。神はそのようにこの世を造られたのだろうが、「殺人処分」という言葉の意味する全体に私は慄き、悲嘆にくれないでいられない。沈鬱と不合理性の只中にいる私、もはや何を書いているのか、わからなくなった。
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 〈来栖の独白〉追記2010/5/26
 映画『おくりびと』のビデオを見た。小林(主人公)が納棺夫の仕事を辞めようと、社長(佐々木)のところへ赴く。社屋の2Fに佐々木の居住区はあり、たまたま食事の始まるところだった。河豚の白子を卓上のコンロで焼いている。
 小林に「食べろよ」と勧め、「これ(河豚の白子)だって、ご遺体だ。生きもの(人類)が、生きものを喰って生きている。そうだろ? あ~、死ぬ気になれなきゃ、喰うしかない。喰うなら、美味いほうがいい」。
 小林も口に入れる。熱いので一瞬慌てるが「美味いっすね」。
 社長「うまいんだよね。困ったことに」。
 「死ぬ気になれなきゃ、喰うしかない」のである。「困ったことに」そのように神さまはこの世を造られた。生きものの命を無尽蔵に奪って命を繋ぐ人類。しかし、その一人ひとりにも、必ず100年前後で終わりはくる。そのようにも、神はこの世を造られた。人為、自然を問わず、すべてのものに死が訪れる。
  「命を戴くことへの感謝」「命を奪う悲しみ」、谷川俊太郎さんは、いみじくも次のように言う。

「うし/しんでくれた ぼくのために/そいではんばーぐになった/ありがとう うし…」。 生きものへ、生産者の人たちへ、父母へ、みんなに感謝しつついただきます。

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電気を流した。「豚は一瞬、金縛りのように硬直して、聞いたことのない悲鳴のような鳴き声を上げた」 2010-05-24
  殺処分、過酷な作業 獣医ら「終わりが見えない」
   asahi.com2010年5月24日19時18分
 家畜の伝染病、口蹄疫(こうていえき)との闘いが続く宮崎県。4月20日に始まった殺処分の対象の牛や豚は5月23日時点で14万4千頭を超えた。獣医師や県職員、自衛隊員らが連日、作業を続けているが、処分を終えたのは半分超の約7万5千頭にとどまる。国がワクチン接種後の全頭処分を決めたことで、新たに14万6千頭が対象に加わる。終わりの見えない過酷な作業に、焦りと疲労が募る。職員らに話を聞いた。
 県土整備部に勤める50代の男性職員は、5月のある土曜日、午前7時に出勤した。県庁前には、事務職員も含め、各部局からかり出された男性約100人が集まり、4台のバスで口蹄疫が猛威をふるう同県川南町に向かった。
 男性は殺処分をする獣医師の補助員をすることになり、約1200頭の豚を飼う農場に向かった。白い防護服に身を包み、「立ち入り禁止」の農場に足を踏み入れた。ウイルスを持ち出さないように、作業中は原則として、一度入れば、作業が終わるまで出ることができない。
 男性は、他の職員と豚を追い立て、逃げないように板を持って「壁」をつくり、10頭ほどを豚舎の通路の隅に寄せた。動き回る豚に押され、何度も倒れそうになった。「手袋に豚の鼻が当たると、柔らかくて温かかった」
 獣医師が、大きな剪定(せんてい)ばさみのような器具で豚の腹を左右から挟み、電気を流した。「豚は一瞬、金縛りのように硬直して、これまで聞いたことのない、悲鳴のような鳴き声を上げた」
 排泄(はいせつ)物が防護服に飛び散り、マスクをしていても、強烈なにおいがした。息絶えるまでに、1~2分。「つらい時間だった」
 獣医師は電気を通すとき、一呼吸置いて、逃げようとする豚を器具でしっかり押さえた。本来なら、動物の命を助ける仕事。「苦しめないように、せめて短時間で済ませようとしていたんだと思う」。1頭を処分するたびに、獣医師は汗だくになっていた。
 農場主の男性は、畜舎の外で座り込み、ぼうぜんとした表情で作業を見ていた。県職員が豚の扱いにてこずっているのを見ると、豚の追い込みを手伝ってくれた。「農場主には、豚もおとなしく従った。それが切なくて……」
 午前中は50頭を処分するのがやっとだった。食欲はわかなかったが、体力を保つため、弁当をかき込んだ。
 午後は効率を上げるため、二酸化炭素による殺処分に切り替えた。2トントラックの荷台に豚25~26頭を乗せ、シートをかぶせてボンベからホースでガスを送る。10人がかりでシートを押さえた。しばらくすると中で豚が一斉に暴れて、鳴き始めた。シートを突き破ろうと当たってくる豚を、必死に押さえた。シャツも下着も、汗でぐっしょりぬれていた。
 午後6時半までに処分したのは約300頭だった。
 発生農場での防疫作業を一刻も早く終わらせることが、感染拡大の阻止につながる。「見たくないし、聞きたくないが、目をそらすわけにはいかない」と男性は語った。
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 家畜への「医療行為」が伴う殺処分は、獣医師でなければできず、県外からも約120人が派遣されている。
 応援に来た40代の男性獣医師は、1日約600頭を薬殺する。必死にもがく豚を2人1組で押さえつけ、注射針を刺す。「仕事とはいえ、生き物を殺すのは、つらい」
 作業を終えると、町役場に帰り、全身を丁寧に消毒する。周りは皆疲れ果て、言葉数も少ない。
 「終わりが見えない。肉体的にも精神的にも、通常業務の3~5倍は大変」という。(今村優莉、松井望美)
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「子牛もいた。何のために生まれてきたんだろう」処分用薬剤を140頭もの牛に注射し続けた獣医師 2010-05-23 
 中日春秋2010年5月23日
 牛は、人に身近な生き物だ。けれど、考えてみれば、日常目にするのは、スーパーの食料品売り場に並ぶパック入りのギューばかり。モーと鳴き、草などにれかむウシはこのごろ、ほとんど見ていない▼<うし/しんでくれた ぼくのために/そいではんばーぐになった/ありがとう うし>。先に小社が開いた生物多様性に関するシンポジウムで、谷川俊太郎さんが朗読した詩『しんでくれた』の一節だ。生き物の死が食べ物。そのことを私たちは、時折、忘れる▼宮崎県で発生した口蹄(こうてい)疫の感染が止まらない。避難させていた主力種牛の、そのまたエースまでが感染の疑いに。昨日は発生農家から十キロ圏内の牛、豚全頭を対象にワクチン接種も始まった▼感染しにくくなるが、これは牛や豚の命を救うためではない。もともと感染しても成長していれば致死率は低いという。結局、すべて殺処分される見込みで、その時間稼ぎのための接種なのだから切ない▼ある一日、処分用薬剤を百四十頭もの牛に注射し続けた獣医師の思いを西日本新聞が伝えていた。「子牛もいた。何のために生まれてきたんだろうと考えながら…」▼健康な牛まで殺処分するのは、畜産業全体や私たちの食生活を守るためだ。ギューにも<はんばーぐ>にもならない。でも、彼らが人のために生まれ人のために<しんでくれる>ことに違いはない。
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「うし/しんでくれた ぼくのために/そいではんばーぐになった/ありがとう うし…」 2010-05-18 
 夕歩道 中日新聞2010年5月18日
 さすがに詩人は物事の本質をずばりと言い当てる。一昨日、本紙のCOP10のシンポジウムに登壇の谷川俊太郎さんは、ややこしい生物多様性をこう述べた。「つまり、いただきます、ですね」 いただきます、は日本語特有の言い方だと谷川さんは言う。試しに和英辞典を引くと、食事を始める前のいただきますは英語では言わない、と書いてあった。神への感謝の祈りはまた別のこと。 壇上で彼は詩を朗読。「うし/しんでくれた ぼくのために/そいではんばーぐになった/ありがとう うし…」。生きものへ、生産者の人たちへ、父母へ、みんなに感謝しつついただきます。

五木寛之著『人間の運命』(東京書籍)より
 私たち人間は、地上における最も兇暴な食欲をもつ生物だ。1年間に地上で食用として殺される動物の数は、天文学的な数字だろう。
 狂牛病や鳥インフルエンザ、豚インフルエンザなどがさわがれるたびに、「天罰」という古い言葉を思いださないわけにはいかない。
 私たち人間は、おそろしく強力な文明をつくりあげた。その力でもって地上のあらゆる生命を消費しながら生きている。
 人間は他の生命あるものを殺し、食う以外に生きるすべをもたない。
 私はこれを人間の大きな「宿業」のひとつと考える。人間が過去のつみ重ねてきた行為によってせおわされる運命のことだ。
 私たちは、この数十年間に、繰り返し異様な病気の出現におどろかされてきた。
 狂牛病しかり。鳥インフルエンザしかり。そして最近は豚インフルエンザで大騒ぎしている。
 これをこそ「宿業」と言わずして何と言うべきだろうか。そのうち蟹インフルエンザが登場しても少しもおかしくないのだ。
 大豆も、トウモロコシも、野菜も、すべてそのように大量に加工処理されて人間の命を支えているのである。
 生きているものは、すべてなんらかの形で他の生命を犠牲にして生きる。そのことを生命の循環と言ってしまえば、なんとなく口当たりがいい。
 それが自然の摂理なのだ、となんとなく納得できるような気がするからだ。
 しかし、生命の循環、などという表現を現実にあてはめてみると、実際には言葉につくせないほどの凄惨なドラマがある。
 砂漠やジャングルでの、動物の殺しあいにはじまって、ことごとくが目をおおわずにはいられない厳しいドラマにみちている。
 しかし私たちは、ふだんその生命の消費を、ほとんど苦痛には感じてはいない。
 以前は料理屋などで、さかんに「活け作り」「生け作り」などというメニューがもてはやされていた。
 コイやタイなどの魚を、生きてピクピク動いたままで刺身にして出す料理である。いまでも私たちは、鉄板焼きの店などで、生きたエビや、動くアワビなどの料理を楽しむ。
 よくよく考えてみると、生命というものの実感が、自分たち人間だけの世界で尊重され、他の生命などまったく無視されていることがわかる。
 しかし、生きるということは、そういうことなのだ、と居直るならば、われわれ人類は、すべて悪のなかに生きている、と言ってもいいだろう。
 命の尊重というのは、すべての生命が平等に重く感じられてこそなのだ。人間の命だけが、特別に尊いわけではあるまい。

五木寛之著『天命』幻冬舎文庫
p64~
 ある東北の大きな農場でのことです。
 かつてある少女の父親から聞いた話です。そこに行くまで、その牧場については牧歌的でロマンティックなイメージを持っていました。
 ところが実際に見てみると、牛たちは電流の通った柵で囲まれ、排泄場所も狭い区域に限られていました。水を流すためにそうしているのでしょう。決まった時刻になると、牛たちは狭い中庭にある運動場へ連れて行かれ、遊動円木のような、唐傘の骨を巨大にしたような機械の下につながれる。機械から延びた枝のようなものの先に鉄の金輪があり、それを牛の鼻に結びつける。機械のスウィッチをいれると、その唐傘が回転を始めます。牛はそれに引っ張られてぐるぐると歩き回る。機械が動いている間じゅう歩くわけです。牛の運動のためでしょうね。周りには広大な草原があるのですから自由に歩かせればいいと思うのですが、おそらく経済効率のためにそうしているのでしょう。牛は死ぬまでそれをくり返させられます。
 その父親が言うには、それを見て以来、少女はいっさい牛肉を口にしなくなってしまったそうです。牛をそうして人間が無残に扱っているという罪悪感からでしょうか。少女は、人間が生きていくために、こんなふうに生き物を虐待し、その肉を食べておいしいなどと喜んでいる。自分の抱えている罪深さにおびえたのではないかと私は思います。
 そうしたことはどこにいても体験できることでしょう。養鶏にしても、工場のように無理やり飼料を食べさせ卵をとり、使い捨てのように扱っていることはよく知られたことです。牛に骨肉粉を食べさせるのは、共食いをさせているようなものです。大量生産、経済効率のためにそこまでやるということを知ったとき、人間の欲の深さを思わずにはいられません。
 これは動物を虐げた場合だけではありません。どんなに家畜を慈しんで育てたとしても、結局はそれを人間は食べてしまう。生産者の問題ではなく、人間は誰でも本来そうして他の生きものの生命を摂取することでしか生きられないという自明の理です。
 ただ自分の罪の深さを感じるのは個性のひとつであり、それをまったく感じない人ももちろん多いのです。(中略)
 生きるために、われわれは「悪人」であらざるをえない。しかし親鸞は、たとえそうであっても、救われ、浄土へ往けると言ったのです。
 親鸞のいう「悪人」とはなんでしょうか。悪人とは、誠実な人間を踏み台にして生きてきた人間そのもです。「悪」というより、その自分の姿を恥じ、内心で「悲しんでいる人」と私はとらえています。(中略)
 我々は、いずれにしろ、どんなかたちであれ、生き延びるということは、他人を犠牲にし、その上で生きていることに変わりはありません。先ほども書いたように、単純な話、他の生命を食べることでしか、生きられないのですから。考えてみれば恐ろしいことです。
 そうした悲しさという感情がない人にとっては意味はないかもしれません。「善人」というのは「悲しい」と思ってない人です。お布施をし、立派なおこないをしていると言って胸を張っている人たちです。自信に満ちた人。自分の生きている価値になんの疑いも持たない人。自分はこれだけいいことをしているのだから、死後はかならず浄土へ往けると確信し、安心している人。
 親鸞が言っている悪人というのは、悪人であることの悲しみをこころのなかにたたえた人のことなのです。悪人として威張っている人ではありません。
 私も弟と妹を抱えて生き残っていくためには、悪人にならざるをえなかった。その人間の抱えている悲しみをわかってくれるのは、この「悪人正機」の思想しかないんじゃないかという気がしました。(中略)
 攻撃するでもなく、怒るでもなく、歎くということ。現実に対しての、深いため息が、行間にはあります。『歎異抄』を読むということは、親鸞の大きな悲しみにふれることではないでしょうか。

五木寛之著『いまを生きるちから』(角川文庫〉より
 いま、牛や鳥や魚や、色んな形で食品に問題が起っています。それは私たち人間が、あまりにも他の生物に対して傲慢でありすぎたからだ、という意見もようやく出てきました。
 私たちは決して地球のただひとりの主人公ではない。他のすべての生物と共にこの地上に生きる存在である。その「共生」という感覚をこそ「アニミズム」という言葉で呼びなおしてみたらどうでしょうか。
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3 コメント

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ハイチでの農業学校の建設について (いずみ)
2011-03-15 11:52:01
こんにちは。
兵庫県に住む神戸女学院大学環境・バイオサイエンス学科三年生の廣瀬いずみと申します。2011年1月のNHKの放送を見て、農業学校の建設のお話に興味を持ち、コメントさせて頂きました。
私は、学校の授業の中で、真っ平な地面から畝を作り夏野菜を育てるという農業をしてきました。
また、国際協力にもとても興味があり、将来はソーシャルビジネスをしたいと考えています。
そこで、私に何か出来ることはないかと思い、コメントさせて頂きました。
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Re:あなたへ (ゆうこ)
2011-01-24 17:57:44
ruriさん。
 初めまして。ご来訪とコメント、ありがとうございます。
 親鸞という宗教者がいます。彼は「悩みの達人」と言われたそうです。彼が悩んだのは、決して彼個人(身辺)のことではなかったろうと思います。自分が肉食をするのかしないのかといった形而下的なことではなく、「人間とは何ものなのか」といった、人間存在の根本を悩んだのだろうと思います。教皇さんやSr.須藤さんが肉を食べているか否かということは、私にとりましても関心事ではなく、他の生き物の命を奪わずには生きてゆけない人間とは何なのか、という問いかけ。これは、宗教という範疇に留まらないのでは、と考えます。
 「あなたへ」と書いていらっしゃいます。私(来栖)を特定なさったのではなかったかもしれませんね。
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あなたへ (ruri)
2011-01-24 11:04:28
私は、それらの理由で、18年間肉類を食していません。植物にも心があると思っていますが、食べています。それは、私の心が痛まないから。私自身の心が痛むか痛まないか、それが食物を選ぶ基準です。あなたも肉食をやめられたらいかがですか?ローマ法王が肉を食べるのですから、もちろん須藤昭子さんも食べていると思います。須藤昭子さんは偉い方だと思います。ですがどんな宗教も私は嫌いです。なぜ須藤さんがカトリックの道を選んだのか、わたくしには理解できません。人を助ける為に宗教者になる必要はない、と思うからです。
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