秋葉原無差別殺傷事件〈加藤智大被告〉第10回公判2010.5.25証人尋問 -下-

2010-05-26 | 秋葉原無差別殺傷事件

秋葉原無差別殺傷事件〈加藤智大被告〉第10回公判2010.5.25証人尋問 -上-
秋葉原無差別殺傷事件〈加藤智大被告〉第10回公判2010.5.25証人尋問 -中-からの続き

 《約20分間の休憩をはさみ、この日最後の証人として出廷したのは、事件当日、友人とともに東京・秋葉原を訪れていた男性。男性の友人のJさんは、加藤被告にダガーナイフで胸を刺されて死亡した》
 検察官「あなたは平成20年6月8日、事件現場の交差点にいましたね」
 証人「はい」
 検察官「このとき、この法廷でJさんと呼んでいる方…亡くなられましたが…この方と一緒でしたね」
 証人「はい」
 検察官「Jさんとはどのようなご関係ですか」
 証人「昔の会社の上司と部下という関係でしたが、それ以降も友人関係にありました」
 検察官「知り合ったのはいつごろですか」
 証人「10年…、9年ぐらい前です」
 検察官「会社では、Jさんはどのような立場だったのですか」
 証人「社長でした」
 検察官「どのような会社だったのでしょうか」
 証人「IT業界の開発をする会社です」
 検察官「会社はどのような状態になっているのでしょうか」
 証人「(Jさんと証人が知り合った)数年後に解散という形になりました」
 検察官「それでもJさんと付き合っていたのはなぜですか」
 証人「会社を入ったときから、友人として付き合うようになっていました」
 検察官「事件当日のことについて教えてください」
 証人「前日の夜にJさんから電話があり、『翌日の昼過ぎに友人も入れて遊びに行かないか』と言われました。それで(事件当日の)午前10時に、その友人と遊びに行くために秋葉原に行きました」
 検察官「この日は、Jさんも含めて3人でいたのですか」
 証人「いえ、午前中は私とJさんで秋葉原のパチンコ店にいました」
 検察官「何時ごろまでそこにいたのですか」
 証人「昼ぐらいです」
 検察官「なぜそこを出たのですか」
 証人「昼過ぎに別の友人と会う約束があったのと、『この台だめだ』ということで、昼ご飯を食べに行くことになったためです」
 検察官「あなたたちは事件当時、どのあたりにいたのですか」
 証人「現場の交差点に向かって、中央通りを歩いていました」
 検察官「どのようなことがありましたか」
 証人「前方から『ドーン』という大きな音が聞こえ、われわれから見て左から右の方向に車が通りすぎました」
 検察官「このとき、Jさんはどの位置にいましたか」
 証人「私の右にいました」
 検察官「あなたが見たのは、どんな車でしたか。あるいは、どんな大きさだったか覚えていますか」
 証人「人よりも大きな車だな、という認識しか…」
 検察官「他に見たものはありませんか」
 証人「何か転がるものが見えました。車のところに」
 検察官「それが何か分かりましたか」
証人「分かりません」
 《別の証人はこのとき、「車にはねられた人が宙を舞っていた」と証言している》 
 検察官「交差点付近はどのような様子でしたか」
 証人「周りにいた人が交差点に集まって、ザワザワしていました」
 検察官「何が起きたと思いましたか」
 証人「ひき逃げかと思いました」
 検察官「そう思ったのはなぜですか」
 証人「そのまま車が通りすぎていったからです」
 検察官「Jさんとはどんな言葉を交わしましたか」
 証人「『すごい音だったね』『何だろう、ひき逃げかな』と。私の方から言いました」
 検察官「それに対してJさんは何か言いましたか」
 証人「…ちょっと覚えてないです」
 検察官「結果的には、これがJさんと交わした最後の言葉になってしまったのでしょうか」
 証人「…はい」
 検察官「その後、どんなことが起こりましたか」
 証人「前方の交差点から大きな声で、『ナイフを持っているぞ! 逃げろ!』という声が聞こえました。その声とともに、私たちから見て人垣の左側の人たちがクモの子を散らすようにこっちに向かって逃げ出しました」
 検察官「男は手に何か持っていましたか」
 証人「『ナイフを持っているぞ! 逃げろ!』という言葉から、ナイフだと思いました」
 検察官「それでどうしましたか」
 証人「私は逃げました。周りの人が逃げていたので、逃げなきゃと思いました」
 検察官「どちらに逃げたのですか」
 証人「左の方です。歩道のところにある吉野家(牛丼店)の2階に逃げ込みました」
 検察官「ほかにも(店内に)逃げてきた人はいましたか」
 証人「はい。結構いました」
 検察官「そこにはどのくらいとどまっていたのですか」
 証人「20秒…30秒くらいです」
 検察官「その後、どうしたのですか」
 証人「1階の人が外に出ていったので、私も出ました」
 《男性は外に出たところで、再び加藤被告とみられる男の姿を目にしたという》
 検察官「男は何をしていましたか」
 証人「警察官と対峙(たいじ)していました」
 検察官「そのとき男はどうしましたか」
 証人「警察官にナイフを突きつけたり、振り回したり、威嚇してるように見えました」 
 検察官「それに対して警察官は何をしていましたか」
 証人「うーん…私の方向からは警察官は後ろからしか見えなかったので…」
 検察官「男の服装や顔は見えましたか。どういう様子でしたか」
 証人「髪が短く眼鏡をかけていて服はクリーム色っぽい上着を着ていました」
 検察官「あとで警察署でたくさんの男の写真から犯人の顔を選びましたね? 選べましたか」
 証人「はい」
 検察官「左を見てください。そこに被告がいますが、犯人の男は被告で間違いないですか」
 証人「はい」
 検察官「なぜそう思いますか」
 証人「顔つきですね。多少やせていますが、この男です」
 検察官「同一か確認のために、ジャケットの写真を見てください」
 証人「はい。間違いないです」
 検察官「被害者の姿は見ましたか」
 証人「はい」
 検察官「どこで見ましたか」
 証人「中央通り沿いに倒れている人を見ました」
 検察官「倒れている人の様子や服装は覚えていますか」
 証人「青色のジーンズで、その人の周りで救助している人がいたので顔は見えませんでした」
 検察官「ズボンの色からJさんと思いませんでしたか」
 証人「そうかもしれないと思いました」
 検察官「Jさんが亡くなったのはいつ知りましたか」
 証人「翌朝のニュースで知りました」
 検察官「親しかったあなたはJさんの目標などはご存じですか」
 証人「もともと会社の社長で、会社を解散後もコンピューター関係、ゲームをつくったりしたいという目標を持って、勉強や人脈を広げたりしていました」
 検察官「Jさんの無念さも察することができますか」
 証人「夢に向かっていろいろやっていたので無念だった思います」
 検察官「被告に対する処罰については?」
 証人「そうですね…。起こした罪に対する罰を受けてほしいと思います」
 弁護人「数点だけ質問します。犯人が向かってくる速度は分かりますか」
 証人「そこまでは覚えていません」
 弁護人「犯人の表情は?」
 証人「表情までは分かりません」
 弁護人「犯人が振り回したナイフは警察官に当たりましたか」
 証人「当たった雰囲気ではなかったです」
 弁護人「終わります」
 《次回公判は6月1日午前10時から。引き続き証人尋問が行われる予定だ》

 ◎上記事は[産経新聞]からの転載・引用です

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秋葉原通り魔事件 加藤智大事件
生い立ちへの不満供述 秋葉原殺傷 加藤容疑者身辺整理し凶行か
2008年6月11日 東京新聞朝刊
 東京・秋葉原の無差別殺傷事件で、派遣社員加藤智大(ともひろ)容疑者(25)が警視庁万世橋署捜査本部の調べに、生い立ちや自分を取り巻く状況に不満を持っていたと話していることが十日分かった。取り調べでは涙を流して後悔を口にし「自分に不利なことも含めてすべてを話したい」と供述しているという。 
 加藤容疑者は「何人かはねた後、何人か刺したが、人数は覚えていない」と供述しているが、七人が死亡した事実は認識しているという。捜査本部は犯行の背景には家庭や職場環境、交友関係などに対する一方的な不満やコンプレックス、孤立感が複雑に絡んでいるとみている。
 加藤容疑者は犯行二日前に福井県で買った六本のナイフのうち、一本を犯行日の八日午前八時ごろ、同僚の男性に譲り渡していたことが新たに判明。静岡県沼津市から秋葉原に向かう途中で裾野市に住む派遣先の同僚を呼び出し、段ボール箱にナイフ一本とゲーム機、ゲームソフト数本を入れ渡したという。理由について、「使わなくなったので、あげれば喜ぶと思った。以前から約束していた」と話しているという。
 犯行前には「携帯依存症」と自認していた携帯電話のデータを「周囲に迷惑をかけたくない」と、すべて消去。パソコンやゲームソフトを秋葉原で売却しており、捜査本部は愛用品を処分するなど身辺整理をして犯行に及んだ可能性があるとみている。
 加藤容疑者は犯行時、ナイフ三本を身につけていたことが確認された。右手に殺傷に使ったダガーナイフ、上着の内ポケットに折り畳みナイフ、さらに靴下にも鞘(さや)に入った投げナイフを隠し持っていた。投げナイフは犯行現場の交差点で落としていた。
容疑者の両親謝罪
 加藤智大容疑者の父親(49)と母親(53)は十日夕、青森市内の自宅前で記者会見し、父親が「息子が重大な事件を犯してしまい、亡くなられた方、けがをされた方に本当に申し訳ありませんでした」と頭を下げて謝罪した。
 両親は事件発生後からこの日まで警視庁の事情聴取を受け、午後七時二十五分ごろタクシーで自宅に到着。詰め掛けた約五十人の報道陣の前に事件後初めて姿を見せた。
 父親は「なぜ事件が起きたのか」などの質問に「捜査の関係もあり、お答えできない」と答えた。社会的責任については「心の整理がついておらず、今は具体的には申し上げられない」と述べ、「息子さんに言いたいことは」と尋ねられると、「(捜査当局の)聴取で正直に申し述べてほしい」と淡々と答えた。
 母親は父親の横で泣きながら「ごめんなさい」と頭を下げ、途中からは地面にへたりこんだ。会見は五分ほどで終わった。
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秋葉原殺傷「誰かに止めてほしかった」 加藤容疑者、犠牲者に謝罪も
2008年6月12日 中日新聞朝刊
 東京・秋葉原の無差別殺傷事件で、派遣社員加藤智大(ともひろ)容疑者(25)が、警視庁万世橋署捜査本部の調べに「通報されるなどして、誰かに止めてほしかった」と供述していることが分かった。「亡くなった7人に対して申し訳ない」とも話しているという。同容疑者が事件後、謝罪の言葉を述べたのは初めて。
 加藤容疑者は、携帯電話の掲示板に犯行予告や準備、実行までの経緯などを書き込んだことを認めており、「日記のようなものだった」と話しているという。捜査本部は「止めてほしかった」という供述と、掲示板の書き込みとの関連について調べる。
 一方、犯行の2日前に購入した投げナイフを自宅室内で試し投げするなど犯行の予行演習をしていた可能性があることも分かった。
 同容疑者は使用方法の異なるナイフ6本や特殊なグローブを6日に福井市のミリタリー(軍用)ショップで購入しており、捜査本部はナイフやサバイバルゲームなどのマニアだったとみている。
 捜査本部によると、レンタカーのトラックで通行人をはねた後、降車した加藤容疑者は右手に殺傷力の強いダガーナイフを持っていたほか、上着の内ポケットに折りたたみナイフ、靴下に投げナイフを差し入れていた。捜査本部は、1本のナイフが使えなくなった後も別のナイフで通行人を刺す意図で武装していた可能性があるとみている。
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加藤容疑者、携帯のめり込み凶行か!2月以降書き込み5千回…秋葉原無差別殺傷事件
6月13日8時1分配信 スポーツ報知
 東京・秋葉原の無差別殺傷事件で、殺人未遂容疑で現行犯逮捕された加藤智大容疑者(25)が、警視庁万世橋署捜査本部の調べに「携帯は生活の一部」と供述していることが12日、分かった。犯行予告など多くの書き込みをしたとされる携帯電話サイトの掲示板。“携帯中毒”を自認する容疑者は、今年2月以降だけでも約5000回という大量の書き込みをしていたと見られる。
 携帯サイトという仮想社会におぼれてしまった末の凶行だったのか。捜査本部の調べに対し、加藤容疑者は「携帯は生活の一部。その都度、記録してます」と供述したという。
 2月以降だけでも掲示板に約5000回、1日平均で数十回は「日記のように」書き込んでいた。「携帯なくなったら人生終わり」という記述もあり、勤務中や就寝時以外は、携帯電話を肌身から離さない生活を送っていたとみられる。しかし、その内容は後ろ向きなものばかりだった。
 離婚寸前の両親のことや恋人ができない悩みで自らを「負け犬」「不細工」などと卑下。会社で腹を立てたことなど日々の不平不満を短めの文章で書きなぐっていた。
 現実社会での孤独感を紛らわせるため、ネットの世界にのめり込み、事件当日の8日には「秋葉原で人を殺します」との題名で、自宅出発から実行までを実況中継するかのように計30回立て続けに書き込んでいた。捜査本部は、携帯中毒から犯行までに至った心理状態の解明を進めていく。
 一方で、犯行時の記憶は「署まで連行されたのは覚えている」と供述。トラックで通行人をはねた時点までの記憶はあったが、被害者を次々と刺した状況は「よく覚えていない」と話しているという。捜査本部は極度の興奮状態で記憶が断片的になっていたとみている。
 事件当日の昼前に秋葉原に到着していたが、現場の交差点を往復したり、付近をトラックで何度も走行したりしていたことも分かった。
 調べでは、加藤容疑者はトラックで秋葉原に到着後、現場近くの大型量販店でトイレを借りたと話している。その後、防犯カメラの記録などから交差点から約200メートル離れた昌平橋通りや約500メートル離れた神田淡路町付近を走行していたことが判明。その後、零時半ごろ、信号待ちの車を左側から追い越し交差点に突っ込んでいったという。 
最終更新:6月13日13時51分
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「親とは仲悪かった」=根源的不満か、解明へ-秋葉原殺傷の加藤容疑者・警視庁
6月14日5時30分配信 時事通信
 17人が死傷した東京・秋葉原の無差別殺傷事件で、殺人未遂の現行犯で逮捕された派遣社員加藤智大容疑者(25)が警視庁万世橋署捜査本部の調べに「親との仲は悪かった」と供述していることが14日、分かった。
 同容疑者が書き込んだ携帯電話サイトの掲示板には「親に捨てられた」との記載があり、捜査本部は職場のほかに、親との確執が根源的な不満として存在した疑いがあるとみて調べている。同容疑者は調べに素直に応じているが、直近の最大の不満として職場を挙げたほか、生い立ちを話し始めると涙を流す場面もあり、「親との仲はうまくいかず、悪かった」と明言しているという。
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<秋葉原殺傷>加藤容疑者、流転の人生 はい上がる道失い
6月16日22時54分配信 毎日新聞
 午前5時半過ぎ、バスが市内を回って男たちを拾う。国道を北上する間、晴れていれば朝日に輝く富士が左手に見え隠れする。だが、窓の外を眺める者はいない。
 6時過ぎ、静岡県裾野市の関東自動車工業東富士工場に着く。日本経済を支えるトヨタ自動車の子会社。6時半、始業の合図で派遣社員の一日が始まる。東京・秋葉原の17人殺傷事件の加藤(智大ともひろ)容疑者(25)は、塗装の汚れを肉眼で調べる工程を担当していた。
 わずかなほこりの付着も許されない。10分間のトイレ休憩と45分間の食事を除き8時間立ち詰めで、数時間の残業もざら。汚れを見逃せば工程長が飛んでくる。下手をすれば始末書を書かされる。
 「塗装面をにらんでいると、すぐに目が痛くなる。手でこするから目が真っ赤になる。初日で辞める者もいるが、やつはまじめだった」。一緒に働いた20代の派遣社員が言う。「トヨタの期間工(契約工員)になりたいと言っていた」。応募したが、不採用。
 はかない夢だった。
 5月半ばリストラのうわさが流れた。同22日、工場の空調が壊れ、ふだん物静かな加藤容疑者が「暑い」とイライラを爆発させた。
 今月3日、派遣社員200人を50人に減らすと伝えられた。米国の低所得者向け高金利住宅ローン(サブプライムローン)や原油高の影響で工場は生産を15~20%縮小する。そんな理由は知らされない。「月末で辞めてもらう」。150人がそのひと言で収入を断たれることになった。
 何かが決壊した。5日の出社後に暴れ、姿を消した。
  □    □
 青森市の名門、県立青森高校((青高せいこう))を卒業して、流転の人生が始まった。
 人口8500人の岐阜県(坂祝さかほぎ)町。入学した中日本自動車短大の周囲は里山と田畑が広がる。夜になるとカエルが鳴き、街の灯が遠くに見えた。イタリアの国立フェラーリ工業専門学校と提携し、整備士を目指す若者が全国から集まっていた。
 加藤容疑者は併設の学生寮に入った。周辺にはコンビニと、中華料理店が1軒。
 短大を出て、派遣社員として各地を転々とする。埼玉と茨城では派遣会社の借り上げ社宅で暮らした。
 埼玉の社宅を見せてもらった。3DKのマンションに3人で住む。6畳間3部屋を1部屋ずつ使い、キッチン、風呂、トイレは共用。だが、キッチンの流しに食器はなく、生活臭がまるでない。誰もが6畳間にこもり、音漏れに細心の注意を払うせいか、部屋全体が静まり返っている。
 茨城の社宅では、疲れきって帰宅した40代の派遣社員がこぼした。「事件で派遣に偏見を持たれたら迷惑だ。正社員になれず、仕方なくやっている」
  □    □
 津軽半島の海沿いに、加藤容疑者の母親(53)の実家はあった。(才媛さいえん)とうたわれて青高へ進む。「地元の弘前大に行くくらいなら……」と県外の国立大を受けたが、かなわず、金融機関に就職した。
 父親(50)は青森市に育ち、県立高から同じ金融機関へ。2人は間もなく結ばれ、男児2人をもうけた。加藤容疑者は長男だ。
 父親は努力を重ね、学歴のハンディをはね返し、各支店の営業を統括する役職に上り詰めた。教育熱心な母親は、祖父母に「教育には口を出さないで」とくぎを刺した。「子供は必ず大学へやる」。高卒の夫婦は厳しい態度でわが子に臨んだ。
 期待通り青高に合格し、母親は実家に「智大が合格した」と喜びの電話を入れた。
 高校1年の夏。「成績が振るわない」。母親は沈んだ顔で親類に打ち明けている。夫婦仲は冷えた。
 両親は10日、報道陣の前に姿を見せ、母親は地面に崩れた。テレビで見た親族が電話すると、母親は「亡くなられた方に償いきれない」と泣いた。
 よりどころとなるべき家は壊れ、派遣社員としてどこにも根を張れずに流れていく。浮き草が最後にたどり着いたのは、虚実入り乱れる「アキバ」だった。【まとめ・井上英介】


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