2008/11/15 (73
暁闇(ぎょうあん)の法会(1)
比叡山の春はおそい。
都では梅の花も散り、そろそろ桜の季節もこようというのに、この山中にはまだ雪が残っている。 まして比叡山の山奥にある横川となれば、夜半の寒気はひときわきびしい。
寒さには慣れている。12歳のとき、比叡山への入山をはたしてから、すでに7度の冬がすぎようとしていた。範宴(はんねん)は19歳のきょうまで、毎年この身も凍る寒さを耐えぬいてきたのだ。 お山のきびしさは、寒さだけではない。
「論・湿・寒・貧」
というのが比叡山の名物とされていた。(略)
粗末な食事や、眠る時間のみじかさなどは、覚悟の上だった。都ではたくさんの人が飢えて死んでいるのだ。そういうことではない。
〈自分には仏性がないのではないか〉
この数年間、範宴の心に重くのしかかっているのは、その疑問だった。
伝教大師・最澄が開いた比叡山天台の教えでは、生きとし生けるすべてに仏性がある、という。
「草木国土悉皆成仏」とは、草も、木も、虫も、けものも、石や山河にまで、すべてに仏の命が宿るということだ。涅槃経には「一切衆生悉有仏性」とあるではないか。
〈それが、自分には---〉
ない、と感じるのである。
ごう、と地響きのような音をたてて、突風が吹きすぎた。崖に面した岩場にたっている範宴は、思わず2,3歩あとずさった。(略)
範宴は目がさめたように姿勢をただした。ゆっくりと呼吸をととのえ、下腹部に力をこめる。そして漆黒の空間にむかって、うたいだした。
人の身得ること難しや
仏の御法を聞くこと希なりや
生まれ難き人と生まれて
空しく過ぐさむが悲しき
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〈来栖のつぶやき〉
五木寛之氏の才能、それが仏教と出会い、花開いている。こんなにも豊かに花開き、実を結ぶ・・・。エッセーに感動してきた私だけれど、氏はやはり人並み優れた語り部である。小説家である。いつもいつも私を泣かせてやまない。