いまの世の中に必要なのは人間の心と悪魔の力を兼ね備えたデビルマンです。
悪魔の力とは何か?それは法律と云う理屈を自由自在に操ることのできる能力を有することです。これは先日の記事でも若干書かせて頂きました「戦争に行かない政治家と送出される兵士たち。」もし宜しければ読んでみてください。法律は数百年前に一部の人たちが多数の人間を支配する目的で作られてものです。ですから,法や法律は使い切るものであって,使われては駄目なのです。理論の破綻した理屈ほど惨めなものはありません。集団的自衛権云々の解釈改憲がこれに相当します。
理屈を以て説明することが求められているのに,感情論で説得しようとすると国論を二分することになります。案の定そうなりました。そうなると理屈を自在に操れる側に有利に働いてしまいます。私はこれを仕掛けられた罠と呼んでおります。相手からすると絶好のチャンスです。相手が感情論や道徳で反論する様に仕向けられていることに気が付くべきであります。愚者は経験に学び,賢者は歴史に学ぶを勉強しなくてはなりません。目的と手段を最後まで見失わないことです。手段はいくらでも変更しても良いのです。なぜならば,手段は目的を達成させるためだけに存在するものです。つまり,補佐・補助する役割です。
政府の役割は国論を二分することではありません。国家国民を統治することが役割ですから二分させてはならない訳です。 誰もが,平和で,豊かに,そして幸せに暮らしたいその様に願うのは日本国民だけではなく,世界中の人々が共通する想いです。 しかしながら,その想いをそれぞれの国の国益を考えたときに違いが生じます。この違いを相手に説明する方法として理屈を使うのです。ですから,理屈に対し感情論では話にならなくなり最終的に紛争をすることになります。過去の歴史はすべてそうです。
いつか機会があれば記事にしたいと思いますが,非常に興味深いと申しますか,私がなるほどと感じた内容がひふみ神示「日月神示」にも書かれておりました。書かれていると云っても私個人の解釈によるものです。その一文の中に悪に対する考え方について記述があります「悪を抱き参らせること」「悪を嫌うそなたの心が悪じゃ」云々と他にも記述がありますが,私は繰り返し読んでいて悪であるかどうかと言うよりもその悪を自分が自在に操ることが出来れば良い訳です。つまり,悪と戦いをする必要がないのです。なぜならば,自分が悪を呑み込んでしまえば良い訳ですし,それには純粋バイオだけでは無理です。
日本人は理屈で戦っても100%負けます。日本人のDNA遺伝子には,そもそも理屈と云うものは組み込まれておりません。 例えば,アメリカのハーバード大学のロースクール生と東京大学法学部の生徒で議論すると東京大学の生徒は何も反論できません。ボコボコにされて帰って来ます。なぜか?そんなことは当然なのです。日本人であれば道徳観を基礎基本として理屈を操らなければならないのに,真正面から日本人が最も苦手な理屈だけで議論したって完敗するに決まっています。いくら法律を勉強してもそれ以前の日本人としての誇りを呼び起こさなければ,小学生と大学生がケンカするようなものです。TPP交渉でもハッキリとその違いが認識できたのに,政府は道徳観のみ理屈だけで押し切ろうとしています。それでは勝負になりません。
戦後統治の話になりますが,連合国GHQの総司令官であったダグラス・マッカーサーはこのことをとても良く見抜いていました。それと同時に,日本人は理屈がもの凄く苦手であるから理屈を武器にすれば簡単に統治できると考えていたと思います。その証拠に総司令官ダグラス・マッカーサーは日本人の精神年齢(能力)を小学6年生程度だと言っています。しかし本当の意味は私個人は違うと考えています。マッカーサーが言ったのは,理屈を操れる度合を小学6年生程度だと云ったのではないかと考えています。
それではなぜ日本人は理屈が下手なのか?それは,日本は島国だからです,大陸国とは違い,理屈を以て相手を説得したり,支配したりする必要がなかったのです。つまり,義理や人情の道徳観がなければ小さな島国では皆が共存共栄出来なかったからです。日本は,太古から共存共栄する考えを最も美徳として来た民族です。武士道精神の根底がこれです。いま世界の外国人の間でとても人気があるものが武士道と云う精神性です。もの凄い人気があります。我々日本人ひとり一人にちゃんと組み込まれた道徳観を基礎基本とし理屈と云う力を兼ね備えた人こそが現代においては必要なのです。その精神を宿した民族は世界で日本民族だけです。
理屈だけの国は,相手が自分の言うことを聞かないなら武力もって無理やりに言うことを聞かせるしか方法を持ち合せていません。 争いをしないために理屈対しては道徳観を基本とし理屈を以て立ち向かうことが大事ではないかと考えます。戦をせずに勝利することを考えるべきなのです。日本民族であれば必ずできます。話が逸れますが,中国に老子と云う偉い方がおりました。日本人にも好きな人は多いと思いますし,人生の指針などにされている方も多いと思います。その老子さんも戦いについて様々な君主論を残されております。表面的に相手より勝っていても何の価値もありません。そんなことよりも表面は負けていても実質面で目的が達成されている方が何倍も価値があり,国家国民の利益になると説かれております。私もその通りだと考えます。
そんな理屈(法律)なんて一般市民の人たちが詳しく理解できるわけないだろと怒られてしまうかも知れませんが,何も法律の条文に書かれていることを憶えるのではありません。そんなことしても何の役にも立ちません。無駄であるとは書きませんが,役に立たないことは事実です。なぜならば,そんなことは法律の本を読めば書いてあるからです。本に書いてあることをいちいち憶えても何の価値もありません。道徳と云う民族特有の精神性と理屈と云うロジックのバランス感覚が最も重要です。
では,何か言いたいのかと申しますと,自分の頭で考えると云う癖をつけるなのです。なぜ自分は相手と違う意見を以ているんのか?なぜ自分はこのように考えるのかを自分自身で考えるのです。すでに述べた通り,道徳には違いはありません。違いが生じるのは理屈の部分だけです。どこの国の人でも同じです。
相手の話に素直に耳を傾け,素直に自分で考え,素直に自分の主張や意見を述べることです。 日本人の根底に流れるものとは何なのか?私はそれを「感謝」「反省」「謙虚」「奉仕」「素直」五つの心柱としています。 この五柱を総称して宮柱と呼んでいます。そして道徳である心は高天原として,神様からの波動をチャッチするアンテナを千木と呼んでいます。これには正解,不正解と云うことはなく私個人が思っていることです。
今こそ,人間の心と悪魔の力を兼ね備えた心優しきデビルマンがどうしても必要だと思っています。 私も日々,精進を重ねて行き,皆さんに遅れないように頑張ります。日本は負けねぇ。
感謝・反省・謙虚・奉仕・素直の五つの心柱を伝えさせて下さい! あさひは負けねぇ。クリック応援お願いします!
宮柱太如き立て 高天原に千木高しりて 感謝・反省・謙虚・奉仕・素直の五つの心柱を伝えに来ました。 仕送りの御役 花咲 あさひ 拝 ブログ開設40日目 記事数第48記 素直の心柱 編