こんにちは。
先日も若干,書かせて戴いた「心の鬼が太鼓を叩く 心の鬼が舞を舞う。」今月2月1日から始まった和の仕組みつくり業務改革は,今現在のところ順調に進んでおります。その任された業務の中で感じましたのは,以外に経営者の想いと考え方次第で企業も社員も大いに変わると云うことを実感しております。やはり,始める前から諦めると云うのは,過去の経験や先入観,固定観念で意識や気持ちを縛り付けているのも自分自身であるようです。物事に結果が伴わない場合,省みるのは大切なことだと思います。
神社や寺院で培ったこれまでの経験を企業社会で活かせるかの挑戦でもあるのですが,これが実は不思議と活かせるのです。私も正直,ここまで神社や寺院の護持が活かせるとは思ってもいませんでした。しかし,実際に行動して見ると様々なところ,場面で応用が利くのであります。良く考えて見れば,それもそのはずなのかも知れません。なぜならば,経済活動も元々は信仰の対象であったのですからそれもそのはずです。私たちが脳で忘れていても遺伝子「DNA」にはちゃんと記録(インプット)されています。
気の遠くなる祖先が経験し,体験した膨大な記録は,私たちがフッとした瞬間に蘇る機能を有しているのかのようです。上手く表現できませんが,たとえば,何故か理由は判らずとも肚に落ちるといった感覚を経験されたことがあろうと思います。途方もない歴史の中で,無数の先祖が体験してきた記録がその瞬間に瞬時に私たち子孫へ伝達されていると考えると何だか不思議な感じもします。その途方もない記録「遺伝子・DNA」の根本は,やはり「和」が基盤になっています。和に反すると,和に戻す力が働きます。
私たちが過去に生きていてくれた無数の先祖のお蔭で,私たちは様々なことを体験でき,危難に遭遇した場合にも瞬時に危難を回避する行動に移せるのだと感じています。しかし,ただ一点だけ機能不全に陥ってしまっている記録「遺伝子・DNA」もあるようです。それは,大自然「神さま」自然「精霊」と距離を取り過ぎてしまったことです。たとえば,神社や寺院で手を合わせる人は普通に居りますが,太陽や山や海,畑や田んぼに手を合わせる人はほとんど見ません。逆に,現代では奇妙に見えるかも知れません。
神社や寺院にゴミを捨てる人はあまり居ませんが,山や川,海にゴミを投棄する人が後を絶ちません。それは何故なのかであります。本来,私たちは大自然や自然と一対一の関係なのであります。つまり,自然と自分との間には何も遮る存在がいないはずなのであります。今一度,私たちは大自然や自然と合致・合一することが大切な気がしてなりません。古神道では,これを神と人が合一すると言って「神人合一」「惟神:カムナガラ」と言われて来ました。現代の宗教家でこう言った話が出来ないのは真に残念です。
神社で神主さんにお金を払って祈祷してもらった。祝詞を奏上してもらった。
お寺で住職さんにお金を払って御経を読んでもらった。供養してもらった。
だから良いことがある。先祖が成仏する。願い事が叶う・・・などなど。
これは全く違います。大切なことは直接,何も介在させずに繋がると云うことです。
つまり,自分自身が自然を崇拝し,祖霊を供養すると云う祭祀者になることなのです。
お金は,あくまでもこの世の3次元で有効的に機能する物であります。拝
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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。
私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。
又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。
それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。
菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。
わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。
心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝