こんにちは。
努力は,自分の宝。しかし,努力で得たものは人のもの。これを奉納と云う。手柄は人に与えるもの,自分のものとしないこと。でも,手柄を立てなければ仕事で評価されない。仕事で評価されな変えれば,お客さんから信頼も得られない・・・。手柄ってなんだろう?評価ってなんだろう?こんな問答を心神(しんしん)と昨日しておりました。理屈で論じる訳でもなく,間違い探しのような正解や不正解と云った正誤判断をするわけでもなくごく自然とそんな波動「音霊」が自分の中から湧き上がって来ておりました。
昨日の記事でも少し書かせて戴いたとおり,夕方から社長と面談し話をお聞きしましたが,やはり,知恵をかすのは止めることにしたのです。確かに,住職のしていることは許されることではありません。許される許されないと云う基準は,もちろん道義的な意味もありますが,法律的な面においても同様です。しかしながら,その社長の話をよく聴いていると,どうも憎しみや恨みと云った感情論でしかありませんでした。そのような所謂,紛争を起こさせ,争いを増長させるようなことに知恵を授ける訳には参りません。
それこそ自分の中の心神を穢してしまいます。
わたしとその社長は,仕事上の関係もなく寺院を介した知り合いでありますので,したがいまして,何か困ったことがあるのであれば出来る範囲で無償で協力くらいはと考えておりました。ですが,話しを伺っていると,何かピンときません。話している言葉に重みがないのです。そこで,少し気を集中させて社長の波動を感じ取ると言葉の裏に隠れている邪心が波動となって伝わって来たのです。先日の記事でも書かせて戴いたとおり,言葉でどんなに誤魔化しても波動「音霊」だけは誤魔化すことが絶対に出来ません。
波動を読み取ることを古神道で審神者(さにわ)と申します。
つまり,その社長が私と会った真の目的は,目的を完成させるための手段についての相談ではなくて,仲間になってもらい,自分は高み見物をしようと考えていたのです。こう云った人物は,いざとなったら一番最初に逃げるタイプの人でもあります。これはとても卑怯なことだと考えます。一人で闘うことが出来ないからと云って仲間を集め,その仲間を危険な目に遭わせるようなものだからです。結局のところ,自分一人で闘う勇気がないのです。そう言ったことは社長には告げませんでしたが,そのような類のことには洒落では済まされない事も多いので拘らない方が良いですよとだけ言って,そのあとの時間は日常の雑談程度の話しで終えました。
こう云った上手い言葉に踊らされて,乗せられて自分が損をしたり,犠牲になってしまったりしないように十分に注意が必要な時代だと本当に思います。紛争やトラブルの話を聞くときには,心ここに非ず程度で十分です。それ以上,話にクビを入れて行くといつの間にか自分が当事者になっていたり,巻き込まれたりすることが現実的にあります。そう云った話には一線を明確に引いた上での方が自分の為であります。決して感情的にならず,沈着冷静で自分自身の良心に照らして考えて頂きたいと切に思っております。
本当に強い人は,周りを巻き込むような事は為さりません。拝
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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。
私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。
又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。
それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。
菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。
わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。
心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝