こんにちは。今日は,怒りの心柱です。
先日,わたしの家に,とある新興宗教の信者さんが勧誘に来られました。よくあることですが,片手に教団が発行している新聞紙を持って私に教団の説明やら宗教の話しやらいろいろと話をしながら教団に入信しませんか?と云うことを言いたいのでしょう。女性二人でやって来ました。あとで,わたしも考えて見てみるとどうやら宗教の勧誘には戦略を以て活動されているようです。勿論,戦術ではなく戦略ですから目には見えません。その戦略とは何か?それは,企業のマーケティングを参考にしているのではないかと想像しています。いろいろと教団で策を考え,宗教勧誘が上手く出来そうな場所や人を見つけ出しターゲットにしているようです。
わたしもワザといろいろとその二人の女性に質問してみたりして見ましたが,全然お話にならないレベルです。聞いていて私の方が説法してやりたくなるくらいで,言葉に重みも説得力も説明力も無くすべてがダメです。そんな薄っぺらい言葉で,勧誘している自分自身が内容も理解せず,教団新聞に書いてあることすら解からない人がと言ってやりたいくらいでした。自分の言葉にもなっていない言葉で,書いてあることをそのまま文字図らで朗読されてもそもそも気持ちも何も伝わって来ません。そんな魂の宿らないような言葉ではなく,自分自身の言葉で宗教とはなにか?信仰とは何かを語ってもらいたかったのですがまったく期待外れでした。
一般人には理解できないような仏教用語で長々と何かを話している様子に思わず一度,永平寺にでも行って若い雲水の伽藍説明でも聴いてくれば良いですよと言ってやりたくらいでした。永平寺とは,禅の根本道場でもある福井県にある雲水さんたちの修行道場ですが御存知の方も多いと思います。その永平寺に参拝すると,伝承部と云うところから若い雲水さんが独り来て参拝者に七堂伽藍を案内して回ります。いろいろと施設の話を雲水さんがしてくれるのですが,実は,この雲水さんの話しは,雲水さんの大事な修行でもあるのです。つまり,自分の考えや思いを相手に伝えるためにはどういった言葉を選べば良いのかを修行しているのです。
相手に何かを伝える。その為に,私たちは言葉や文字を使います。普段の生活でも仕事でも誰でも同じです。その際に,自分だけのことしか考えずに何かを伝えたい相手と対話していたらどうなるのでしょうか?相手に解かる伝え方をすることは対人関係でもとても大切なことだと以前,永平寺で修行中の雲水さんを観ていてそう感じました。どうすれば永平寺に来寺して下さった参拝者の人に分かり易く,限られた時間の内に伝えることができるのか?これも禅の根本修行のひとつです。つまり,言霊信仰でもあります。
自分でも解かっていないお題目を何万遍唱えるよりも何倍もまだ行く価値があります。
口を開けば,やれ,安倍政権がどうした,お釈迦さまがどうした,日蓮さんがどうした,教団に入信しない人は地獄へ落ちるだの独り寂しく暮らしている高齢者の人にも同じように勧誘していると想像しただけで,心の鬼が太鼓を叩きはじめ,舞を舞い出してきました。これ以上,話をしていると本当に鬼が出て来てしまうので「お題目も唱えません」「入信もしません」と言って帰って頂きました。あんな言葉に易々と新興宗教に入信してしまう人がいる事に,私はある意味とても危機感があります。ご注意ください。
日蓮さんを崇敬する新興宗教信者のみなさん。
日蓮さんは,伊勢神宮の外宮で宗教家になる決意を宣べました。
それが,3つの言葉です。今の教団に日蓮さんの魂は宿っていません。
愛する人がお家で待っています。はやくおうちにかえりましょう。喝!
毎日,クリック応援ありがとう御座います。
これからも,世界への発信ボタン3つクリック応援宜しくお願いします。
太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。
私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。
又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。
それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。
菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。
わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。
心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝