花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

最後の宮大工 西岡常一棟梁 5

2018年03月03日 08時34分00秒 | 奉仕の心柱

こんにちは。

今日の西岡棟梁が著書で語られている3番目の口伝は,私にとっても興味深い内容です。なぜならば,寺院の本堂を復興する際に本堂に使用する御用材をどこの木材にするかを何度も住職さんや檀家総代,そして大工の棟梁と議論を重ねた経緯があったからであります。その中で,たくさんの山林関係者の方々とも知り合い,とても良い経験をさせていただき,高度な技術が要求される社寺建築について学ぶことが出来たことに感謝しております。そんな本堂復興当初の思い出を想い起しながら書かせて頂いております。

ただ,そこで悩んだことがありました。それは,寺院建立の為に山の木をむやみやたらに伐採する事でありました。つまり,古神道的に云うと立木を伐採することは出来ないのであります。木を伐採することは命をいただくことになるのです。その為に,さまざまなお祀りの仕方やお祭り事をして行きますが,倒木など自然からの恵みとは違い,人間の都合だけで立木を伐採することはしてはいけない事です。そう言った事も含めて協議を重ねて議論し,立木の伐採はせずに,間引きなどで既に伐採された木を調達することになりました。既に伐採された木と云っても木は生きていますので木に宿る御霊「精霊」に対し供養をして行きました。

山の神さま,木の精霊にコトワリを何ヶ月も前から述べ,木の御霊を供養する。製材する前の取り扱いも十分注意しながら,柱や梁などに変わったあとも大切に大事にお祀りをさせていただく。これは最低限しなければならないお祀りであります。

それでは,法隆寺歴代棟梁だけに伝わる口伝であります。

引用著書は前回同様:木のいのち 木のこころ 著者:西岡常一棟梁

3.堂塔建立の用材は木を買わず山を買え。

木の質は土の質によって決まりますし,木の癖は木の心と言っても良いかも知れませんが,それは山の環境によって生まれますな。たとえば山の南斜面に生えた木を例に取ってみましょう。この木の日の当たらない北向きの側には枝が少ないんですな。あったとしても細かくて小さいもんです。逆に良く日の当たる南側には大きく太い枝が出ます。この地形が年間平均すると西からの風が強い場所だったとすると,この木の南の枝は風に押されますな。それで東に捻じれます。しかし,この木が風によって無理に東に捻じられているために何とかしてもとに戻ろうとする性質が生まれて来るんです。この元に戻ろうとする性質をこの木の癖と言いますのや。

すべての木には生える場所によってこうした癖ができますな。

口伝に云う「木を買わず山を買え」と云うのは,この木が伐採されて,製材されてから買うのではなく,自分で山に行って地質を見,環境による木の癖を見抜いて買いなさいと云うことです。なぜかと言いましたら,製材されてしまってからでは木の癖は見わけづらいんですな。この西に戻ろうとする木の癖は,切り倒され,乾燥しますと木の本音を出すんです。この口伝は木の癖の見抜き方を教えているわけですな。それとこの口伝のもう1つの意味は,一つの山で生えた木を持ってひとつの塔を造れということです。

あちこちの山の性質の異なる木をバラバラに買わず,自分で山へ行き,木を見てその山の木をうまく使って一つの塔や堂を建てなさいというているんですな。近ごろは実際に山へ行って木を見るということが難しくなって来ています。それでも私は薬師寺の木を買いに台湾の山へ行きましたで。二千年を越す檜を見て心からよかったと思いましたな。山を見て,木を見ておいたので悔いのない仕事ができたと思っています。この口伝は,次の四番目,五番目の口伝と密接な関係があります。

以上

この第3番目の口伝は,現代の企業経営者や社内の上司や責任者の立場にある方にも人を活用する上で,とても参考になる言葉ではないでしょうか。人も木と同様さまざまな癖を持っています。良い癖もあるでしょうし,悪い癖も同然だれでもあると思います。それが人と云うものですから,その人の癖を上手く活用することは企業にとっても個人にとっても良いことだと思います。日本の過去の偉人も人の活用方法を後世の私たちに言葉として残してくれております。織田信長公に徳川家康公。武田信玄公も同じように人が財産だと言われています。他にも宮本武蔵さんに山本五十六さんなど沢山の先人から私たちに向けた言葉があります。

企業社会では限られた人材と時間,そして資金で結果を出して行くことが常に求められています。日々,その要求に何とか応えられる様に努力をしています。特に,中小企業では人材にも資金にも限界がありますので,中小企業の社長さんとっては上手い人の活用術があるのならば是が非でも欲しいと感じているのではないでしょうか。又,切磋琢磨しながら学んでいるとも思います。

これから様々な社会がタテ型からヨコ型に移行していきます。

金融の世界では始まったようであります。法律がどこまで追いつけるのか?

人の活用も,これまでの様な人をモノと同然に扱う時代は,既に終わっております。そのことにいち早く気が付いた企業経営者も社内の上司も決して命令系に会話をしたりしなくなって来ています。たとえば,あなたとわたしは立場の違いであるだけで,どちらが偉いとか上だとか下だとか言った事ではないと考えている責任者が多くなって来ています。つまり,これまでの命令系では部下も協力会社も動いてくれない訳です。労働集約型の産業社会では当たり前になって来ています。昨日お会いした経営者の方も同じようなことを話されていました。企業が人を選ぶ時代は終わり,人が企業を選び選別する時代のようです。新時代の到来です。拝


 

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を再び伝えて行きます。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝



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