こんにちは。
今日から3月で御座います。昨日は,アルバイトが忙しくブログの更新も出来ないでいました。日中の気温も暖かくて過ごしやすかったのではないでしょうか。郵便局でアルバイトをしていると本当に人材不足を毎回感じています。とにかく若い年代の人たちが入って来ません。荷物などの仕分け作業などでは多少,若い人の顔を観ることが出来るのですが,配達員となるとなかなか募集しても人材確保が出来ていません。いまは農業や運輸業,建設業などの労働集約型産業で人材が不足しています。この5年・10年後どう変わるかとても興味があります。日本の伝統と文化を継承してきた業種や職種もさま変わりして行くのだとも思います。
それでは,昨日の続き,法隆寺の歴代棟梁に口伝されて来た秘伝を書かせて頂きます。
引用著書は一昨日と同様:木のいのち 木のこころ 著者:西岡常一棟梁
2.伽藍の造営には四神相応の地を選べ。
四神というのは中国から伝わった四つの方位の神さまですな。伽藍を造営するなら方位に適した場所を選びなさいというているんです。四つの神というのは,青竜・朱雀・白虎・玄武です。青竜は,勾芒(こうぼう)ともいいまして,春,草木の芽がたつ時期もいいますが,方位でいうと東の神さまです。朱雀は季節は夏,方位は南。祝融(しゅくゆう)ともいいまして,火の神さまですな。
白虎は季節は秋で,方位は西です。玄武は季節は冬,方位は北です。これを地形ではどないなものかといいますと,東の青竜には清流がなければならん。南の朱雀は伽藍より一段低く沼や沢でなければならない。西の白虎には白道が走っていなければならない。
北の玄武には山岳が伽藍の背景になっていなければならない。
伽藍を建てるならこんな土地を選び,南に面し北を背にするように造営しなさいというんですな。
この口伝を法隆寺に当てはめてみましょうか。法隆寺のあるところを斑鳩といいますが,ここの東方には富雄川(とみおがわ)があり,青竜に匹敵しています。南の朱雀は伽藍より一段低く大和川に向かって傾斜し,朱雀に匹敵しています。西にはそんな大きな道はありませんが,西大門の西側に大和川に達する道がありますし,北の玄武に当たるものは矢田山脈(やたさんみゃく)が伽藍の背後に迫っています。こんなふうに法隆寺は四神相応の地に造られていますな。
こうした地相のよさが1300年前の創建当時の伽藍を残すことができた理由かもしれません。
こないにいうと迷信のようですが,たいていの都や城はこうした地に建てられています。南側が低いということは見晴らしがよく,日当たりが良いと云うことですな。北に山と云うのは北風を防ぎ,過ごしやすいと云うふうに推測できますが,東に川,西に道と云うのも何かそれなりに意味があったんでしょうな。今では何故そう云うのかわかりません。
これが薬師寺の場合には当てはまらないところがあるんです。
東には秋篠川(あきしのがわ)があり,南は一段低くなっています。西は平城京西の二坊が貫通して口伝と合っているんですが,北には玄武に相当する山がない。欠相しているんですな。このためではないかも知れませんが,法隆寺が創建当時の七伽藍全部残しているのに,薬師寺で残っているのは東塔だけですわ。科学的やないと言われるかも知れませんが,私は口伝を信じています。
それが伝統だと思っています。こうして今まで引き継がれて来たんです。もし私が伽藍を建てろ言われましたら,迷わずに一番先にこの口伝に従った場所を探しますし,そうでない場所には建てませんでしょうな。
以上
第2の口伝を読んで最初に想像するのが平安京と江戸であります。つまり,現在の京都と東京であります。
所謂,中国から伝わったと言われている風水思想と呼ばれているものですが,実際の日本の風水思想と中国の風水思想では違いがあるようです。日本の風水は独特な風水と云われています。そこで,少し不思議に思うのが,法隆寺は飛鳥時代に建立された寺院であります。そうなると,既に飛鳥時代には風水が和の国「日本」に中国から取り入れられていたことになります。
確か,平城京はシリウス信仰に基づいた設計に都市開発をしていたと思ったのですが,風水が既に日本の都市開発に影響を与えていたというと少し疑問に感じるところもあります。京都や東京は,風水に基づいた都市開発を実施しましたが,私的には奈良飛鳥と云うとどうしてもシリウス信仰の北北西20度構想を思い起こしてしまいます。北北西20度構想とは,つまり,シリウス星を崇拝する信仰形態で神社や寺院の社殿の配置をシリウスを拝む形式にしたものであります。まぁ~,私は,万物同根の古神道ですから風水のことは良く知りません(笑)。風水を意識し過ぎて,風の神さまと水の神さまに祓われないように注意致しましょう。拝
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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。
私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。
又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。
それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。
そしてまた日本人の本当の性質を再び伝えて行きます。
そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。
観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝