こんにちは。
日本の伝統的な履物に足袋があります。わたしも本業では作務衣を着て,足袋を履くのが制服でもあります。その足袋には白色と黒色がありますが,そもそも白色の足袋と黒色の足袋で何か違うのか?今日は,そんなお話を書かせて戴きたいとおもいます。白足袋衆(座敷にあがる人)と黒足袋衆(座敷にあがらない人)こんな言葉を書くとなんだか変に想われると感じますが,実は,わたし達の国は長いこと白足袋衆と黒足袋衆と云う2つに別れていたのです。この考え方は,後に外国へ渡り普及して行ことになります。ブルーカラーやホワイトカラー・ブルーヘルメットとホワイトヘルメットと云う言葉をどこかで聞かれたこともあると思います。
日本人が外国へ渡って広め伝えたものなのか?それとも外国人が日本から持ち帰ったものなのか?
そこまでは知りませんが,私は室町時代か少し前の平安時代末期に大きなことがあったのではと感じています。
日本では背広組に制服組とも云われますね。この白足袋衆に黒足袋衆と云う言葉自体は,わたしの造語でもあるので聞いたことはないと当然思いますが,わたしには白足袋衆に黒足袋衆と言った言葉の方が日本の伝統も文化も差別も区別も端的に表しているのではないかと思っています。白足袋衆と云うのは御座敷にあがる人ですから神職さんも住職さんもそうですし,稽古ごとの先生なんかも皆さん白足袋の衆です。今度よく足元を見てみて下さい。御座敷にあがる人々は白足袋を必ず履いています。無知故に白足袋を履いている人がほとんどだと思います。あちらこちらでいま様々な問題がありますが,問題を引き起こしているのも白足袋衆です。
ハイハイしながら,バブバブ言いながら女子に近づいてくる輩の性非行者は,だいたい白足袋衆です。
先日も1人。手を縛って云々のSM倶楽部のオヤジさんも仕事辞めちゃいましたね。単なるエロオヤジなんですけど。
ハッキリ言ってキモイんです! 自分の奥さんに縛ってもらえばいいじゃないか!
こう言った考え方は,今の日本でもあります。つまり,階級社会には根強く残り続けていますが,どうやらこの考え方にも終わりが近づいて来ているようなのです。しかし,終わり方があまりよく解からないので話になることもあまりないのではないでしょうか。たとえば,労働集約型産業「肉体労働」の業界では,もう既に白足袋衆に力はありません。黒足袋衆の力が増々勢いづいて来ています。それが所謂,若い人たちの就業不足でもある人手不足にあります。白足袋衆がいくら力を保持しようとしても,又,力を誇示しようとしても一昔前の様な思い切ったことは出来ないと感じています。わたしも黒足袋衆ですから現実をよく把握しています。
頭の良い白足袋衆の中にはそのことを早くから察知している人もおります。
わたし達の国の史実(歴史),つまり,日本史を学んでいると本当に面白いことや不思議に感じることさまざまあります。日本の歴史ほど興味深い国は世界にないのではないかと思うほどであります。大変興味深いところでもあるのですが,その中でも,黒足袋衆と云われる人々が復活してくるような感じもしています。特に経済や社会生活の中で大変革を起こせるのは黒足袋衆しかいないのではないかと私はそう考えています。しかし,大変革の大役を担っていても黒足袋衆が祭祀の座や統治に居座ることはありません。
なぜなら,それが,藍色「スサノオブルー」の足袋を履く,藍足袋衆の出現です。
気は強いが力持ちの心優しき黒足袋衆とすべてを兼ね備えた藍足袋衆。
その藍足袋の衆たちは,8割を持たず,相続をしらない。そして,集団としての纏まりがなく,個々別々に存在し任務を果たして行きます。さらに,藍足袋の衆は,白足袋衆にも黒足袋衆にもなることが出来ます。しかし,藍足袋衆は,自分の身を人の上に置くことを拒絶しますし,何よりも集団や目立つことが嫌いなようです。でも,国家に危難が及ぶと誰よりも先に駆けつけるのもこの藍足袋の衆たちです。藍足袋の衆を探すのは難しく,失われたアークを探し求めて行くことと同じことです。つまり,存在することは判っていても,どこに存在するのかは解からないのです。心の森の奥深くから,虎視眈々と今の世の中を観ていることでしょう。
どこで,どのようにして,その雄姿を現してくるのか楽しみです。
鎮守の門が開くとき,門が開けば鳥居が残る。拝
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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。
私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。
又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。
それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。
菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。
わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。
観世音菩薩とともに。花咲あさひ 拝