こんにちは。
私たちの暮らすこの国は,御存じのとおり法治国家であります。
法治国家とは,文字通り,特定の「人」(例えば王様)が力で治める国ではなくて法律が治める国であります。このような話になると憲法が国民を縛るものであると誤解される人がおりますが,憲法の役割は,われわれ国民を縛るものではなく,我々が権力を行使する側である権力者を縛るために存在するものです。これを立憲主義と云います。
そのことは明確に,憲法の条文にも明記されております。(参考までに:99条に云う憲法尊重擁護義務)
そして,この憲法こそが,我が国の最高位に位置する法となります。
私は,この憲法を勉強すればするほど,日本国憲法の根底に流れる考えは神道に通じるものがあると思えてなりません。もっと言えば,宗教全体の根幹に触れるものではないかと思います。よく政治家や憲法学者,法律家の皆さんが憲法や法律を論じると政教分離の原則を引き合いにすることがありますが,元々,憲法も法律も宗教的な概念から出発しているものです。
又,民法や刑法などの個別の法律の原形はフランスやドイツではなく,もっと宗教的な「モーセの十戒律」から来ていきます。それが拡大し,拡張して行く中で規制が増えて行ったと云えると思います。ちなみに,憲法はイギリスの貴族が自分たちの特権を守る(保持)ために国王を縛る目的で制定されたものです。(イギリスの憲法は不文法です)
左翼思想と云われる方が,神道と戦争を結びつけたり,天皇と戦争を関連付けたりしますが,例えば,神道の長い歴史をもっと勉強して頂きたいと思います。神道の考え方に「紛争」「戦争」「訴訟」といった争う考えはありません。
先の大戦(大東亜戦争)では,軍の一部が暴走し,天皇陛下を利用した側面はあると私個人も考えますが,神道そのものが,戦争を誘発するようなことは決して,過去の神道の歴史をみてもありません。これは,国家神道の短い期間に起きた天皇陛下を利用した一部の限定的なお話であると私は考えます。(ちなみに現代は,神社神道です)
神道に大祓詞と云う祝詞があります。この大祓詞の一部に「神集へに集へ賜ひ 神議りに議り賜ひて」という言葉があります。この言葉の意味が何を指すのか?もちろん神社の神職さんであれば勉強されていると思います。これは,神様の世界は武力などの力によって統制するのではなく,何度も何度も話し合い,互いを尊重する様子,国の統治のあり方を言葉として示したのではないかと思います。つまり,民主主義の元が大祓詞と云う祝詞に記載されているということだと考えます。
相手に対し,自分の考えを伝える方法に「言葉」があります。言葉によって,相手に自分の考えを伝えるわけですから,どのような言葉を使えば,相手に自分の考えが伝わるかを勉強することはとても重要なことではないでしょうか。理屈ではなく,真理を言葉で伝えるには心柱がなければ伝わらないと感じています。
立憲主義と民主主義は全く別物ですが,この辺りのことは機会があれば記事にしたいと思います。
安部総理をはじめ,与党の政治家の皆さんにも是非とも大祓詞をもっと勉強してもらいたいと思います。
日の丸は戦う民族の象徴ではなくて,我が国は,言霊の国であるという祈りの民族の証です。
なぜ,聖徳太子が第1条に,和を以て,貴しと為す。を組み入れたのか?・・・。
つつがなきや。