今日18日は観音様の縁日ですね。せっかく,観音様の縁日なので,観音様について記事にしたいと思います。 観音様についてと言っても「観音信仰の発祥」についてと云った方が良いかも知れません。観音様における史実などについては,私よりも宗教史などを専門に書かれている方のブログなどを読まれる方が良いと思います。中には素晴らしい解釈を以て御伝えされている御方もおります。私が個人的にお薦めするブログは「今日は何の日?徒然日記」です。もし宜しければご覧ください。
さて,観音様と聞くと寺院などにお祀りされている木像や石像の仏様をイメージされると思います。確かに,私もそうでした。又,観音様は,人々の願いを何でも叶えてくれる尊い存在であると誰でも想像されると思いますが,実は,そうではないのです。 先ず,何故そのような思想を我々は以ているのでしょうか。それは,平安時代と鎌倉時代の歴史的背景を観察すると理解しやすいと思います。平安時代や鎌倉時代とは一言で云えば「飢餓と疫病の時代」であったと云っても言い過ぎではありません。その飢饉と疫病の時代だからこそ,観世音菩薩が登場したとも言えます。そして,観音様には神様から与えられた唯一の任務がありました。
ここからは私が思い描く宗教観でありますので,話半分で読んで頂ければと思います。つまり,我々の祖先は,飢饉や疫病から逃れさせて貰う為にひたすら観音様にお願いをすることから救世思想が生まれ,その想念が神様を動かしたのではないかと思います。その時に,神様が人間に分かり易い形として見せた姿が観世音菩薩です。そこに,日本仏教の祖でもある比叡山の最澄さんを筆頭に,空海さん,親鸞さん,道元さんに日蓮さんと次々とそうそうたる高僧を誕生させ,迷い苦しんでいる民衆を救いの道へと導くことをさせたのではないでしょうか。神様はそっと陰から弱いものを人を使わし救います。その神様は,祓いの神様でもあります。
昨日も記事にさせて頂いたひふみ神示「日月神示」には,祓いの神様の御祭神名が書かれていることなので,ここに書いても良いと思いますので書かせて頂きます。その祓いの神様とは素戔嗚大神さまで御座います。素戔嗚大神さまでなければ大祓は出来ません。日々の私たちの罪穢れを陰からそっと祓って頂き,すべての罪穢れを一神に背負われているのが大祓の素戔嗚大神さまです。日本神話では,乱暴者の荒くれ者としての神様として描写されていますが事実は全く違うと私個人では考えています。事実,ひふみ神示「日月神示」にもそのように書かれております。過去の歴史や真実を良く観察すると実は真逆のことが多いようです。
神様の世界つまり,神界で起きたことは私たちの暮らす現実界でも転写されることもあるようです。ひとりの人に全ての責任を押し付けて,そのひとりが全責任を負うことは現実社会でもいくらでもある事です。過去の歴史を観てもそのような出来事はあります。本当は悪くないのに,悪いと思われたり,悪いと決めつけられたりなどよく耳にすることもあります。誤解されるなんて言うのもその内のひとつかもしれません。しかし素戔嗚大神さまには太刀打ち出来ません。その辺りはまた別の機会で記事にさせて頂きたいと思います。日本神話とひふみ神示を合わせて読んで頂けると理解が深まると思います。神界のスーパーヒーローは素戔嗚大神です。
観音様は自ら地獄へ飛び込んで行き,苦しんでいる人や困っている人を救済することを唯一の任務としています。この苦しみを救う救世思想が日本仏教の布教活動と相まって,だんだんと平安時代頃から貴族が中心となって何でも願いを叶えてくれる祈願「物質信仰」へと変わって行き,やがて庶民へと浸透して行くようになり,その観音信仰は,現代でも継承され例えば,西国観音霊場などに観られるように沢山の人の信仰を得ています。しかしながら,本来の観音信仰とは自分の願望や欲望を叶えて貰う為に発祥したのではありません。観音様には神様から与えられた任務がある訳です。その任務とは困った人を救うこと。これに尽きます。
したがいまして,観音様は,決して手の届かない高いところから声援するだけではありません。より能動的で,実践的で,実に慈悲深いのが観世音菩薩の正真正銘の実像です。観音様に祈りを捧げるとは,自分の身を観世音菩薩に捧げ,観世音菩薩と共に苦しんでいる人,困っている人を助ける救世の道を歩むことを誓うことになるのです。つまり,自分が観世音菩薩に随伴すると云うことです。ですから,観音様をお祀りすると云う真の意味は,自分自身も観世音菩薩と共にいると云う証です。その勇気と覚悟をもった尊い行為に,神様が力添えして下さるのではないかと私は確信しております。
困っている人を観音様と共に助け,協力し,時には大袈裟な言い方かもしれませんが救済する。そんな尊い存在が観世音菩薩であります。その容姿は,形振り構わず,ただひたすらに苦しんでいる,困っている民衆を何としてでも救いあげると云う強い意志と誇りにあると思います。今日は,観世音菩薩が裸足で飛び出して行った理由も若干,書かせて頂くことが出来ました。
ありがとうございました。合 掌
上の写真は,私の平安時代からの親友の太ちゃんです。あっ!失礼しました。女人高野 室生寺の十一面観世音菩薩(国宝)です。 以前,仙台博物館で東日本大震災復興祈念特別展 奈良国宝室生寺の仏たちに展示された御写真です。撮影は三好和義氏であります。
女人高野 室生寺 公式サイト:http://www.murouji.or.jp/ 室生寺さんは太古の昔,太陽信仰の重要な祭祀場でありました。
私のブログでも以前,ご紹介させて頂きました。「女人高野 室生寺と十一面観世音菩薩」もし宜しければお読みください。 又,本来,私はどこの神社や寺院でも御社殿や本堂を撮影することが出来ません。もちろん仏像も同じですが,今回は掲載させて頂くことが出来ました。感謝致します。
拝 礼
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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。
私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。
又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。
それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。
そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。
そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。
観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝