花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

いまふたたび,南方熊楠 2 再掲載

2018年08月05日 22時33分18秒 | 祭祀と和の国

こんにちは。上の写真は南方熊楠さんでありますが,皆さんはこの写真をご覧になって,どのような思い,感じますでしょうか?写真を観た瞬間に感じたことが音霊「波動」であります。この音霊「波動」が人によって違うのです。それは何故なのかであります。肉眼で見るとただの人の写真です。しかしながら,心の目で観ると人それぞれに感じることが違うのであります。実は,心柱「みはしら」の正体がここにあります。誰の心にも柱は立っています。この心柱に音霊「波動」を誰であっても瞬時に降ろしています。心柱に降ろされた音霊「波動」は,思いを感じさせ,言葉を産み出します。心柱の大きさや太さは人それぞれに違うのです。

人それぞれに思いや考え方が違うと云うことは尊いことなのであります。その違いを認め合い,尊重し合いながら人と接することが思いやりに繋がり,和の仕組みを形成する大切な要素になるのだと感じています。たとえば,自分と考え方が違う,自分が思っていることと違う。だから相手を認めない。こんなことを考えながら生きていては,先は判り切っています。自分が孤立するだけです。

わたしは,何とも言えない優しい音霊「波動」を感じるのです。

純朴と申しますか,まるで少年のような眼差しであります。

南方熊楠さん以外でも,海外で同じように音霊「波動」を上手く観ていたと私が思う方が何人かおります。それは日本でもお馴染みの天才物理学者であるアインシュタインさんや369の数字にこだわり続けたニコラ・テスラさんです。私の勉強不足もあって人物に対する知識はほとんどゼロですが,偶に写真なんかを拝見するとその様に感じます。きっと,学問として体系付けするのに苦労したのではないでしょうか。結論は判っていても,それを理論的に体系的に理屈で説明することに苦戦していたと思います。

音霊を観る時,つまり波動を読み取るときによくあることなのです。観えている対象が,抽象的過ぎてなにが何だか解からないのであります。たとえば,わたしは憲法を勉強しているとき,どうも憲法にある精神は神道そのものだと感じていました。一部の人たちの間で言われている日本国憲法は連合国「GHQ」からの押し付けだから改正するのだと云われていることに実は???の部分も多いのです。自然権思想や天賦人権説まで否定するのは如何か?と感じます。どんな学問であっても最後に辿り着くのが生命です。

またいつか憲法と神道に関する記事で書かせて頂きたいと思います。

音霊や波動と云う言葉でも解かり難いと思いますから,音霊や波動とは直感やヒラメキと思っても良いかも知れません。自分が何か「違う」ことに没入していたりすると急にヒラメキがあったり,理屈もなく直感的に判ったりすることが誰でもあると思います。ですが,ヒラメキや直感で判ってもそれを論理的に相手に説明したり,体系的に説明したりすることが出来るでしょうか?

このように結論的に何となく理解できていたり,解かっていたりするのですが,あまりにも対象が大きいと云いますか大は小を兼ねると云いますか抽象的過ぎて解からないことが多いのです。ただ自分が考えていることとの関係性が解からないだけなのであります。自然の景色を眺めている時などはその典型です。自然からの音霊「波動」を読み取れる「観れる」かどうかだけです。

わたしは,これが不思議で不思議で仕方がありませんでした。だって,みなさん同じ自然の景色を見ているのに,何で人それぞれ違う思いや,感じ方をするのだろうと。同じ自然の景色を見れば,誰でも同じように思い,感じ方をするはずなのに人それぞれ違うのです。そう考えていたときに「和すること」と私の心柱に音霊「波動」が降りて来たのです。つまり自然が発している音霊「波動」は和です。人それぞれ違うからこそ和の仕組みが大切なんだと感じたのです。私たちの遠い祖先も南方熊楠さんも和することでしか人は生存することが出来ないと,その大切さを知っていたのであります。自然との共生もこれもまた然りではないでしょうか。

それでは,また明日。拝

   

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


いまふたたび,南方熊楠 1 再掲載

2018年08月04日 19時31分23秒 | 祭祀と和の国

こんにちは。上の画像は「南方マンダラ」と呼ばれているものです。

今日は,わたしが人物研究をして見たいと感じている1人の南方熊楠さんであります。知り人ぞ知ると云いますか,知っている人は知っている大天才と呼ばれた人物です。私から見た南方熊楠さんは神社や寺院の護持,もっと言えばその奥にある鎮守の森と人間の道徳や生命を人生の後半を掛けて守った御方ではないかと考えているからであります。私も神社や寺院の護持を仕事としていますので,胸に秘めたる想いは同じだと感じてもいます。あの世で南方熊楠さんに会えたなら音についていろいろと話がして見たいのです。音と云ってもいつものように耳に聴こえてくる音ではなく,耳には聞こえてこない音であります。つまり,音霊です。

自然が発する音,人が発する音,モノが発する音などありとあらゆるものが音を発しています。

波動と言い換えた方が解かりやすいかも知れません。南方熊楠さんは,この波動を実に見事に観ておられたのではないでしょうか。たとえば,菌類の研究をされていて新種である菌類の発見をしたタイミングは研究対象物から発する音霊を上手くキャッチ(受信)出来ていたと思います。「ここにいるよ!」「ここにあるよ!」「あそこには新種があるよ!」と言った感じで存在場所を研究対象物が教えてくれるのです。そのことを南方熊楠さんが自分で認識していたかどうかは知りませんが実際にこう言った事はあることなのです。音霊を観ると云うことは対象物と波動が同じになると云うことです。現代科学の最先端分野に量子力学がありますが,その量子力学で引き寄せの法則として証明されているのです。最先端科学である量子力学は,古神道そのものでもあります。

つまり,精霊と一体となり,精霊の誘導によっていたことは確かだと私は感じているのです。

これを古神道では「みちびき」と申します。導きをうけた研究者は精霊と共に研究して行くのですから研究成果も抜群であります。みなさんもご経験があると思いますが,物事が上手く行く時ほど「迷い」はなかったはずです。すんなりと何のトラブルも支障も無く上手く行ったと云う経験はないでしょうか?これがいま科学でも注目されて来ているのです。つまり,人間の想いが先に物事の良し悪し,達成や未達を決めているようです。つまり,自分で発している音霊「波動」が先回りをして決めていると云うことです。

そうなると自分自身の内面を見つめることの大切さも理解できると思います。

人間同士の関係でも同じような事が言えるのかも知れません。相手が変われば自分も変わるのではなく,自分が変われば相手も変わると云うことです。もしかすると,近い将来に量子力学と云う最先端科学を通じて,科学の世界が古神道の復活を提唱し出すかも知れません。科学で研究されていることは,太古の昔に古神道で言われ続けていることがほとんどであるのです。すべての学問も同様に古神道から分派,独立したものに過ぎないのであります。宗教も経済も法律も科学も医学も元の本は古神道から出発しています。

まさに古神道に始まり,古神道に終わるです。

話しを南方熊楠さんに戻しますが,研究対象物との波動が一致し、研究対象物から発せられる音霊を観ることが出来ていたことで,さまざまな研究分野で能力を発揮し,昭和天皇からも絶大な信頼を得るまでになられたのだと感じています。音霊「波動」は観るという言葉がピッタリと当てはまります。聴くという言葉だけでは何か足りないのです。本当にこの音霊「波動」は不思議で素直にならざるを得ない心境にもなります。少し大袈裟かもしれませんが,どんなことでも,どんなものでも音霊を観ることが可能です。

特に,幼い子供や女性は音霊を観ていることが多いのです。

南方熊楠さんは後世,鎮守の森を護持することを通じて,一般世論と政治家や官僚などの権力者に大切なものは何かを問題提起されました。時には激しく,時には優しく分かり易く鎮守の森や神社がなぜ大事であるかを訴え続けていたのです。様々な学問を習得され海外でも非常に高い評価をされた南方熊楠さんと云うことよりも私にとっての南方熊楠さんの印象は古神道の精神を真っ直ぐ伝え続けた人物そのものだと云う印象の方が強いのです。学者と云うより古神道家であります。古神道には自然を崇拝し,祖霊に感謝をする。祖霊祭祀が根本であります。難しい言葉や御経も存在しません。とてもシンプルであるが故に難しく据えられてしまうこともあります。きっと,大自然からの恵みも自然の風景も私たちが生きていることも当たり前になり過ぎているのでありましょう。

これからも南方熊楠さんの生き方を通じて神社と寺院の護持に取り組んで行きたいと思います。拝


  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

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わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


日月神示と天日津久神社 再掲載

2018年08月03日 22時18分05秒 | 祭祀と和の国

こんにちは。

以下の記事は,今年の6月23日に掲載させて戴いた過去記事です。

こんにちは。

昨日は,約一か月半ぶりに千葉県成田市台方に御鎮座されます麻賀多神社と云うところへ参拝をさせていただきて来ました。こちらの神社は,岡本天明さんと云う画家でもあり,神職さんでもあった御方に,あの日月神示が降ろされた天日津久神社が神域奥に御鎮座されていることでも有名で,全国からたくさんの参拝者が詣でられています。ここ数年は,特に神域内は変化して来ました。御社殿は新しくなり,天日津久神社に鳥居や瑞垣が設けられ,麻賀多権現さまをお祀りする場所にも鳥居が奉納されるほどであります。

又,神域内には,東日本一最大と云われている縄文杉も聳え立っております。

わたしの知る限りにおいて,地域の氏神神社で,氏子さん「地元地域に住んでいる人」以外の方々の崇敬がここまで厚い氏神神社はないのではないでしょうか。インターネット上のブログなどで話題にあがっていることで参拝者が急激に増え続けて来たことは確かですが,神社の関係者の方々もまさかここまで多くの人々が参拝に来られるとは想像もしていなかったのではないでしょうか。

先でも書かせて戴いた通り,麻賀多神社が全国的に知られるようになったキッカケとも言える出来事は,昭和の混乱期に降ろされた日月神示と云う自動書記によるものです。この日月神示は,昭和・平成の時代に多くの宗教家や霊能者たちに絶大な影響を与えて行くことになります。日月神示に書かれている内容と申しますのは,ある意味,わたしたち人類への警告的な神示としても知られており,とても厳しいことも実際に書かれています。たとえば,現在の宗教や資本主義に対する警告,食生活に日々の私生活とそれ以外にもさまざまな分野について記載されています。しかし,読む個人にとって理解や解釈が違うことも多いのです。たとえば,日月神示の第1帖のはじめに書かれている「富士は晴れたり日本晴れ」と云う言葉の意味もなかなか理解することは難しいと思います。

わたしも日月神示でたくさんのことを学ばさせて頂きました。初めて読んだときは,正直なにが書かれているのかさっぱり解からず,ただ文字を眺めているだけでした。先程の「富士は晴れたり日本晴れ」と云う言葉も聞いたこともなく,訳も解からず,これは一体なんなんだ?と云う感じでした。読み始めの冒頭から「富士は晴れたり日本晴れ」ですから理解しようとしても理解もなにもありません。しかし解からないまま,理解できないまま繰り返し読んで行く内に,断片的にでも判って来るようになり,自分なりの理解と云うか解釈が出来て来てくるようになったのです。まるで,図柄のないジグソーパズルをつくっているような感覚です。

世界の国々には,たくさんの預言書や神さまからの啓示と呼ばれる書や口伝が存在しています。その中でも,世界で最も多くの人々に読まれている預言書「警告書」は,おそらく新旧約聖書だと思いますが,実は,私たちが暮らすこの日本こそ預言書類「警告書や啓示など」の宝庫だったことを御存知でしょうか?実にさまざまな預言書が日本には実在していました。実在していましたと敢えて書かせて戴くのも其れなりの理由があり,時の権力者によって偽書にされてしまったり,存在自体を否定されて来たものも少なくないからであります。さらに,文字を使った所謂,書物としてだけではなく,口伝と云う方法によっても伝えられて来ています。

世界の人々が日本や日本人と聞くと品質の良い優れたモノつくりや真面目で礼儀正しく,秩序を重んじると云うことを連想する外国人の方々も多いと思います。しかしながら,そのモノつくりの原点と申しますか,日本人の勤勉さや真面目で礼儀正しく秩序を重んじるのはどこからくるものなか?数十万年も前から続く古神道とは何か?神道とは何か?そう言った日本や日本人のことをブログを通じて世界に向けて発信して行けたらよいなと考えております。つまり,日本の和の精神を世界の人々に知って頂きたいと思うのです。そして,日本に観光で来られて,実際に日本の和の文化や脈々と続いてきた伝統に触れていただきたいとも感じています。

一度,ブログのコメント欄を通じて,日月神示の解釈を皆さんと語り合って見たいです。

日月神示は,答えの書かれていない宗教を超越したものです。拝

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


古神道入門 神ながらの伝統 4 再掲載

2018年08月01日 22時31分05秒 | 祭祀と和の国

こんにちは。

今日は,神主さんでもあり,古神道家でもあった小林美元先生が生前に書かれた著書「古神道入門 神ながらの伝統」の4を同書から一部を抜粋して前回同様,書かせて戴きたいと思います。上の写真は,ご存知の方も多いと思います。二見興玉(ふたみおきたま)神社の夫婦岩で御座います。いつも二見興玉神社に参拝させて頂くときには,こちらで海の神さまへ祈りを奉げています。

昔の人々は,伊勢詣と云えば,この二見が浦の海で禊を済ませてから伊勢の神宮へ詣でると云うことが習わしでしたが,時代の移り変わりで参拝の習わしも徐々に変わって来ています。古神道の世界観や古神道家の間では,この夫婦岩は「イザナギの神:男神」と「イザナミの神:女神」としています。そのイザナギの神とイザナミの神の間から太陽神「天照太御神」が誕生すると言われているのです。5月から7月の間にちょうど夫婦岩「夫婦神」の間から日の出の太陽「天照太御神」が昇るようすを観ることが出来ます。

それでは,以下,古神道入門 神ながらの伝統より。小林美元 著

第5章 弥栄(いやさか)の思想と信仰

なぜ,政治を「マツリゴト」というのか。

何度も申しますように,日本語というのは非常に古くから天体の動きを四十八の文字に写していました。あおうえい・かこくけきという一音,一音の声音が,宇宙を象徴的にあらわす符号として整序しておりました。

現代人が想像する以上に,宇宙の原理には精通していたのです。

ですから,

伊勢神宮の恒例のお祭り,二十年に一度行われる御遷宮のようなお祭りにしても,天体の動きに合わせて行われる。祭りを行う月と日と時を非常に大事にして,神代ながらに古代からのしきたりを厳重に伝承して行われてきております。

例えば,御遷宮の祭りは,北斗七星の運行と関係があります。

夕方七時頃,北極星の右上にあった北斗七星が時刻がたつとともに北極星の真上になり,それからだんだん時計の針と逆方向の左へと回っていきます。そして北極星の位置が,ちょうど北斗七星の柄の先の勺のところにくる時間に,神さまに勺で食事を捧げるということで,祭りが進められる。

この一例を見ても,天体の動きと祭りというものが,いかに密接にかかわっているかということが伺われるわけです。そういうことですから,村人の生活がまた社会的な発展に伴って段々と大きくなって,国として発展していく段階になっても同様に,その組織体を統御するために祭り事を行う。

そして国の祭り事が,そのまま村々を統治することになり,いわゆる政治にもつながっていく。

宇宙のカムとの深い関係,交流の中で,村人を一つに束ね結わうことが,祭り事でした。カムの意思に基づいて正しい統治を行なうという,政治の思想の姿があったわけです。だから政治を司る者は,少なくとも宇宙の運行とか自然生命に対する畏敬の念をもった人でないと尊敬もされず,その長たる資格がなかった。

明治の頃までは政治のことを政り事(まつりごと)とも称していましたが,しかし実際歴史的にみると,聖徳太子のように本来の意味での「祭り事」を意識した政治家は少ない。まして今日,政治というと,何やらどろどろとした権力闘争や駆け引きなどをイメージします。政治とは,「マツリゴト」であるということを忘却の彼方に押しやったかのようです。

以上

現代の政治家のみなさんにも読んで頂きたい内容であります。今では,魑魅魍魎の世界となり,ほとんど貴族化している政治家の人たちの頭の中に政治とは「祭り事」であると考えている人がいるのでしょうか?言葉では選挙が近くなったりすると綺麗な言葉を並べますが,日々の政治活動との差は激しいものであるようです。おくそくですが,国体と政体との区別すら理解していない政治家がいても不思議ではなくなってしまっています。これは国家存亡にかかわる重大な事柄でもあるのです。国体とは「祭祀」です。政体とは「統治」です。即ち,祭祀の中心の座に座ることが出来るのは天皇陛下だけであります。そして,統治を司る頂点に存在するのが内閣総理大臣であります。自分は政治家であると言うのであれば,最低これくらいは深く理解して戴きたいと願うばかりです。

 ※ 天皇陛下を祭祀の頂点と表現する人もおりますが,これは違います。頂点ではなく中心です。

   天皇陛下を祭祀の頂点とした明治・大正・昭和の歴史を想い出してください。

    結果,天皇に剣を持たせ軍服を着せたのです。これは,大きな罪です。天皇が持てる剣は,草薙の剣だけです。

ところで,記事本文中に伊勢神宮の祀り事について記載されているように,式年遷宮や恒例祭事の際には,天体の動きに合わせながら執り行うと云うことが書かれております。つまり,北極星や北斗七星をお祀りしているのが伊勢神宮でもあるのです。ここでもう1つ古神道家の間で語られている大切なことを書かせて戴きます。伊勢の神宮は「内宮」と「外宮」の2つの御正宮が御座います。

その2つの御正宮の内,外宮にお祀りされている神さまを豊受大神と一般的に称されますが,その際に,内宮にお祀りされております天照太御神の食事を司る神さまであると云う語り(現在の定説)がありますが,この意味を取り違いされている方が結構,多いのであります。外宮にお祀りされている神さまは「地球神:国常立大神」で御座います。国常立大神をお祀りしていると云うことは地球上に存在するすべては,国常立大神さまのもので御座います。そのことが取り違いされてしまい,外宮の神さまは,内宮の神さまの食事を司る神さまだと解釈されてしまったのです。きっと,過去の文献などに基づいてそのような解釈が通説となって行ったのだと思いますが,外宮は,内宮よりも遙か昔に祭祀場として存在しておりました。つまり,内宮よりも外宮の方が古いのです。

またいつか,機会があればゆっくりと書きたいと思います。

毎晩,北斗七星に祈りを奉げていると「和する事」と声なき声が聴こえて来ます。

北斗七星が大好きな花咲でした。拝

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝