花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

伊勢神宮1300年続く 永遠なる祈り。 再掲載

2018年11月04日 08時29分43秒 | 祭祀と和の国

こんにちは

最近,地磁気が高いのか,地球の磁場が乱れているせいかインターネットの接続状況が凄く悪いです。

さて,今日も過去記事の紹介をさせていただきます。

以下の記事は,2年前の7月2日に掲載した伊勢神宮についての記事であります。 

今日は,伊勢神宮について記事にしたいと思います。私も年に5.6度は参拝させて頂いております。

我が国,日本は太古の昔から神様へ五穀豊穣を祈る(感謝)国であります。その祈りは,今日の現代でも今上天皇を中心に伊勢神宮を頂点として全国の神社で御祭(祭事)されております。私は,経済の原点つまり,経済の本質とはこの五穀豊穣にあるのだと考えています。歴代の総理大臣も1年の仕事始めは,伊勢神宮からです。機会があれば神道と五穀豊穣として記事にしたいと思います。

さて,伊勢神宮の外宮・内宮の両御正宮ともに御社殿は唯一神明造でお馴染みの茅葺屋根に掘立柱で構成されたシンプルでベストな建築様式です。世界的に観ても建築物として,とても評価の高い建築物と云われています。しかし私は,この質素にして美しい御社殿が疑問でありました。皆さんも伊勢神宮の御社殿は何かに似ていると思いませんか?

そもそもなぜ,このシンプルな建築様式が用いられたのでしょうか?そして,20年ごとに式年遷宮を斎行するのでしょうか?式年遷宮を定められたのは今から1300年前の飛鳥時代に天武天皇が御制定され,第1回式年遷宮は後の持統天皇が最初に斎行されました。御存知の通り,我が国,最大の御祀事(神事)であります。

1300年前の日本には,既に法隆寺などに見られる建築様式が確立されていたのに何故,あの唯一神明造であるのか?

その理由は,私の個人的な考えですが,あの茅葺屋根に掘立柱の唯一神明造でなければならなかったのです。

そこには,壮大で永遠なる祈りの意味が込められているのです。   

参拝するとだれでも感じて頂けると思いますが,あの親しみやすさ,馴染みやすさを感じられるその訳は,我々,日本人ひとり一人に受け継がれている遺伝子(DNA)に記憶として記録され組み込まれているからではないかと考えています。なぜか,懐かしく,親しみやすく,馴染みやすい。それは,我々の遠い縄文時代の祖先の想いにまで行き着きます。

伊勢神宮の御社殿の原型は,縄文時代の高床式倉庫がもとです。

つまり,この高床式倉庫を改良したのが伊勢神宮の御社殿です。

国譲りで国津神が天津神に豊葦原瑞穂国を譲りました。そして,天津神の子孫が,國津神の子孫が最も大事に,大切にしていた高床式倉庫を最も格式の高い唯一神明造に変え,永遠に祈り続けることを約束したのです。その壮大な物語が,伊勢神宮にはあります。そして,現代でもその永遠なる祈りが毎日,お祀りされております。正に聖地中の聖地だと思います。

きっと,天武天皇・持統天皇は,敗者を祀ることの大切さ,重要さを知っていて意図的に唯一神明造にされたのではないでしょうか。それと同時に,霊的な影響も知っていたと思います。これは,もの凄いことです。国を譲った国津神の子孫である縄文人が大切にしていた高床式倉庫に装飾品を設けて造り替え,神様の御宮として大事に,大切に,お祀りをする。それだけではなく,20年ごとに御社殿を丸ごと新しくし,常に若々しく保つ。現に伊勢神宮では常若と云う精神が伝わっています。

国譲りの決断をされた国津神の神様に。決して,忘れていません。国譲りの時にお互いで取り決めた約束ごとは天津神の子孫がちゃんと丁寧に,丁重に御守り続けております。と語りかけているように感じます。1300年も続く式年遷宮は,単なる御宮を新しくするだけではないのです。敗者や負けた相手を永遠に労り,その功績を讃え,称賛する。そのことで,争うことがなく国民一体となることを何よりも望んだのだと思います。そのことは,過去様々な文献でも照見されます。聖徳太子の和を以て,貴しと為す。などもそうです。もちろん,神道の大祓詞にもあります。

私は,ここに日本人特有の精神が見て取れると感じています。敗者を先ず祀ると云う思想です。これは,その後の武士道精神の根本としても残り,現代の日本人の精神でもあると思っています。負けた者を哀れみ,負けた者に対する情けや称賛,その功績を称える。そして,それができる民族が日本人だと思うのです。

伊勢神宮へ参拝を計画されている方は,そのような考えもあるのだなと思って御社殿に参拝してみて下さい。

武力によって,相手を滅ぼしたり,制圧したり支配したりする考えは日本古来の考え方ではありません。拝

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


多賀宮の神さまとの再会 再掲載

2018年11月03日 06時08分45秒 | 歓びの心柱

こんにちは。上の写真は,伊勢神宮「外宮」まがたま池側の鳥居です。神域内では,写真が撮れないのでここが限界です。偶に,神宮に御参りに行かれる御人で,内宮のみで参拝を終わらせる方がいらっしゃいますが,是非とも外宮に先に御参り後,内宮に参拝して頂きたいと思います。外宮に先に参拝することを昔から外宮先祭と申します。昨日,日月神示と天日津久神社の記事を書かせて戴きましたが,今日は,私が感じる天日津久神社と同じ神気を感じるもうひとつの神社と云うか御宮を書かせて戴きたいと思います。

その御宮は,伊勢神宮「外宮」神域内に御鎮座されます多賀宮と云う第1別宮です。

外宮に参拝されたことのある御人であれば,御正宮への参拝後に行かれたこともあると思います。小高い丘の上に御鎮座されていています。御正宮から御池にかかる亀石を渡り,真っ直ぐ直進すると左側に98段の石段があり,その石段を上がり行くのですが,この98段の石段も神気が凄いところであります。98段の石段であれば,さほど体力的にもキツイ感じもしませんが神気が強いせいか何なのかとても体力を必要とするときがあります。わたしの知り合いの人と参拝した時は,その知人は息切れが凄く,ドキドキ感が石段を上がっているときずっとしていたと話しておりました。やはり,神気の強い場所への立ち入りは注意が必要であります。

これまでもブログを通じて,御神体や祭祀場への立ち入る意味を書かせて戴いて来ましたが,パワースポットだから誰でもパワーが貰える云々では絶対に止めた方が良いと思います。特に,古神道系の祭祀場所は,大自然や自然のエネルギーがもの凄いですから生身の人間が容易く立ち入れる場所では本来はありません。たとえ,神社が許可をしていてもそこに遊び気分の気持ちが少しでもあるのであれば本当に止めておいた方が身の為であります。神さまが祟りを齎せることはありませんが,神さまが鎮まり,御眷属神がいる場所で不敬なことがあると簡単にその人の人生が変わってしまうこともあるのです。冗談でも何でもありません。マジ話です。

多賀宮もそうのような威厳に満ちた祭祀場所でありますが,わたしが初めて多賀宮を参拝させて戴いた時のあの声「音霊・波動」の主は一体誰なのか?偶に,思い出しては考えています。外から聴こえてくる声ではなく,私自身の中から聞こえて来た言葉でした。その内容を書くことは出来ませんが,再会を連想させる言葉でありました。その後,何度も参拝をさせていただいておりますが,同じようなことは一度もありません。御宮も現在の位置ではなく,式年遷宮前の方です。つまり,今で云う反対側の御敷地です。

これは,あくまでもわたし個人が感じている直感力「インスピレーション」ですが,外宮の多賀宮に御鎮まりになられる神さまは旧約聖書を書かせた神さまではないかと云う想いが凄くあるのです。新約聖書ではなく,旧約聖書の方です。きっと,外国人の方で感受性が高く,旧約聖書に想い寄せられる御人であれば何か特別な感情と申しますか,心の奥底で感じることがあると思っています。とは言っても,わたし自身が旧約聖書も新約聖書も読んだことがないので,聖書に何が書かれているのかは知りません。ただ感じるままに書かせて戴いているだけであります。外宮に参拝されることがあれば,是非とも多賀宮の神さまへも参拝されて下さい。

再会を感じ神気に満ちた御宮でした。拝

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

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わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


わたしたちは奴隷じゃない。若者たちの逆襲。再掲載

2018年11月02日 07時20分05秒 | あさひの経済新書

こんにちは。

最近は,企業経営の業務に携わることが多くなって来ているせいか,経済や経営に関する学びの時間が多くなっています。個人的に経済は,とても苦手な分野で不得意なのです。しかし,苦手意識で不得意だからと言って逃げていては仕方がありませんので,なんとか業務をこなしています。これまでもブログでは,経済についてわたしなりの考えや感じていることを書かせて戴いて来ましたが想像して来た以上に,これまでの常識が増々,通用しなくなって来ている感があります。いま経営者に大切なことはなんでしょう。

たとえば,人の雇用についてもそうですし,資金の調達にしても然り,会社の理念や指針についても変化が求められて来ているようであります。若い経営者よりもむしろ年配の経営者の方が大変な思いをされているのではないでしょうか。若い人たちの価値観を理解しようとしてもなかなか難しいと感じてもおります。その一方,若い経営者にとって一番不足しているものと云えば会社を運営して行く資金です。つまり,金融の分野ですが,この金融も大きく変わって来ています。これから暫らく金融の流れを注視します。

もう新卒で入社しようが,中途で入社しようが定年まで同じ会社に勤める時代ではなくなっています。他に条件の良い会社があれば,直ぐにその条件の良い会社へ転職してしまいます。そう云った会社に残ってもらい優秀な人材を留めて置く為に会社の経営陣は,人事考課を見直し,新たな仕組みを構築しても職業の選択は自由と云われ同業他社や競合している会社へと簡単に転職してしまうのです。昔のように愛社精神や忠義・忠誠なんて云う言葉で会社の従業員を留めて置けるかと云うともうそれも通用しません。

それとは逆に,あまり待遇に差を設けてしまうと今度は,他の従業員から不平等だと言って非難されてしまいます。非難されるくらいならまだ良い方で,最悪,社長は差別主義者だと呼ばれている経営者の方も実際にいるのです。自分たちは奴隷じゃない!こんな言葉も職場で聞くようになって来ました。つまり,若い人たちは,気が付き始めたのです。会社の為に働くと云う言葉には騙されないのです。終身雇用や年功序列が約束されていた所謂,日本型経営の時代に起業した経営者ほどいまは苦戦を引いられております。

ただ働けでは若い人は動きません。企業が成長する為には,若い人の燃えさかるようなエナルギーが絶対的に必要です。こう云った若い人たちを会社の経営陣が積極的に登用し,確保して行けるかどうかで会社の成長も決まって行くようになります。これまでの常識に囚われず,困難なことにも果敢に挑戦して行く若い人たちのエネルギーを上手く企業経営者も活用して行かなければなりません。いつの時代も変革をもたらして来たのは若い人たちのエネルギーです。若い人たちが活躍できない企業に未来はありません。

もはや,若者に口先だけの偽りは通用しない。

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


心優しき動物たちへのオウムの恩返し。物語後段 再掲載

2018年11月01日 07時53分21秒 | 祭祀と和の国

こんにちは。仏教の経典である雑宝蔵経(ぞうほうぞうきょう)の121物語中のオウムの恩返し「雑宝蔵経 天はすべてを観ています。」「オウムの恩返しと動物たちの優しさ。物語前段」を2日程,記事にさせて頂きましたが,このオウムの恩返しの前段部分は,鎮守の森で平和に暮らしている心優しき動物たちが,エサを探し求めて森の中で迷っている一羽のオウムに優しく声を掛け,木の実や美味しい御水などをたくさんあげて夜は,オウムが寂しくないようにと安心して寝ているオウムの回りを動物たちが囲んで寝ていましたと云うお話でした。そして,翌朝,たくさんの心優しい動物たちの愛情でグッスリと寝ることができたオウムは自分の故郷を目指し,たくさんの動物たちに見送られながら飛んで行きました。ここまでが,このオウムの恩返し物語の前段部分です。

そして物語は,後段に入ります。物語の後段では,

自分の故郷に何とか戻ることが出来たオウムは,鎮守の森で出会った沢山の動物たちの真心とその恩を感じ,鎮守の森での出来事を他の動物たちへ話していました。その様子を想像すると余程,オウムは嬉しかったようです。私たち人間でも自分の力だけではどうすることも出来ない事柄がたくさんあります。たった1人の力には限界もあります。そんな時,友人や知人などの協力者が居てくれるおかげで何とか問題を解決出来たり,難問を乗り越えることが出来た経験は少なからず誰にでもあると思います。助け合ったり,補いあったり,支え合ったりと本来,人間社会においてもお互い様のはずです。いつの間にか,私たちは臆病者になってしまったのかも知れません。このオウムの恩返しの物語は前段と後段で観ると興味深い点がたくさんあるように思えます。前段では,自分から率先して困っている存在に対し積極的に語りかけ,ひとり一人が自分の出来る範囲で皆で協力している様子を物語っています。又,後段では,困っている時に助けられた恩を忘れずに感謝し,相手が困った時に自分から率先して行動に移す様子を語っています。

つまり,前段も自分に置き換え,後段も自分に置き換えた場合の両面を考えることが出来る訳です。これは,神道で云うところの一霊四魂「魂の働き」と呼ばれる思想に似ていると私は感じています。機会があればまた記事で書かせて頂きたいと思いますが,一霊四魂と云う神道の思想概念には,人は誰でも「荒魂」(あらみたま)と云う働きと「和魂」(にぎみたま)と云う働きと「幸魂」(さきみたま)と云う働きと「奇魂」(くしみたま)と云う魂には四つの働きがあると言われています。たとえば,前段の勇気を以て,自分から率先して行く勇ましさは正に「荒魂」の働きですし,困っている人の役に立ちたいと云う思いと皆で協力する姿勢は正に「和魂」の働きそのものです。物語の前段を読んだだけでも,この作者は人間の本来の在り様を動物に例えて書かれたのではないかと思います。本当に,このオウムの恩返しに学ぶところは沢山あります。見方を少し変えるだけでもいろいろ勉強もできます。

そして後段,最後の箇所では,

親切にしてくれた鎮守の森が山火事になってしまい,いてもたってもいられないオウムは,とっさに川へ飛び込み自分の身体をビショビショに濡らして山火事を消そうと鎮守の森に向かいました。しかし,山火事の現場に着くころには身体の水が乾いてしまって,自分の身体をブルブル降っても数滴しか落ちて行きません。それでも構わず,何度もなんども川に飛び込み身体をビショビショに濡らし再び,山火事を消しに向かいますが,結果は同じで数滴しか水が落ちて行きません。無理だと判っていても助けたい一心で山火事に向かうオウムの姿は,災害活動に従事される警察・消防・自衛隊の救済活動によく似ていますし,私たちの日常生活の場や企業社会でも聞くことがあります。そして,一生懸命に努力している人を努力をしない人が嘲笑い,そんな利益にならないことをよくやるな。そんなことしても無理だ。無駄なことだよ。と云う場面はどんな社会でもあることです。それでも,諦めずにただ「助けたい」と云う一心で純粋な心が天津神と国津神,八百万の神々にも通じ,神様の御加護あったのです。神様が放って置くはずがありません。オウムも突然,これまで晴天だった空が曇りだして大雨が降って来たのですからビックリしたのではないでようか(笑)

オウムも自分が困っている時に優しく,助けてくれた動物たちの恩を忘れず,自分の力だけでは到底,為し得ない困難なことであっても決して諦めず果敢に挑戦する態度とその姿勢は物語とは云え,今の現代でも理想とされ求められる人物像であるのかも知れません。その姿は天津神,国津神,八百万の神々様もずっとご覧になられています。そして私たちの祖先もすべてを観ています。果敢に挑戦する勇者(子孫)を誇らしく思っているのではないでしょうか。もしかすると,天国で友人や知人に自慢しているかもしれませんね。又,祈るとは行ずることだと云うことはひふみ神示「日月神示」にも多く書かれています。祈りと行ずることで結びます。拝

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝