ふと思いついて、おはかまいり、ゴー。
大きなしいの木の下がおはかなんだけど、
田舎ゆえ、せみがぶんぶん!
顔面、体、とにかくすべて、体当たりしてくる。
おまけにあまりに多いので、鳴き声であたりは「うわわわわん」ていう音響に。
冗談でなく、耳が痛くなるほどでした~。
暑い中これでは仏様も大変ね。
そんな中、飼い主はお墓に水撒きやら、
お線香上げたりしていたのですが、犬の彼女は、
こんな具合に日陰でずっと涼んでいました。
つながれていたんだけどずっとにこにこ。
とても楽しそうにしてました。
もちろんこっちは汗だくです。
・・・てつだえー!
でなければ、応援すれー!
あんまりお墓の頭からお水をまくのはいけない、
といわれているんだけど、この日は37~40度くらいあって、
(温度計で測ったら41度だったけど個人の記録で公式記録ではない)
まずいから嫌いなはずのセミをくわえたカラスが、
あまりに暑くて、口を開いてしまうので、折角つかまえたセミが落ちてしまうという、
そういうくらいに暑い日だったので、ごめんよ、といいつつ、
お墓全体に水をまいてまいりました。
このお墓というのが変わっていて、お地蔵さんだったり、
丸い形だったり、ただの岩だったり、ものすごくたくさんあるのだが、
江戸時代よりもっと前、一説には、鎌倉時代のものもあるとか言うんだけど、
代々の跡取りのものなのかどうか知らないが、
とにかくご先祖様のお墓(さすがに撮影はできず)だっていうんで、
そちらにも、撒いてまいりましたともさ。
そしたらナナフシ出てきて、おどろいた。
なんぞ、ご先祖様からメッセージやろか。
ナナフシって何の化身ですのん?
このお墓は母の実家のものなんだけれども、
寺は開祖法然の浄土宗で(親鸞の浄土真宗とは違う)、
父の実家(佐渡島)も空海こと弘法大師が開祖の真言宗で、
真言宗の中でも離島だからなのか、葬儀やなんかの風習は一風変わってい、
密教的な独特の特徴があるのだけど、いったい全体、
地方の豪農というものは仏教とは密接なかかわりがあり、
今もなおこのように墓の形として残っているので、違いもさまざまで面白い。
一方で神社の氏子でもあるから、やはり日本人の精神性っていうのは、
アジアの中でも(世界基準でみても)とりわけ変わっていると思う。
生まれた時には神の子で、死んだ時には仏様。
そういう感覚は、外国の人にはなかなか受け入れられないので、
外国出身の友人などに説明するときは、
「セミやらカブトムシは土の中で幼虫時代をすごすでしょう?
で、土から出てきて、森の中やら、市街地やらで成虫になって、そして死ぬ。
あれと似たようなもので、虫が成長の時々で環境や自分自身の形が変わるように、
日本の人は人生のその時々で、お世話になる(宗教/環境)ものが違う。
生まれたら神社へお宮参り、結婚式は協会で永遠の愛を誓い、
死んだら仏さんになって、坊さんに念仏唱えてもらう。
生きていくのに環境を変えていく虫とおんなじやねん」
などと、いうことにしている。
「まあそれだけ、優柔不断なところもあるし、
一方では柔軟かつ寛大、そしてものすごい自由やねんな。
結局、最後の最後に信じとるのは己自身やもんで、そやから、自殺も多いねん。
神様も仏様もなんともしてくれへん。自分でなんとかせなあかん、ということやねんな。
ひとりの神様を信じてる人には、わからへんことよ。
逃げるということとはまた違うねん。
日本人の変体は、なんとかして生き抜いたことの結果やねん。
その変体のうちに、死もある。そやから自殺が多いねんわ」
と、こんなに恵まれた国なのに自殺者が多いのはなぜか、と、
最近ものすごく聞かれることが多いのだけど、そういうときには、
この日本人の独特の宗教観を兼ね合いに出すことにしている。
みなさんわかったような、わからないような不思議な表情をされるので、
「都会でホームステイしてても、日本人のことはわからん。
農村へいってみー。1週間でわからいな。
ほんまの日本人は農村にこそ、おる。」
と、さらに、すすめる。
そして、芥川龍之介や、谷崎潤一郎はよく知っているだろうけれども、
海外ではそんなに有名でない、
志賀直哉、井伏鱒二、梶井基次郎などを読め、といっている。
ついでに余裕があったら、
森鴎外の有名じゃない小説やエッセイを読めとすすめる。
古い日本の文化というか、風俗が描かれているからで、
そこまできたら、今度は、宮部みゆきや、藤沢周平、山本周五郎、池波正太郎のを読んでみいや、と薦める。
市井の人の暮らしにこそ、ほんものの宗教観があるので、時代の風俗をよく描いたものが一番参考になると思う。
あまりにすきになったら白洲正子を読めという。あれらの本には日本のとりわけ美しいものがたくさん書いてある。
京都や浅草にも、もはやそれはない。田舎にだって、そうそうは残っていまい。
細雪のように、時代とともに、消えてしまっているのだからねえ。