犬がおるので。

老犬から子犬まで。犬の面倒をみる暮らし。

おはかまいり。

2012年08月25日 | おせわがかり日誌



ふと思いついて、おはかまいり、ゴー。

大きなしいの木の下がおはかなんだけど、

田舎ゆえ、せみがぶんぶん!

顔面、体、とにかくすべて、体当たりしてくる。

おまけにあまりに多いので、鳴き声であたりは「うわわわわん」ていう音響に。

冗談でなく、耳が痛くなるほどでした~。

暑い中これでは仏様も大変ね。

そんな中、飼い主はお墓に水撒きやら、

お線香上げたりしていたのですが、犬の彼女は、

こんな具合に日陰でずっと涼んでいました。

つながれていたんだけどずっとにこにこ。

とても楽しそうにしてました。

もちろんこっちは汗だくです。

・・・てつだえー!

でなければ、応援すれー!







あんまりお墓の頭からお水をまくのはいけない、

といわれているんだけど、この日は37~40度くらいあって、

(温度計で測ったら41度だったけど個人の記録で公式記録ではない)

まずいから嫌いなはずのセミをくわえたカラスが、

あまりに暑くて、口を開いてしまうので、折角つかまえたセミが落ちてしまうという、

そういうくらいに暑い日だったので、ごめんよ、といいつつ、

お墓全体に水をまいてまいりました。

このお墓というのが変わっていて、お地蔵さんだったり、

丸い形だったり、ただの岩だったり、ものすごくたくさんあるのだが、

江戸時代よりもっと前、一説には、鎌倉時代のものもあるとか言うんだけど、

代々の跡取りのものなのかどうか知らないが、

とにかくご先祖様のお墓(さすがに撮影はできず)だっていうんで、

そちらにも、撒いてまいりましたともさ。

そしたらナナフシ出てきて、おどろいた。

なんぞ、ご先祖様からメッセージやろか。

ナナフシって何の化身ですのん?



このお墓は母の実家のものなんだけれども、

寺は開祖法然の浄土宗で(親鸞の浄土真宗とは違う)、

父の実家(佐渡島)も空海こと弘法大師が開祖の真言宗で、

真言宗の中でも離島だからなのか、葬儀やなんかの風習は一風変わってい、

密教的な独特の特徴があるのだけど、いったい全体、

地方の豪農というものは仏教とは密接なかかわりがあり、

今もなおこのように墓の形として残っているので、違いもさまざまで面白い。

一方で神社の氏子でもあるから、やはり日本人の精神性っていうのは、

アジアの中でも(世界基準でみても)とりわけ変わっていると思う。

生まれた時には神の子で、死んだ時には仏様。

そういう感覚は、外国の人にはなかなか受け入れられないので、

外国出身の友人などに説明するときは、


「セミやらカブトムシは土の中で幼虫時代をすごすでしょう?

 で、土から出てきて、森の中やら、市街地やらで成虫になって、そして死ぬ。

 あれと似たようなもので、虫が成長の時々で環境や自分自身の形が変わるように、

 日本の人は人生のその時々で、お世話になる(宗教/環境)ものが違う。

 生まれたら神社へお宮参り、結婚式は協会で永遠の愛を誓い、

 死んだら仏さんになって、坊さんに念仏唱えてもらう。

 生きていくのに環境を変えていく虫とおんなじやねん」


などと、いうことにしている。


「まあそれだけ、優柔不断なところもあるし、

 一方では柔軟かつ寛大、そしてものすごい自由やねんな。
 
 結局、最後の最後に信じとるのは己自身やもんで、そやから、自殺も多いねん。

 神様も仏様もなんともしてくれへん。自分でなんとかせなあかん、ということやねんな。

 ひとりの神様を信じてる人には、わからへんことよ。

 逃げるということとはまた違うねん。

 日本人の変体は、なんとかして生き抜いたことの結果やねん。

 その変体のうちに、死もある。そやから自殺が多いねんわ」


と、こんなに恵まれた国なのに自殺者が多いのはなぜか、と、

最近ものすごく聞かれることが多いのだけど、そういうときには、

この日本人の独特の宗教観を兼ね合いに出すことにしている。

みなさんわかったような、わからないような不思議な表情をされるので、


「都会でホームステイしてても、日本人のことはわからん。

 農村へいってみー。1週間でわからいな。

 ほんまの日本人は農村にこそ、おる。」


と、さらに、すすめる。

そして、芥川龍之介や、谷崎潤一郎はよく知っているだろうけれども、

海外ではそんなに有名でない、

志賀直哉、井伏鱒二、梶井基次郎などを読め、といっている。

ついでに余裕があったら、

森鴎外の有名じゃない小説やエッセイを読めとすすめる。

古い日本の文化というか、風俗が描かれているからで、

そこまできたら、今度は、宮部みゆきや、藤沢周平、山本周五郎、池波正太郎のを読んでみいや、と薦める。

市井の人の暮らしにこそ、ほんものの宗教観があるので、時代の風俗をよく描いたものが一番参考になると思う。

あまりにすきになったら白洲正子を読めという。あれらの本には日本のとりわけ美しいものがたくさん書いてある。

京都や浅草にも、もはやそれはない。田舎にだって、そうそうは残っていまい。

細雪のように、時代とともに、消えてしまっているのだからねえ。