昔の心理学は悪人なら当たるようで…。
前世紀末(1995-1998~)、モラトリアム半鬱大学生だった私は、必修教養科目で心理学を学んだことがあり、当時の日本の心理学はまだ西洋のやや昔の心理学がメインで、古い書物を読んだ人生経験のやや豊富な華僑娘from台湾・日本国籍(当時既に日中+台湾語ヒアリングのバイリンガル)の私は、すぐに破綻論点を述べていたが、もちろん、そんなコトは教授や周囲の日本人たちには受け入れられず、否定的論文を肯定的論文に書き直されたことがある。
学生なので、必修教養科目の単位を落とすわけにもいかず、私は自分の人生経験から導いた心理学論点を削除し、大学で学んだ心理学を肯定する論文を書いた。
ヒト其々の人生経験で、成長度合いは異なり、ぬくぬく温室育ちの戦後日本人及び東アジア人には理解できなかった論点は、今なら「もしかすると」受け入れられるかもしれない。
しかし、そんな「ぬくぬく温室育ち」が問題というより、むしろ、「雑草連中が問題」な気がするのだ。
雑草連中は、温室育ちを羨み、温室育ちのふりをするかもしれないので、私の様な「よく分からない奇妙な芸術的人間」を理解できず、自分らと同じように、「雑草が温室育ちを羨んでいるなんちゃって~✗▲」だろうと疑惑の目で見るようだな?
中国語は繁体字も簡体字もできるので、こちらはいつでも意見を書いてもらっても構わないスタンスでいるのに、疑惑を確かめる勇気すら持たない雑草連中ばかりの東アジアだ。
あー、KUSOつまんねぇなぁ。
by 東郷嘉奈元蘇嘉奈ずっと独身未出産女の文人・芸術家:望玄(Miharu)久泉KATASIMO語霜日月鷲千波らんらんてぃらかなさん月彌千彌冬月月衣…☆ 筆。