私さえいなければ才色兼備は連中だった?理論。
才色兼備が、ただでさえ少ないのは、見た目が良いだけで好色な大人たちがセックスしたがるので、性の開花で勉学を放棄する美男美女がほとんどだからだろう。
性と美貌で、大人たちから得られるモノは多く、「勉強や努力」するのがアホらしくなるだろう。
で、若い内に「色」を持つ者たちが才色兼備から外れるのだ。
「才」を持つ者も、昨今狙われ過ぎて、美しく育つ前に、殺害されているのではないか?美しくならずとも、才能あるモノなら、「才能無いモノよりは美しく見える」ものだから、それが気に障るのだろうなぁ。
タイトルにある通り、私という才色兼備な女が生まれていなければ、連中が才色兼備だったのだろうか?それは、連中には色がありながら、美しさのあまり大人とセックス強要され、才能を伸ばせなかった!という恨みだとすると、私がいてもいなくても、才能を伸ばすチャンスは無かっただろう。
そういう「好色な大人たちの子ども」なのを恨んだ方が、気が晴れるはずだ。
つまり、好色な才能には恵まれているはずで、大人たちや周囲の為に、「色でご奉仕」すれば金になるともいえる。そうすれば、才色兼備の仲間入りだ。
自分の才能が、「どこにあるか間違えないこと」で、幸せの度合いが格段に上がるだろう。
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