愛も本物じゃないと意味はない。
芸術同様、愛も本物じゃないと意味はない。
20代後半でほぼ(東アジア)男に幻滅し、結婚相手は普通に「収入のある男」であれば誰でも良いやとテキトーになり、愛情云々を横に置いてテキトーに付き合った男と結婚するつもりでいた私は、大失敗した。
やはり、その男の暴力等で死ぬ寸前だった。
愛情がない上に、生命までなくなりかけた私・嘉奈T.は、特に「愛に生きる女じゃない」のに、なぜ「男で」死にかけるんだろうと理由が分からず、とにかく生き残った少しの奇跡で台湾台北にいた実母の元に戻った数年、日本では311大地震が起き、更に気分は奇妙になった。
ちょうど、リハビリしながら「科学兵器虐殺被害に今までにない脳負傷」した私は、男の暴力でケガした「腰に加え、脳のリハビリも」するはめになり、通っていた占い教室も行かなくなり、ほぼ病人生活だった。
最後の希望で申請した実母の台湾国籍に頼った台湾国籍回復は、パンドラの箱の様にはいかなかった。私・東郷嘉奈/元蘇嘉奈のパンドラの箱には、「希望すら入っていなかった」。東アジアには、希望すら残っていないのだ。
それは、十年の文人・芸術家生活でも、全く変わらない現実だ。いや、311大地震から数えても変わらない現実だとも言える。
これから十年、東アジアの現実に、最後の希望がいきなり現れるとも思えない。だから、ここらで、「東アジアを切らなくてはいけない」のだ、私は。東アジア(沖縄)で生まれ育った生粋の東アジア人(華僑from台湾で無国籍till16才から日本籍47歳)の私・東郷Ka.月衣は。
愛に生きられたら、幸せになれたとも思えない。なにせ、東アジア民族は、「愛よりも金を崇拝」するから。
私・東郷嘉奈/元蘇嘉奈は愛を求めるだけの「普通の」女ではないけど、普通に「愛は動物ならある」ものだと誤解していたのは確かだ。
2024/04/14(日曜)自撮り写真。
仲良しの鳥の飛ぶ姿を撮った1枚。by
久泉東郷嘉奈元蘇嘉奈日月鷲語霜(KATASIMO)☆
外の景色と自撮りする東郷K久泉月衣語霜(KATASIMO)@千葉駅