万葉集には、「色に出(い)づ」という慣用表現がある。記紀歌謡には見られない。恋の歌に用いられることが多く、「色」を景物の色彩と人間の顔色との掛け詞の意味に解されることが多い(注1)。しかし、態度や行動、言葉に表す意味の用例もあり、序詞的文脈で用いられることも多い。
磐(いは)が根の こごしき山を 超えかねて 哭(ね)には泣くとも 色に出でめやも(万301)
託馬野(つくまの)に 生(お)ふる紫草(むらさき) 衣(きぬ)に染(し)め いまだ着ずして 色に出でにけり(万395)
あしひきの 山橘の 色に出でよ 語らひ継ぎて 逢ふこともあらむ(万669)
謂ふ言(こと)の 恐(かしこ)き国そ 紅(くれなゐ)の 色にな出でそ 思ひ死ぬとも(万683)
秋萩の 枝もとををに 置く露の 消(け)なば消ぬとも 色に出でめやも(万1595)
…… 紐解かず 丸寝をすれば 吾が着たる 衣はなれぬ 見るごとに 恋はまされど 色に出でば 人知りぬべみ 冬の夜(よ)の 明かしもえぬを 寝(い)も寝(ね)ずに 吾れはそ恋ふる 妹が直香(ただか)に(万1787)
外(よそ)のみに 見つつ恋ひなむ 紅の 末摘花(すゑつむはな)の 色に出でずとも(万1993)
臥(こ)いまろび 恋ひは死ぬとも いちしろく 色には出でじ 朝顔の花(万2274)
恋ふる日の 日(け)長くあれば み苑生(そのふ)の 韓藍(からあゐ)の 花の色に出でにけり(万2278)
さ丹(に)つらふ 色には出でず 少なくも 心のうちに 吾が念(おも)はなくに(万2523)
色に出でて 恋ひば人見て 知りぬべし 情(こころ)のうちの 隠(こも)り妻はも(万2566)
白真砂(しらまなこ) 御津(みつ)の黄土(はにふ)の 色に出でて 云はなくのみそ 我が恋ふらくは(万2725)
あしひきの 山橘の 色に出でて 吾が恋ひなむを 止(や)め難(かて)にすな(万2767)
隠りには 恋ひて死ぬとも み苑生の 韓藍の花の 色に出でめやも(万2784)
紫の 我が下紐の 色に出でず 恋ひかも痩せむ 逢ふよしを無(な)み(万2976)
暁(あかとき)の 朝霧隠(ごも)り かへらばに 何しか恋の 色に出でにける(万3035)
…… さ丹つらふ 君が名曰(い)はば 色に出でて 人知りぬべみ あしひきの 山より出づる 月待つと 人には云ひて 君待つ吾れを(万3276)
恋しけは 袖も振らむを 武蔵野の うけらが花の 色に出(づ)なゆめ(万3376)
いかにして 恋ひばか妹に 武蔵野の うけらが花の 色に出(で)ずあらむ(万3376或本歌)
安齊可潟(あぜかがた) 潮干のゆたに 思へらば うけらが花の 色に出(で)めやも(万3503)
ま金ふく 丹生(にふ)のま朱(そほ)の 色に出(で)て 言はなくのみそ 我が恋ふらくは(万3560)
伊原2010.に、「多く相聞の歌の中で、秘めた恋情が顔色や様子にあらわれ、それと知られる、つまり明らかに人目に立つようになることの比喩として詠じられる、〝色に出づ〟がそれである。[万683・1993・3560・2523・2725・2976・395番歌]などで、これらは、紅・真朱(朱色)・丹(黄味を帯びた赤色)・黄土(黄─黄褐色)・紫等の、赤系統・紫系統の華麗な色彩、黄の鮮かな色彩で、恋の詠唱において比喩とするに相応しい、相手に好感を持たれ美しい新鮮な感を与えるものと考えられて選ばれたのであろうが、とくに、〝色〟としての意識を強く持っていると考えてよいようである。万葉では、このように、色彩と言うものへの関心、意識が強く、色彩が一首の中で大きな場を占める例が非常に多い。」(324頁)とある。
怖くなって血の気が引き、顔が真っ青になることがあるが、そういうときに「色に出づ」という表現は使われない。恋心が表にあらわれる時に使うのがもっぱらである。赤系統の色が選ばれているのは、気持ちが明るくなることと関係している。アカシ(明)と同源の語であるアカ(赤)が選ばれている。アカシ(明)はアカシ(証)に義が通じている。証拠となってしまう色にして明らかであることを謂わんとしている。単純なことである。これまで、この点について指摘されていない。ただし、「色に出づ」という表現の問題はそこにばかりあるものではない。
澤瀉1958.は、[自動詞にも他動詞にも使われる]「いづ」はいづれも「言に」「色に」「音に」「穂に」などにつゞいて、それは秘めた思ひの外にあらはれる場合であつて、意志の問題であると共に意志を超えた問題であるとも云へる場合である。恋人の名を口にしたり、顔を赤くしたりする事は、おさへられない事でもないが、またおさへきれない事でもある。……自他未分の状態とも云へる。」(194~195頁、漢字の旧字体は改めた。)と理解している。自動詞でもあり他動詞でもある「出づ」という語をうまく活用して、「色に出づ」という言い回しをしているのであると考えられている。けれども、最初に述べたように、「色」を顔色のこととばかりは考えられないとされている。
駒木1976.に、「「色に出づ」は、思いを表面化・公然化・行動化させ、また人に知られるようになる様相を、顕著で鮮やかな色彩に置換した表現なのである。『萬葉集』の発想の分類で言うならば、寄物陳思歌ないし譬喩歌的発想がそれにあたる。草木が目立つ色の花や実をつけ、また鮮やかな色に染めあがるその具体的形相のなかに、人目を秘している恋の顕在化とそこに生ずる人間心情のあり方を重ね見る発想法こそは、まさしく萬葉的なものである。」(23頁)とし、「発想法としての序詞の構造を見すえ、……「色に出づ」 の意味的機能を考定すれば、「色」……は景物の色を指し、「色に出づ」は景物表現の述語として捉えられよう。それが下の心情表現に転換するとき、譬喩として恋情ないし恋愛の行動を指すことになるのである。」(25頁)とし、「この句[「色に出づ」]は序詞的文脈において成立したものであって、……〝そぶり・行動・言葉にあらわす(あらわれる)〟意とすべきではないか」(26頁)と結論づけている。
「色に出づ」という表現の「色」が、顔色のことでないことはそのとおりであるが、この議論は自己撞着を起こしている。駒木1976.は、「この句は静止的な感情の発露(顔色・表情)を意味するのでなく、〝嘆く・そぶりにあらわれる〟などのより動的状態を指している」(22頁)としている。草木や花、実の着色が劇的に動的かといえば、人間は傍観者だからそのようには感じ取れない。映像の世紀である現代においても、花の場合、咲いて色づく様子は、100倍速ででも再生しなければ「色に出づ」とは表現できないであろう。 万葉びとは、例えば「末摘花の 色に出でずとも」(万1993)と言うとき、どのような気持ちをもって詠じているのか、理解できていないのではないか。
吾が恋ふる 丹(に)の穂の面(おもわ) 今夕(こよひ)もか 天の川原に 石枕まく(2003)
黄葉(もみちば)に 置く白露の 色端(は)にも 出でじと思へば 言(こと)の繁けく(万2307)
前者は、恋しく思う人は、丹色が素敵な顔をして、今夜も天の川の河原で石を枕にして一人寝しているのだろうかな、と七夕の織女のことを歌っている。穂(ほ)は秀(ほ)と同根の語で、秀でて目立つところのことを指す。 わざわざ「色」という言葉を使わずとも、具体的な色調を示しさえすればそれで事足りるのである。
後者は、黄色く色づいた葉の上に乗った小さな露には、黄色い色素が染み出すことはほとんどないけれど、そんなちょっとした色にさえもあらわれないように用心しているのに、人の噂がうるさくて嫌なことだと歌っている(注2)。白露に色移りはしないが、たとえあったとしてもその片鱗さえもわからないようにしているということを言っている。ハを導くために「黄葉」を使っている。わざわざ「色……に……出で」という形をとって、放っておいても恋心の表にあらわれる様を示している。
これらの例からわかるのは、「色に出づ」という慣用表現は、一定のまとまりをもった言い方であり、その「色」が何を表すかと分析することでは、これ以上理解は深まらないということである。そこで、類例となる「出づ」に「……に」が冠する例、澤瀉1958.のあげている「言に」「穂に」「音に」について見ておく。第一例に明らかなように、「言に出づ」と「穂に出づ」は似たような形容として用いられている。
言(こと)に出でて 云はばゆゆしみ 朝貌(あさがほ)の 穂には咲き出ぬ 恋もするかも(万2275)
言に出でて 云はばゆゆしみ 山川の たぎつ心を 塞(せ)かへたりけり(万2432)
…… 卯の花山の ほととぎす 哭(ね)のみし泣かゆ 朝霧の 乱るる心 言に出でて 言はばゆゆしみ 砺波山(となみやま) ……(万4008)
めづらしき 君が家なる 花すすき 穂に出づる秋の 過ぐらく惜しも(万1601)
秋萩の 花野のすすき 穂には出でず 吾が恋ひわたる 隠(こも)り妻はも(万2285)
はだすすき 穂にはな出でそ 思ひたる 情(こころ)は知らゆ 我れも寄りなむ〈七〉(万3800)
…… 汝弟(なおと)の命(みこと) 何しかも 時しはあらむを はだすすき 穂に出づる秋の 萩の花 にほへる屋戸を ……(万3957)
あしひきの 山川水の 音(おと)に出でず 人の子ゆゑに 恋ひ渡るかも(万3017)
これらの意味は、言葉として出して、言葉になって出ると、穂として出すと、穂になって出ると、音として出して、音になって出ると、というように、自動詞・他動詞の区別なしに考えることができる。要するに、目立つこと、人目につくことを意識した表現である。「色に出づ」も同様なのであるが、万葉びとに一番好まれたのは「色に出づ」という言い方である。その点が肝要であり、慣用表現を整理する必要があるわけである。出る様は「色」も「言」も「穂」も「音」も同じだと考えていてはいけない。「色に出づ」は、「出づ」という自動詞・他動詞の両様性ばかりでなく、承ける助詞「に」の使いぶりが上手なのである。
助詞「に」には、変化の結果(~になって)の意味のほか、比喩(~のように)の意味合いで受け取ることが可能である。
〈変化の結果〉
隠(こも)りのみ 恋ふれば苦し 瞿麦(なでしこ)の 花に開(さ)き出よ 朝な朝(さ)な見む(万1992)
〈比喩〉
…… 白栲の 衣袖(ころもで)干さず 嘆きつつ 吾が泣く涙 有間山(ありまやま) 雲居(くもゐ)たなびき 雨に零(ふ)りきや(万460)
この用法までも含めて多様に解釈されるように、「色に出づ」という慣用句は構成されているのではないか。色になって出ると、色になって出ると、ばかりでなく、色のように出ると、色のように出すと、の意を含意しているということである。すなわち、染め物の次第をよく表している。「言」「穂」「音」が具体的な言葉(I love you.)、ススキの穂、水の音であったように、「色」という語も抽象的な言葉として考えられていたわけではない。そのうえまた、「色」が既定に存するものであるとも考えられていなかった(注3)。染め物において「色に出づ」ることは、一回一回のオーダーメイドであり、たいへんな労力と長年の勘に支えられたプロフェッショナルな流儀であった。紫色を参考にする。
つぎに媒染(ばいせん)にうつる。椿は、生の樹の枝と葉を刈りとって、二、三日置く。それを然やして、白い灰の状態で保存しておく。染色をする数日前に、熱湯を注いでからよくかきまぜ、火の成分を十分に溶出させる。この上澄み液(灰汁(あく))にはアルミ分が含まれていて、紫を発色させる、つまり媒染剤の役割をするのである。その椿灰の灰汁を水に溶かして媒染の浴槽をつくり、紫根染を終えてよく水洗いした絹布を入れて、ゆっくりと繰る。三十分あまりのち、別の水槽でよく水洗いする。このような紫根染、水洗、媒染、水洗の工程を何日も繰り返すわけで、「深紫」にするには、私の工房では、少なくとも五~七日間を費やす。もちろん、毎日、新しい紫根を使って、朝から石臼で搗く、揉む、という工程を繰り返すのである。(吉岡2002.78~79頁)
紫草の根を麻袋に入れて揉むと、名水の里である[大分県]竹田市の清らかな湧き水に赤紫色が広がる。山で採った椿の木を燃やし、その灰を媒染剤として使う。植物染は時間を要する。経験による勘とひたすら根気の手作業である。絹の糸綛(いとかせ)にゆっくりと色がついていく様子を、竹田の人びとも食い入るようにみつめている。三日目の夕暮れ、ようやく高貴な色にふさわしい濃紫があらわれた。緯糸(よこいと)だけでも四百株を使って染めたことになる。(吉岡2007.224頁)
紫染め
The plant from which purple dye is obtained is an endangered species. Mr Yoshioka works with farmers in Taketa to revive its cultivation.
Murasakisō (purple gromwell)
The colourant is contained in the roots.
Successful dyeing requires intimate understanding of the effect temperature and dye concentration. How the thread or close is dipped is also very important.
The whole range of purples can be made using dye extracted from just the one type of plant.
The colour obtained depends on the number of times the cloth or thread is dipps.(Victoria and Albert Museum, “In Search of Forgotten Colours - Sachio Yoshioka and the Art of Natural Dyeing” https://www.youtube.com/watch?v=7OiG-WjbCQA&t=11s(13:23~17:40)をトリミング、字幕文にはピリオドを付した。)
食い入るように見つめたその先に「色に出づ」ることがある。助詞の「に」を、変化の結果ばかりでなく、変化するところを比喩とするという、二重のかかり方で用いられているのだと考えられる。
託馬野(つくまの)に 生(お)ふる紫草(むらさき) 衣(きぬ)に染(し)め いまだ着ずして 色に出でにけり(万395)
託馬野に生えている紫草を採ってきてものすごく手間暇かけて衣に染めた。うまくできたからしめしめと思っていた。なぜといって馬子にも衣裳、きれいなおべべで少しでも私のことをよく思ってもらいたいじゃないの。そんなことをずっと思いながら過ごしていたら、その衣をまだ着て見せていないのに、私の恋心はすでに表にあらわれてしまっていたんだということに気づいた。そりゃあ、染め物の時にうまく色が出たのだから。
このように、「色に出づ」という比喩表現は、上代のファッションセンスに基づいた卓抜な表現であった。
(注)
(注1)時代別国語大辞典107頁。白川1995.に、「「色」は……色然・色斯などはみな驚き、昂奮する意であり、本来光彩などのことをいう字ではない。国語の「いろ」もいわゆる顔色・好色の意が原義であった。色は人の顔色の美好なることから、色彩の美の意に転じてゆくもので、その点は国語の「いろ」と同じである。」(137頁)とあるが、万葉集の例にそのような傾向は見られない。
(注2)万2307番歌は、「上に置く「白露」には、「黄葉」の色が映る。そこで「色」の比喩になる。」(多田2009.243頁)、「上二句は、「色葉にも出で」を導く序詞。「色葉」は、色づいた葉。恋心の現れた顔色を譬えとしての表現か。」(新大系文庫本万葉集225頁)、「色端」を「顔色の端」(伊藤2009.476頁)といった解釈のほか、「原文、諸本に「色葉二毛」とあり、宣長の誤字説による。「は・も」は強意。表に出すこと。例多数。」(中西1980.396頁)として、「於黄葉置白露之色二葉毛不出跡念者事之繁家口」ととり、「黄葉に置く白露のようには目立たせまいと思っているのに、」とする解釈も行われている。
「色」という言葉について、上代の人の感覚が理解されていないように感じられる。衣に植物の色素を摺りつけて染めることも行われていた。
鴨頭草(つきくさ)に 衣色どり 摺らめども 移ろふ色と 称(い)ふが苦しさ(1339)
月草(つきくさ)に 衣は摺らむ 朝露に 沾(ぬ)れての後は 移ろひぬとも(万1351)
住吉(すみのえ)の 浅沢小野の かきつはた 衣(きぬ)に摺りつけ 着(き)む日知らずも(万1361)
植物の色素がそのまま衣に染まることを言っていて、上代の人たちは、衣類に発現するものとして「色」を感じ取っている。では紅葉(黄葉)した葉から赤や黄色の色素を抽出してそれを染め物に使えるかと言えば、ほとんどできない。真っ赤に色づいたモミジの葉を摺りつけても色は移らず、煮出せば赤い液はできるが、繊維に染めることはほぼ無理で、くすんだピンク色にしかならない。しっかり赤く染めたければ、紅花や茜などを使うのである。
つまり、万2307番歌の、「黄葉に置く白露の色端にも出でじ」とは、「黄葉」が衣類を染めるのに全然役に立つ代物ではないし、ましてやその上の「白露」などまったく発色することはないと言っている。
「色」の関心の中心はファッションであった。「色に出づ」という表現も、布や糸が染料の色に染まることをもって言葉にしている。
(注3)よく知られるように、古代語において、「色」として概念化されていたのはもとは4色に過ぎない。赤・黒・白・青である。現代に色名としてある名詞に、シを後接してそのまま形容詞となるものがもとからあった色の名であると考えられている。今日思われている赤・黒・白・青の色のゾーンとは異なり、「明(あか)し」/「暗(くら)し」の二項対立から赤と黒が認識され、また、「灼(しる)し」から白、そのほかバイオレット~ブルー~グリーンの領域は漠とした色として「青(あを)し」とする青の一語でまかなっていた。その後の段階で、染料や顔料の原材料の名から、どんどん新しい色名が生まれて行ったものと考えられている。それぞれの民族によって色の認識がそれぞれにあることについては、エヴァンズ=プリチャード1978.参照。このことは、ヤマトコトバに「色」というものがあらかじめ存在しているのではなく、人間が作っていっているという認識、「み苑生」に植物を植えることに始めて根気のいる作業をくり広げるものであるという実践感覚であったことを示唆している。
(引用・参考文献)
伊藤2009. 伊藤博訳注『新版万葉集二 現代語訳付き』角川学芸出版(角川ソフィア文庫)、平成21年。
伊原2010. 伊原昭『増補版 万葉の色─その背景をさぐる─』笠間書院、2010年。
エヴァンズ=プリチャード1978. エヴァンズ=プリチャード著、向井元子訳『ヌアー族─ナイル系一民族の生業形態と政治制度の調査記録─』岩波書店、1978年。(平凡社(平凡社ライブラリー)、1997年、再出)(原著:Evans-Pritchard, E.E. 1940. The Nuer: a description of the modes of livelihood and political institutions of a Nilotic people, Clarendon Press, Oxford.)
澤瀉1958. 澤瀉久孝『萬葉集注釈 巻第三』中央公論社、昭和33年。(『普及版』昭和58年。)
駒木1976. 駒木敏「「色に出づ」考─慣用句と発想法─」『萬葉』第九十二号、昭和51年8月。学会誌『萬葉』アーカイブhttp://manyoug.jp/memoir?s=%E8%89%B2%E3%81%AB%E5%87%BA%E3%81%A5&x=0&y=0
新大系文庫本万葉集 佐竹昭広・山田英雄・工藤力男・大谷雅夫・山崎福之校注『万葉集(三)』岩波書店、2014年。
多田2009. 多田一臣『万葉集全解4』筑摩書房、2009年。
中西1980. 中西進『万葉集 全訳注原文付(二)』講談社(講談社文庫)、1980年。
吉岡2002. 吉岡幸雄『日本の色を染める』岩波書店(岩波新書)、2002年。
吉岡2007. 吉岡幸雄『日本の色を歩く』平凡社(平凡社新書)、2007年。
(English Summary)
There is an expression “to appear in color” (色に出づ) in Manyoshu. This idiomatic expression was interpreted as the complexion, but it has come to be considered more broadly to refer to exposure such as gestures and actions. It can be understood from the examples of Manyoshu, but the meaning of the word “color” (色) remains ambiguous. In this paper, we also pay attention to the usage of the particle "ni" (に). It becomes clear that the particle "ni" (に) was a combination of the two usages, such as "to become" and "similar to". “To appear in color” (色に出づ) included both the process of color development and the result of color development. That is, it was a self-double-binded representation. We can understand that the ancient Japanese were deeply interested in dyeing clothing and that “to appear in color” (色に出づ) was a metaphorical expression of dyeing.
磐(いは)が根の こごしき山を 超えかねて 哭(ね)には泣くとも 色に出でめやも(万301)
託馬野(つくまの)に 生(お)ふる紫草(むらさき) 衣(きぬ)に染(し)め いまだ着ずして 色に出でにけり(万395)
あしひきの 山橘の 色に出でよ 語らひ継ぎて 逢ふこともあらむ(万669)
謂ふ言(こと)の 恐(かしこ)き国そ 紅(くれなゐ)の 色にな出でそ 思ひ死ぬとも(万683)
秋萩の 枝もとををに 置く露の 消(け)なば消ぬとも 色に出でめやも(万1595)
…… 紐解かず 丸寝をすれば 吾が着たる 衣はなれぬ 見るごとに 恋はまされど 色に出でば 人知りぬべみ 冬の夜(よ)の 明かしもえぬを 寝(い)も寝(ね)ずに 吾れはそ恋ふる 妹が直香(ただか)に(万1787)
外(よそ)のみに 見つつ恋ひなむ 紅の 末摘花(すゑつむはな)の 色に出でずとも(万1993)
臥(こ)いまろび 恋ひは死ぬとも いちしろく 色には出でじ 朝顔の花(万2274)
恋ふる日の 日(け)長くあれば み苑生(そのふ)の 韓藍(からあゐ)の 花の色に出でにけり(万2278)
さ丹(に)つらふ 色には出でず 少なくも 心のうちに 吾が念(おも)はなくに(万2523)
色に出でて 恋ひば人見て 知りぬべし 情(こころ)のうちの 隠(こも)り妻はも(万2566)
白真砂(しらまなこ) 御津(みつ)の黄土(はにふ)の 色に出でて 云はなくのみそ 我が恋ふらくは(万2725)
あしひきの 山橘の 色に出でて 吾が恋ひなむを 止(や)め難(かて)にすな(万2767)
隠りには 恋ひて死ぬとも み苑生の 韓藍の花の 色に出でめやも(万2784)
紫の 我が下紐の 色に出でず 恋ひかも痩せむ 逢ふよしを無(な)み(万2976)
暁(あかとき)の 朝霧隠(ごも)り かへらばに 何しか恋の 色に出でにける(万3035)
…… さ丹つらふ 君が名曰(い)はば 色に出でて 人知りぬべみ あしひきの 山より出づる 月待つと 人には云ひて 君待つ吾れを(万3276)
恋しけは 袖も振らむを 武蔵野の うけらが花の 色に出(づ)なゆめ(万3376)
いかにして 恋ひばか妹に 武蔵野の うけらが花の 色に出(で)ずあらむ(万3376或本歌)
安齊可潟(あぜかがた) 潮干のゆたに 思へらば うけらが花の 色に出(で)めやも(万3503)
ま金ふく 丹生(にふ)のま朱(そほ)の 色に出(で)て 言はなくのみそ 我が恋ふらくは(万3560)
伊原2010.に、「多く相聞の歌の中で、秘めた恋情が顔色や様子にあらわれ、それと知られる、つまり明らかに人目に立つようになることの比喩として詠じられる、〝色に出づ〟がそれである。[万683・1993・3560・2523・2725・2976・395番歌]などで、これらは、紅・真朱(朱色)・丹(黄味を帯びた赤色)・黄土(黄─黄褐色)・紫等の、赤系統・紫系統の華麗な色彩、黄の鮮かな色彩で、恋の詠唱において比喩とするに相応しい、相手に好感を持たれ美しい新鮮な感を与えるものと考えられて選ばれたのであろうが、とくに、〝色〟としての意識を強く持っていると考えてよいようである。万葉では、このように、色彩と言うものへの関心、意識が強く、色彩が一首の中で大きな場を占める例が非常に多い。」(324頁)とある。
怖くなって血の気が引き、顔が真っ青になることがあるが、そういうときに「色に出づ」という表現は使われない。恋心が表にあらわれる時に使うのがもっぱらである。赤系統の色が選ばれているのは、気持ちが明るくなることと関係している。アカシ(明)と同源の語であるアカ(赤)が選ばれている。アカシ(明)はアカシ(証)に義が通じている。証拠となってしまう色にして明らかであることを謂わんとしている。単純なことである。これまで、この点について指摘されていない。ただし、「色に出づ」という表現の問題はそこにばかりあるものではない。
澤瀉1958.は、[自動詞にも他動詞にも使われる]「いづ」はいづれも「言に」「色に」「音に」「穂に」などにつゞいて、それは秘めた思ひの外にあらはれる場合であつて、意志の問題であると共に意志を超えた問題であるとも云へる場合である。恋人の名を口にしたり、顔を赤くしたりする事は、おさへられない事でもないが、またおさへきれない事でもある。……自他未分の状態とも云へる。」(194~195頁、漢字の旧字体は改めた。)と理解している。自動詞でもあり他動詞でもある「出づ」という語をうまく活用して、「色に出づ」という言い回しをしているのであると考えられている。けれども、最初に述べたように、「色」を顔色のこととばかりは考えられないとされている。
駒木1976.に、「「色に出づ」は、思いを表面化・公然化・行動化させ、また人に知られるようになる様相を、顕著で鮮やかな色彩に置換した表現なのである。『萬葉集』の発想の分類で言うならば、寄物陳思歌ないし譬喩歌的発想がそれにあたる。草木が目立つ色の花や実をつけ、また鮮やかな色に染めあがるその具体的形相のなかに、人目を秘している恋の顕在化とそこに生ずる人間心情のあり方を重ね見る発想法こそは、まさしく萬葉的なものである。」(23頁)とし、「発想法としての序詞の構造を見すえ、……「色に出づ」 の意味的機能を考定すれば、「色」……は景物の色を指し、「色に出づ」は景物表現の述語として捉えられよう。それが下の心情表現に転換するとき、譬喩として恋情ないし恋愛の行動を指すことになるのである。」(25頁)とし、「この句[「色に出づ」]は序詞的文脈において成立したものであって、……〝そぶり・行動・言葉にあらわす(あらわれる)〟意とすべきではないか」(26頁)と結論づけている。
「色に出づ」という表現の「色」が、顔色のことでないことはそのとおりであるが、この議論は自己撞着を起こしている。駒木1976.は、「この句は静止的な感情の発露(顔色・表情)を意味するのでなく、〝嘆く・そぶりにあらわれる〟などのより動的状態を指している」(22頁)としている。草木や花、実の着色が劇的に動的かといえば、人間は傍観者だからそのようには感じ取れない。映像の世紀である現代においても、花の場合、咲いて色づく様子は、100倍速ででも再生しなければ「色に出づ」とは表現できないであろう。 万葉びとは、例えば「末摘花の 色に出でずとも」(万1993)と言うとき、どのような気持ちをもって詠じているのか、理解できていないのではないか。
吾が恋ふる 丹(に)の穂の面(おもわ) 今夕(こよひ)もか 天の川原に 石枕まく(2003)
黄葉(もみちば)に 置く白露の 色端(は)にも 出でじと思へば 言(こと)の繁けく(万2307)
前者は、恋しく思う人は、丹色が素敵な顔をして、今夜も天の川の河原で石を枕にして一人寝しているのだろうかな、と七夕の織女のことを歌っている。穂(ほ)は秀(ほ)と同根の語で、秀でて目立つところのことを指す。 わざわざ「色」という言葉を使わずとも、具体的な色調を示しさえすればそれで事足りるのである。
後者は、黄色く色づいた葉の上に乗った小さな露には、黄色い色素が染み出すことはほとんどないけれど、そんなちょっとした色にさえもあらわれないように用心しているのに、人の噂がうるさくて嫌なことだと歌っている(注2)。白露に色移りはしないが、たとえあったとしてもその片鱗さえもわからないようにしているということを言っている。ハを導くために「黄葉」を使っている。わざわざ「色……に……出で」という形をとって、放っておいても恋心の表にあらわれる様を示している。
これらの例からわかるのは、「色に出づ」という慣用表現は、一定のまとまりをもった言い方であり、その「色」が何を表すかと分析することでは、これ以上理解は深まらないということである。そこで、類例となる「出づ」に「……に」が冠する例、澤瀉1958.のあげている「言に」「穂に」「音に」について見ておく。第一例に明らかなように、「言に出づ」と「穂に出づ」は似たような形容として用いられている。
言(こと)に出でて 云はばゆゆしみ 朝貌(あさがほ)の 穂には咲き出ぬ 恋もするかも(万2275)
言に出でて 云はばゆゆしみ 山川の たぎつ心を 塞(せ)かへたりけり(万2432)
…… 卯の花山の ほととぎす 哭(ね)のみし泣かゆ 朝霧の 乱るる心 言に出でて 言はばゆゆしみ 砺波山(となみやま) ……(万4008)
めづらしき 君が家なる 花すすき 穂に出づる秋の 過ぐらく惜しも(万1601)
秋萩の 花野のすすき 穂には出でず 吾が恋ひわたる 隠(こも)り妻はも(万2285)
はだすすき 穂にはな出でそ 思ひたる 情(こころ)は知らゆ 我れも寄りなむ〈七〉(万3800)
…… 汝弟(なおと)の命(みこと) 何しかも 時しはあらむを はだすすき 穂に出づる秋の 萩の花 にほへる屋戸を ……(万3957)
あしひきの 山川水の 音(おと)に出でず 人の子ゆゑに 恋ひ渡るかも(万3017)
これらの意味は、言葉として出して、言葉になって出ると、穂として出すと、穂になって出ると、音として出して、音になって出ると、というように、自動詞・他動詞の区別なしに考えることができる。要するに、目立つこと、人目につくことを意識した表現である。「色に出づ」も同様なのであるが、万葉びとに一番好まれたのは「色に出づ」という言い方である。その点が肝要であり、慣用表現を整理する必要があるわけである。出る様は「色」も「言」も「穂」も「音」も同じだと考えていてはいけない。「色に出づ」は、「出づ」という自動詞・他動詞の両様性ばかりでなく、承ける助詞「に」の使いぶりが上手なのである。
助詞「に」には、変化の結果(~になって)の意味のほか、比喩(~のように)の意味合いで受け取ることが可能である。
〈変化の結果〉
隠(こも)りのみ 恋ふれば苦し 瞿麦(なでしこ)の 花に開(さ)き出よ 朝な朝(さ)な見む(万1992)
〈比喩〉
…… 白栲の 衣袖(ころもで)干さず 嘆きつつ 吾が泣く涙 有間山(ありまやま) 雲居(くもゐ)たなびき 雨に零(ふ)りきや(万460)
この用法までも含めて多様に解釈されるように、「色に出づ」という慣用句は構成されているのではないか。色になって出ると、色になって出ると、ばかりでなく、色のように出ると、色のように出すと、の意を含意しているということである。すなわち、染め物の次第をよく表している。「言」「穂」「音」が具体的な言葉(I love you.)、ススキの穂、水の音であったように、「色」という語も抽象的な言葉として考えられていたわけではない。そのうえまた、「色」が既定に存するものであるとも考えられていなかった(注3)。染め物において「色に出づ」ることは、一回一回のオーダーメイドであり、たいへんな労力と長年の勘に支えられたプロフェッショナルな流儀であった。紫色を参考にする。
つぎに媒染(ばいせん)にうつる。椿は、生の樹の枝と葉を刈りとって、二、三日置く。それを然やして、白い灰の状態で保存しておく。染色をする数日前に、熱湯を注いでからよくかきまぜ、火の成分を十分に溶出させる。この上澄み液(灰汁(あく))にはアルミ分が含まれていて、紫を発色させる、つまり媒染剤の役割をするのである。その椿灰の灰汁を水に溶かして媒染の浴槽をつくり、紫根染を終えてよく水洗いした絹布を入れて、ゆっくりと繰る。三十分あまりのち、別の水槽でよく水洗いする。このような紫根染、水洗、媒染、水洗の工程を何日も繰り返すわけで、「深紫」にするには、私の工房では、少なくとも五~七日間を費やす。もちろん、毎日、新しい紫根を使って、朝から石臼で搗く、揉む、という工程を繰り返すのである。(吉岡2002.78~79頁)
紫草の根を麻袋に入れて揉むと、名水の里である[大分県]竹田市の清らかな湧き水に赤紫色が広がる。山で採った椿の木を燃やし、その灰を媒染剤として使う。植物染は時間を要する。経験による勘とひたすら根気の手作業である。絹の糸綛(いとかせ)にゆっくりと色がついていく様子を、竹田の人びとも食い入るようにみつめている。三日目の夕暮れ、ようやく高貴な色にふさわしい濃紫があらわれた。緯糸(よこいと)だけでも四百株を使って染めたことになる。(吉岡2007.224頁)
紫染め
The plant from which purple dye is obtained is an endangered species. Mr Yoshioka works with farmers in Taketa to revive its cultivation.
Murasakisō (purple gromwell)
The colourant is contained in the roots.
Successful dyeing requires intimate understanding of the effect temperature and dye concentration. How the thread or close is dipped is also very important.
The whole range of purples can be made using dye extracted from just the one type of plant.
The colour obtained depends on the number of times the cloth or thread is dipps.(Victoria and Albert Museum, “In Search of Forgotten Colours - Sachio Yoshioka and the Art of Natural Dyeing” https://www.youtube.com/watch?v=7OiG-WjbCQA&t=11s(13:23~17:40)をトリミング、字幕文にはピリオドを付した。)
食い入るように見つめたその先に「色に出づ」ることがある。助詞の「に」を、変化の結果ばかりでなく、変化するところを比喩とするという、二重のかかり方で用いられているのだと考えられる。
託馬野(つくまの)に 生(お)ふる紫草(むらさき) 衣(きぬ)に染(し)め いまだ着ずして 色に出でにけり(万395)
託馬野に生えている紫草を採ってきてものすごく手間暇かけて衣に染めた。うまくできたからしめしめと思っていた。なぜといって馬子にも衣裳、きれいなおべべで少しでも私のことをよく思ってもらいたいじゃないの。そんなことをずっと思いながら過ごしていたら、その衣をまだ着て見せていないのに、私の恋心はすでに表にあらわれてしまっていたんだということに気づいた。そりゃあ、染め物の時にうまく色が出たのだから。
このように、「色に出づ」という比喩表現は、上代のファッションセンスに基づいた卓抜な表現であった。
(注)
(注1)時代別国語大辞典107頁。白川1995.に、「「色」は……色然・色斯などはみな驚き、昂奮する意であり、本来光彩などのことをいう字ではない。国語の「いろ」もいわゆる顔色・好色の意が原義であった。色は人の顔色の美好なることから、色彩の美の意に転じてゆくもので、その点は国語の「いろ」と同じである。」(137頁)とあるが、万葉集の例にそのような傾向は見られない。
(注2)万2307番歌は、「上に置く「白露」には、「黄葉」の色が映る。そこで「色」の比喩になる。」(多田2009.243頁)、「上二句は、「色葉にも出で」を導く序詞。「色葉」は、色づいた葉。恋心の現れた顔色を譬えとしての表現か。」(新大系文庫本万葉集225頁)、「色端」を「顔色の端」(伊藤2009.476頁)といった解釈のほか、「原文、諸本に「色葉二毛」とあり、宣長の誤字説による。「は・も」は強意。表に出すこと。例多数。」(中西1980.396頁)として、「於黄葉置白露之色二葉毛不出跡念者事之繁家口」ととり、「黄葉に置く白露のようには目立たせまいと思っているのに、」とする解釈も行われている。
「色」という言葉について、上代の人の感覚が理解されていないように感じられる。衣に植物の色素を摺りつけて染めることも行われていた。
鴨頭草(つきくさ)に 衣色どり 摺らめども 移ろふ色と 称(い)ふが苦しさ(1339)
月草(つきくさ)に 衣は摺らむ 朝露に 沾(ぬ)れての後は 移ろひぬとも(万1351)
住吉(すみのえ)の 浅沢小野の かきつはた 衣(きぬ)に摺りつけ 着(き)む日知らずも(万1361)
植物の色素がそのまま衣に染まることを言っていて、上代の人たちは、衣類に発現するものとして「色」を感じ取っている。では紅葉(黄葉)した葉から赤や黄色の色素を抽出してそれを染め物に使えるかと言えば、ほとんどできない。真っ赤に色づいたモミジの葉を摺りつけても色は移らず、煮出せば赤い液はできるが、繊維に染めることはほぼ無理で、くすんだピンク色にしかならない。しっかり赤く染めたければ、紅花や茜などを使うのである。
つまり、万2307番歌の、「黄葉に置く白露の色端にも出でじ」とは、「黄葉」が衣類を染めるのに全然役に立つ代物ではないし、ましてやその上の「白露」などまったく発色することはないと言っている。
「色」の関心の中心はファッションであった。「色に出づ」という表現も、布や糸が染料の色に染まることをもって言葉にしている。
(注3)よく知られるように、古代語において、「色」として概念化されていたのはもとは4色に過ぎない。赤・黒・白・青である。現代に色名としてある名詞に、シを後接してそのまま形容詞となるものがもとからあった色の名であると考えられている。今日思われている赤・黒・白・青の色のゾーンとは異なり、「明(あか)し」/「暗(くら)し」の二項対立から赤と黒が認識され、また、「灼(しる)し」から白、そのほかバイオレット~ブルー~グリーンの領域は漠とした色として「青(あを)し」とする青の一語でまかなっていた。その後の段階で、染料や顔料の原材料の名から、どんどん新しい色名が生まれて行ったものと考えられている。それぞれの民族によって色の認識がそれぞれにあることについては、エヴァンズ=プリチャード1978.参照。このことは、ヤマトコトバに「色」というものがあらかじめ存在しているのではなく、人間が作っていっているという認識、「み苑生」に植物を植えることに始めて根気のいる作業をくり広げるものであるという実践感覚であったことを示唆している。
(引用・参考文献)
伊藤2009. 伊藤博訳注『新版万葉集二 現代語訳付き』角川学芸出版(角川ソフィア文庫)、平成21年。
伊原2010. 伊原昭『増補版 万葉の色─その背景をさぐる─』笠間書院、2010年。
エヴァンズ=プリチャード1978. エヴァンズ=プリチャード著、向井元子訳『ヌアー族─ナイル系一民族の生業形態と政治制度の調査記録─』岩波書店、1978年。(平凡社(平凡社ライブラリー)、1997年、再出)(原著:Evans-Pritchard, E.E. 1940. The Nuer: a description of the modes of livelihood and political institutions of a Nilotic people, Clarendon Press, Oxford.)
澤瀉1958. 澤瀉久孝『萬葉集注釈 巻第三』中央公論社、昭和33年。(『普及版』昭和58年。)
駒木1976. 駒木敏「「色に出づ」考─慣用句と発想法─」『萬葉』第九十二号、昭和51年8月。学会誌『萬葉』アーカイブhttp://manyoug.jp/memoir?s=%E8%89%B2%E3%81%AB%E5%87%BA%E3%81%A5&x=0&y=0
新大系文庫本万葉集 佐竹昭広・山田英雄・工藤力男・大谷雅夫・山崎福之校注『万葉集(三)』岩波書店、2014年。
多田2009. 多田一臣『万葉集全解4』筑摩書房、2009年。
中西1980. 中西進『万葉集 全訳注原文付(二)』講談社(講談社文庫)、1980年。
吉岡2002. 吉岡幸雄『日本の色を染める』岩波書店(岩波新書)、2002年。
吉岡2007. 吉岡幸雄『日本の色を歩く』平凡社(平凡社新書)、2007年。
(English Summary)
There is an expression “to appear in color” (色に出づ) in Manyoshu. This idiomatic expression was interpreted as the complexion, but it has come to be considered more broadly to refer to exposure such as gestures and actions. It can be understood from the examples of Manyoshu, but the meaning of the word “color” (色) remains ambiguous. In this paper, we also pay attention to the usage of the particle "ni" (に). It becomes clear that the particle "ni" (に) was a combination of the two usages, such as "to become" and "similar to". “To appear in color” (色に出づ) included both the process of color development and the result of color development. That is, it was a self-double-binded representation. We can understand that the ancient Japanese were deeply interested in dyeing clothing and that “to appear in color” (色に出づ) was a metaphorical expression of dyeing.