古事記・日本書紀・万葉集を読む(論文集)

ヤマトコトバについての学術情報リポジトリ 加藤良平

万葉集の「はねかづら」の歌

2021年12月16日 | 古事記・日本書紀・万葉集
 万葉集に「はねかづら」の歌が四首ある。多田2009.の訳を付けて挙げる。

  大伴宿禰家持が童女(をとめ)に贈る歌一首
 はねかづら 今する妹を 夢(いめ)に見て 情(こころ)の内に 恋ひ渡るかも〔葉根蘰今為妹乎夢見而情内二戀度鴨〕(万705)
 成女のしるしの葉根蘰を今つけるあなたの姿を夢に見て、心の中でずっと恋しく思い続けていることだ。(2の141頁)
  童女が来り報ふる歌一首
 はねかづら 今する妹は 無かりしを いづれの妹そ 幾許(ここだ)恋ひたる〔葉根蘰今為妹者無四呼何妹其幾許戀多類〕(万706)(注1)
 葉根蘰を今つける女性などいなかったのに、どこの女性がそんなにも恋してあなたの夢に現れたのか。(2の142頁)
 はねかづら 今する妹を うら若み いざ率川(いざかは)の 音のさやけさ〔波祢蘰今為妹乎浦若三去来率去河之音之清左〕(万1112)
 成女のしるしの葉根蘰を今つけるあの子が初々ういういしいので、「いざ(さあ)」と誘おうとする、その率川の音の何とさやかなことよ。(3の33頁)
 はねかづら 今する妹が うら若み 笑(ゑ)みみ怒(いか)りみ 着けし紐解く〔波祢蘰今為妹之浦若見咲見慍見著四紐解〕(万2627)(注2)(注3)
 成女のしるしの葉根蘰を今つけるあの子がまだ初々ういういしいので、微笑ほほえんだり怒ったりしながら、着衣の紐を解くことだ。(4の397頁)

 「はねかづら」の実態は未詳である。女性の髪飾りの鬘の一種かとする説が古くからある。時代別国語大辞典に、「万葉に見える全四例、すべて今スル妹とつづくことから、何か特定の時期につけたものであろう。……ハネは、㋑鳥の羽根、㋺動詞ハヌの名詞形で、かづらの形状を示すもの、㋩花、㋥お歯黒のカネなどと結びつけて説かれているが、未詳。」(589頁) とある。
 歌を見ると、確かに女性が関係しているが、だからといって装身具に限って考えるのは適当ではない。万706番歌に、「童女」は「今する妹は 無かりし」としている。「今」とありつつ過去の助動詞キが用いられている。「今」には2つの意味が考えられる。第一は季節的に時季外れであるというもの、第二は今どきしないというものである。そして、万1112・2627番歌に「うら若み」とあって、かなり若い「妹」が想定されている。おままごとに髪を飾ったものとする説もあり得よう。
 髪を飾る鬘(かづら)になる植物を蔓(かづら)と呼んでいる。植物だから季節ものであると捉えられる。万705・706番歌の原文に「葉根蘰」と記されている。鬘にしようと蔓を採ってくるにしても、根ごと掘り起こしてくることはなかなか考えにくい。万葉集の表記は借字や戯書が多いから、おもしろがって記しているものであろう。それでも、どこか意味を含めようとしたふしもあり得る。根ごと掘り起こしてきたと想定するならすごく長いものであると考えられよう。クズやカズラの類で長い蔓に先に葉が付いているものである。それが「㋑鳥の羽根」ないし、「㋺動詞ハヌ」(跳)と関係しているとすれば、凧、ひいては連凧のようなものだと考えが及ぶ。凧のことは古くイカノボリと言った。和名抄に、「紙老鴟 弁色立成に云はく、紙老鴟〈世間に師労之(しらうし)と云ふ〉は紙を以て鴟の形に為り、風に乗り能く飛ぶといふ。一に紙鳶と云ふ。」とある。凧揚げは昔から冬の風物詩であった(注4)。また、連凧式のイカノボリは、漁村の光景に目にすることがある。イカ(烏賊)を吊り干している。
十美図放風筝(清代)
イカ干し(四季彩写真館様「イカあります」http://shikiphoto.blog67.fc2.com/blog-entry-516.html)
蔓を伸ばすヤマブドウ(ウィキペディアhttps://ja.wikipedia.org/wiki/ヤマブドウをトリミング)
群鴨の飛翔(ヒドリガモ?、一遍聖絵模本、国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2591579/22をトリミング)
 「はねかづら」が必ず「今する・・妹」に続いていたのは、年頃の女性がいかにも臭うスル・・メ作りを嫌がっている様子を窺わせる。凧を揚げて喜ぶのは「うら若」い幼な児であり、思春期の「今」はしないと言っている。万1112番歌の「いざいざ」などと連続して誘い出している光景は、連凧に凧が続々と連なることとオーバーラップしたもの言いである。むろん、お年頃になれば誘ってもなかなか出て来てくれはせず、「いざいざ」が「清け」く聞えるのは「妹」がまだ「うわ若」くて「はねかづら」を「今する」子どもだからである。万705番歌の、夢のなかで心のうちに「恋ひ渡るかも」と言っているのは、連凧のように鴨が編隊を成して渡る様子を掛けたものであろう。万2627番歌に、「笑みみ怒りみ 着けし紐解く」とあり、「怒(いか・・)り」にイカノボリのイカが含まれており、紐は凧と凧とをつなぎつけるもので男女の紐帯に準えている。
 「はねかづら」をして喜ぶのはまだ子どもの女子である。髪飾りにするにしても、凧揚げを一緒にして遊ぶにしても、成長するにつれて飽きられてしまう。逆に言えば、「はねかづら」に似合っている女はかわいいのだがまだ幼くて恋愛の対象に本来ならない。連凧を「はねかづら(葉根蘰、撥ね蔓)」とみたて、題材とした歌であると考える。大意を記しておく。

  大伴宿禰家持が童女(をとめ)に贈る歌一首
 はねかづら 今する妹を 夢(いめ)に見て 情(こころ)の内に 恋ひ渡るかも(万705)
 連凧を今している女子を夢に見て、連凧も編隊の鴨も空をうち渡るように心の内に恋ひ渡るものよ。
  童女が来り報ふる歌一首
 はねかづら 今する妹は 無かりしを いづれの妹そ 幾許(ここだ)恋ひたる(万706)
 連凧を成長した今になって、しかも季節外れにしている女子はいないものを、どこの女子がそんなに恋い慕っているというのでしょう。
 はねかづら 今する妹を うら若み いざ率川(いざかは)の 音のさやけさ(万1112)
 連凧を今にするような女子をいざなうに、相手がとても若いので、いざいざとくり返す川の音が凧のくり返しのようにはっきりと聞こえる。
 はねかづら 今する妹が うら若み 笑(ゑ)みみ怒りみ 着けし紐解く(万2627)
 連凧を今しているような女子はまだ若く幼いので、うまく行っては微笑み喜び、うまく行かなくて怒ったりしながらに付けた紐、よろしくない彼との関係を、私は解いて別れさせた。

(注)
(注1)「幾許」の訓みについては、ココダ、ソコバと意見が分かれている。新大系文庫本万葉集に、「他人の思いの程度を推し量っているのでソコバと訓む。」(413頁)とある。こちら側の事情かそちら側の事情か、指示代名詞の問題である。報えの歌を歌っている「童女」は「妹」側、女性陣の代表として発言しているからココダと訓むのが良いように感じられる。
(注2)この歌の「怒り」については「紐解く」と相俟って解釈が偏ることがある。多田2009.は、「笑みみ怒りみ」について、「微笑ほほえんだり、ねたりする。男に初めて接しようとする処女の媚態。」(397頁)とあるのは表面上の解釈として穏当である。大系本萬葉集に、「イカリは厳矛いかしほこのイカと起源を同じくする。従ってイカルとは心理的に怒気をふくむのが先ではなく、体をイカラスことが先である。ここで、「笑みみいかりみ」という場合も、ほほえんだり、身をこわばらせたりしての意であって、怒るのではないと思われる。」 (471頁)とある。確かに、イカ(烏賊)は干されて完全に水分がなくなってスルメになればかちかちに身をこわばらせることになるし、イカノボリ(紙老鴟)も竹の骨に身を張りこわばらせている。
 「怒り」は万葉集にこの一首のみ、後にもほぼ詠まれていない。飯泉2020.に、「歌が志向する世界(内省化)と「〈怒り〉の心」(外向化)とが異なるベクトルを示していた。……よって歌では「怒り」の語は詠まれず、〈恨み〉の歌が多く残るのであろう。歌が志向する(散文とは異なる)世界、また万葉人の心のコントロール方法と、歌における感情の表出方法とが、逆に「怒る」歌から窺える。」(243~244頁)とある。自身の内的心理描写が歌の真髄とする考えについて否定はしない。ただ、万2627番歌の「怒り」について大系本説を採っており、身をこわばらせることとして「怒り」の語を認識しているとなると、他の歌謡に身体の表現として「怒(いか)り」という語が現れても不思議ではないと思うがどうなのであろうか。歌謡の言葉は声に出して詠まれた音声言語だから、心情表現として「怒(いか)り」という語が現れないのは、イカ(烏賊)を干している様やイカノボリ(紙老鴟)が邪魔をして、その剣幕をうまく表せないからかもしれないと思われる。
 イカ(烏賊)が怒気を伴うほどに「怒(いか)り」を示すのは、干されたり揚げられたりしているときではなく、水中にあって墨を吐くときである。それは、碇(いかり)を下ろしているときである。碇は沈めて効果が出るもので、怒りを鎮めることが言葉の適正な用法ということになり、本邦では「怒髪天を衝く」という表現には発展しなかったものと思われる。怒りの声をあげることは言葉に自己撞着を起こす。万葉集には碇の歌が三首ある。

 大船の 香取の海に 碇下ろし 如何(いか)なる人か 物思はず有らむ〔大船香取海慍下何有人物不念有〕(万2436)
 近江の海(み) 沖漕ぐ船の 碇下ろし 隠(こも)りて君が 言待つ吾ぞ〔近江海奥滂船重下蔵公之事待吾序〕(万2440)
 大船の たゆたふ海に 碇下ろし 如何(いか)にせばかも 吾が恋止(や)まむ〔大船乃絶多經海尓重石下何如為鴨吾戀将止〕(万2738)

 万2436番歌では、原文に「慍」とある。「碇」という語に「いか(如何)」と重ねる言葉遊びも見られる。歌の詞とは音であった。
(注3)下二句について、歌い手の男を主語とする考えもある。大系本萬葉集に、「笑みみ─ミは試みる意。」(211頁)とあり、「ほほえんだり、おこったりして、」という、男が女に言うことを聞かせようとして、女の着物の紐を解くことと解している。だが、「うら若み」はいわゆるミ語法である。……ヲ……ミの形で、……が……なので、の意を表すのが通例である。格助詞ヲに代り、ここではガが使われている。主格がガで表されるのは従属節中である。連用形中止法の連続する「笑(ゑ)みみ怒りみ」して「紐」を「着け」た主体を「妹」と定めて従属節とするように決めるために、ガが用いられていると推定される。「妹」がうら若く幼いので、「笑み」したり、「怒り」したりしつつ「紐」を「着け」たという意味である。最後の「解く」まで「妹」の所作とすると、格助詞ガが主節の主格を表したことになってしまい、本来なら無助詞で表す上代の主格表現と相容れないことになる。
 まだ幼くて人を知らない娘が、ちょっとひやかしてきた男と一緒になろうと連凧に結びつけるようにくっつこうとしているが、その男は駄目だと引き離した。「はねかづら」をまだやっているほどに子どもなのだから、その調子で大人の関係を持ってはならないと親が禁じた、その次第を歌った歌である。
(注4)凧がいつからどのような形で本邦にあったか、不明である。「多くの未開民族が、原始的な凧を所有していたように、日本にも在来の凧があったと思われるが、その多くが外来の凧に取って代わられたように、日本古来の凧も姿を消していった。」(比毛1997.17頁)とする考えは妥当であろう。
 文献資料として和名抄以前のものとしては田氏家集に確かで、さらに遡るとするものとしては、風土記の「幡」、日本書紀の「鮹旗」がそれではないかと推測されている。

  看侍中局壁頭挿紙鳶諸同志
 風前試翼紙鳶新 何事由来挿壁塵 了-得行蔵能在_我 憐他飛伏必依_人 応鶴滞重皐 孤負鶯遷喬木 向上碧雲如分 憑君莫久縮絲綸(田氏家集48)
 珂是古(かぜこ)、即ち、幡(はた)を捧げて祈祷(の)みて云ひしく、「誠に吾が祀(まつり)を欲(ほ)りするあらば、此の幡、風の順(まにま)に飛び往きて、吾を願(ほ)りする神の辺(へ)に墮ちよ」といひて、便即(やが)て幡(はた)を挙げて、風の順に放ち遣りき。時に、其の幡、飛び往きて、御原郡(みはらのこほり)の姫社(ひめこそ)の社(もり)に墮ち、更(また)還り飛び来て、此の山道川(やまぢがは)の辺(ほとり)に落ちき。此れに因りて、珂是古、自(おのづか)ら神の在(いま)す処を知りき。其の夜(よ)、夢(いめ)に、臥機(くつびき)久都毗枳(くつびき)と謂ふ。と絡垜(たたり)多々利(たたり)と謂ふ。と、儛ひ遊び出で来て、珂是古を壓(お)し驚かすと見き。ここに、亦、女神(ひめがみ)なることを識(し)りき。即(やが)て社(やしろ)を立てて祭りき。爾(それ)より已来(このかた)、路行く人殺害(ころ)されず。因りて姫社(ひめこそ)といひ、今は郷(さと)の名と為せり。(肥前風土記・基肆郡)
 別(こと)に沙尼具那等に、鮹旗(たこはた)二十頭(はたち)・鼓二面・弓矢二具・鎧二領を賜ふ。……別に馬武等に鮹旗二十頭・鼓二面・弓矢二具・鎧二領賜ふ。(斉明紀四年七月)

 和漢三才図会に、「紙鴟いかのぼり 紙鳶 風箏 紙老鴟〈和名は師労之。今は烏賊と云ひ、関東に章魚と謂ふ〉事物紀源に云はく、高祖の陳豨を征するときに、韓信、中より起らむことを謀りて紙鳶を作り之れを放ち、以て未央宮の遠近を量り以て地を穿り宮中に隧入しめんと欲するなり。是れ蓋し古今に相伝はる説なり。△按ふるに、弁色立成に紙を以て鴟の形とし、風に乗りて能く飛ぶ者なりと云ふ。鴟、烏賊、章魚は形に因りて之れを名く。或に繒布を以て之れを為る。春月、小児多く之れを弄す。大なる者に至りては大人以て戯とす。」(国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2596364/37を訓み下した)とある。今日、正月遊びとされている。「春月」と見え、他書にも十一月から三月にするといった記述も見える。
 清の顧禄の清嘉録に、蘇州での様子が記されている。「……春日放之。以春之風自下而上。紙鳶因之而起。故有清明放断鷂之諺。常昭合志、児童放紙鳶、以清明日止、曰放断鷂。……呉穀人新年雑詠小序云、杭俗、春初競放鐙鷂、清明後乃止。諺云、正月鷂、二月鷂、三月放个[介?]断線鷂。……」(三月・放断鷂、国文学研究資料館・新日本古典籍総合データベースhttps://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/200014051/viewer/81~82、一部句点を読点に改めた)と見える。一定の風が吹くときに揚げるから楽しめるのであり、黄砂のなかや梅雨時の雨の止み間、真夏の炎天下や台風の時にするものではない。

(引用・参考文献)
飯泉2020. 飯泉健司『王権と民の文学─記紀の論理と万葉人の生き様─』武蔵野書院、2020年。
澤瀉1962. 澤瀉久隆『萬葉集注釋 巻第十一』中央公論社、昭和37年。
時代別国語大辞典 上代語辞典編修委員会編『時代別国語大辞典 上代編』三省堂、 1967年。
新大系文庫本万葉集 佐竹昭広・山田英雄・工藤力男・大谷雅夫・山崎福之校注『万葉集(一)』岩波書店(岩波文庫)、2013年。
大系本萬葉集 高木市之助・五味智英・大野晋校注『萬葉集 三』岩波書店、昭和35年 。
多田2009. 多田一臣訳注『万葉集全解 2』『同 3』『同 4』筑摩書房、2009年。
比毛1997. 比毛一朗『凧大百科─日本の凧・世界の凧─』美術出版社、1997年。

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