古事記・日本書紀・万葉集を読む(論文集)

ヤマトコトバについての学術情報リポジトリ 加藤良平

上代におけるケガレ(穢)という語の成り立ちをめぐって

2019年02月05日 | 古事記・日本書紀・万葉集
 ひとつひとつの言葉がどうしてそのような言い方をするのか、そもそもの始まりは何か、という疑問は誰しも抱くものである。そして、言葉には語源というものがあり、出発点を突き止めることで理解が増すと信じられる傾向がある。言葉のおおもとが決められれば、そこから派生していった種種の関連語の意味も理解されやすいと考えられている。ヨーロッパの諸言語のように、もともとギリシャ語やラテン語にあった単語が移入させられている場合、語源を探る考え方は科学的でさえある。けれども、ひとつの体系のなかに閉ざされて作られてきた言語の場合、その閉じた系のなかで語源をあぶり出すとするなら、循環論に陥りかねない。また、語源を問うための基礎資料は文字資料である。ヤマトコトバの場合、一番古いとされている記紀万葉を用いている。7~8世紀に成った文献をもって、おそらくは縄文時代から続いてきたであろうヤマトコトバの語源なるものを問うというのは、大胆不敵な試みである。ところが、民俗学の分野でたかだか江戸時代ぐらいまでしか遡れない概念にまで、語源を問うことが無批判に繰り返されてきた。
 語源なるものを求める際には、この事情をきちんと弁えておく必要があろう。忘れてはならないのは、語源はどこまでいっても説に過ぎないということである。遡って絶対にそうであると言うことは、初めてその語を使った人立会いの下、実況検分をしない限り不可能である。また、語源説は、音やアクセントの違いや転訛の法則に反するといったことで否定されることはあっても、言った者勝ちの様相を呈する傾向がある。例えば、コトバという語の語源は、コとハという二音が言葉のそもそもの始まりであるからという説が唱えられた時、そうではなかろうとは言えても、そうではないと反証する客観的な証拠を突き付けることはできない。反証の可能性を欠くことは、およそ科学的な学問ではない。とはいえ、その説によってその言葉の、また歴史に対する了解性が増すことも多くある。言葉の感覚が冴えて理解が深まるから、それらの議論は無意味なことではない。
 筆者は、基本的に“語源”を問うという立場に立たない。そうではなく、記紀万葉を伝えていた上代、特に飛鳥時代において、人々がその言葉はそういう意味合いからそう呼ばれているのであろうと納得されていたと思われる“語感”を大事にして、記紀万葉に実用されているヤマトコトバを研究している。
 したがって、語源説を披歴するつもりはないが、ケガレという語に対して行われてきた語源説は、あまりにも不可解なものばかりである。「褻離れ」説(大野晋ほか)や「気枯れ」説(谷川士清ほか)や「毛枯れ」説(山岡俊明ほか)や「怪我れ」説(西宮一民ほか)は実態に即しているとは言い難く、杜撰に思われる。そこで、筆者なりの感触を提示しておきたい。すなわち、ケガレ(穢)という言葉について、どうしてケガレ、ケガル、ケガス、ケガラハシといった音により、心が乱れるような汚れ感や、きたならしさの自覚を表していると思われていたのか、上代人の心性に音と意とがうまく合致していると認められていたのか、その点について合理的な解釈が得られればと考える。筆者は、上代語としてのケガレにのみスポットを当てている。
 先に筆者は、上代に使われていたケガレ(穢)という語の語義について、用例にもとづいて考察した(注1)。その意味するところは、汚れた、きたない、といったことを表すうち、実際の光景にではなく、心のうちにそのように思うことを指すと考えた。それは、神聖であると心で思うときに、それに反する形で現れるものであった。空間的に清浄でなければならないと心に決めているのにそうなっていないこと、また、時間的に当然そうあるべき事の順序と踏まえられるのにそうなっていないことを指して言っていた。整序の乱れこそが、神聖性を冒瀆し、道徳性を蹂躙し、淫らな非行行為であると認められる。それがケガレに当たる。整序の基準は自然の摂理を心に内在化させたことに始まりはするが、人間の心が専行してしまう場合もある。衛生家と潔癖症とは違うことに相当する。そのため、平安京の貴族社会が「都市化」した心に飲み込まれてしまうと、「触穢」に対して極度に畏怖して忌み嫌う現象が起っている。上代にはそのような“病的”な性格はなかったと考えた。
 空間的に、また、時間的に、整序を乱すと心に思われた事柄について、ケガレという語が用いられていた。通常状態と異なる状態である。それは古語に、ケ(異、ケは甲類)であり、形容詞形はケシ(異)、副詞形はケニ(異)である。

 「故、汝、寔(まこと)に異心(けなるこころ)勿くは、更(また)難波に返りて、仲皇子を殺せ。」(履中前紀)
 「陛下(きみ)、譬えば豺狼(おほかみ)に異(け)なること無し。」(雄略紀五年二月)
 「一(ひとはし)女の道を知りぬ。又安(いづく)にぞ異(け)なるべけむ。終に男に交(あ)はむことを願(ほり)せじ。」(清寧紀三年七月)
 嶋人、沈木(ぢむ)といふことを知らずして、薪(たきぎ)に交(か)てて竈に焼(た)く。其の烟気(けぶり)、遠く薫る。則ち異(け)なりとして献る。(推古紀三年四月)
 其の面身(おもてむくろ)、皆斑白(まだら)なり。若しくは白癩(しらはた)有る者か。其の人に異(け)なることを悪(にく)みて、海中(わたなか)の嶋に棄てむとす。(推古紀二十年是歳)
 「我、国異(け)なりと雖も、心断金(うるはしき)に在り。」(推古紀二十九年二月)
 「更に詎(たれ)か異言(けなること)せむといふ。」(舒明前紀)
 「先の日に言ひ訖(をは)りき。更に異(け)なること無し。」(舒明前紀)
 敬(ゐや)び重(あが)めたまふこと特(こと)に異(け)なり。(皇極紀三年正月)

 日本書紀の例からわかることは、「異(け)なり」、「異(け)なる」という言い方は、会話文に多いことである。「異(け)」とは気持ちの上で差異化をはかっていることが条件としてあって、そして心のうちに湧きおこった違和感を表す語であることをよく示している。

 韓衣 裾のうち交(か)へ 逢はねども 異(け)しき心を 吾(あ)が思はなくに(万3482)
 はろはろに 思ほゆるかも 然れども 異しき心を 吾が思はなくに(万3588)
 あらたまの 年の緒長く 逢はざれど 異しき心を 吾が思はなくに(万3775)
 妹が手を 取石(とろし)の池の 波の間ゆ 鳥が音(ね)異(け)に鳴く 秋過ぎぬらし(万2166)
 里ゆ異に 霜は置くらし 高松の 野山つかさの 色づく見れば(万2203)
 うたて異に 心いぶせし 事計り よくせ吾が背子 逢へる時だに(万2949)
 衣手 葦毛の馬の いなく声 情(こころ)あれかも 常ゆ異に鳴く(万3328)
 恋にもそ 人は死にする 水無瀬河 下ゆ吾痩(や)す 月に日に異に(万598)
 あしひきの 山辺に居りて 秋風の 日に異に吹けば 妹をしそ思ふ(万1632)
 我が屋戸の 田葛葉(くずば)日に異に 色づきぬ 来まさぬ君は 何心そも(万2295)
 天なるや 月日の如く 吾が思へる 君が日に異に 老ゆらく惜しも(万3246)
 吾が命の 全(また)けむ限り 忘れめや いや日に異には 思ひ益すとも(万595)
 うるはしと 我が思ふ君は いや日異に 来ませ我が背子 絶ゆる日なしに(万4504)

 万葉集の例からわかることは、形容詞ケシは、心という語を連体修飾して用いられるケースばかりであることである。普通じゃない、と判断するのは心なのだから、心の中の違和感を指す語であることは説得力がある。また、「日に異(け)に」の形が多い。日ましに、の意で、時間が経つにしたがって幾何級数的に程度が激しくなっていくことを言っている。「日に日に」が日ごとに、毎日、の意であるのとは訳が違う。前日の程度と今日の程度を比べると、比べものにならないほど増している。それが毎日つづく。そんなことを表現するために、「日に異に」と慣用句にしていて、接頭辞の「弥(いや)」をつけて「いや日に異に」、「いや日異に」と強調形にすることもある。今日の想定の範囲から外れるから、「異(け)に」なのである。「里ゆ異に」(万2203)、「常ゆ異に」(万3328)と比較の基準を表す助詞ユが用いられているのも、同様の事情からである。
 これらの「異(け)」は、客観的な基準のようなものが外的に存在するのではなく、心のなかでその人が決めた判断軸において異常事態を示す言葉である。そのことは、上代のケガレ(穢)という概念によく合致している。
 次のガ音は、助詞と捉えられる。連体助詞を出発点とした語である。ケガレという名詞を考えると、ケ(異)+ガ(助詞)+アレ(生・阿礼)の約ではないかと考えられる。アレは、アル(生)の名詞形で、神霊や天皇の出現、誕生の意である。心に異常事態が生まれたと感じることは、きれいに並び整って作物ばかりが生えていると思っていた田畑に、雑草が入り乱れて収穫に支障をきたすほどに心が害されることである。多様性について語られることの多い昨今、「雑草」という草がないことはよく知られるが、上代の人にとってもよく理解されていたのではないだろうか。人工的に管理して植物を育てることのほうが、つい最近始めたばかりのイレギュラーなことであった。しかも、水田に生えてくる雑草のうち、ヒエやクワイなどは食べられる。イネよりも背丈の低いクワイなどはそのまま放っておかれ、時期を違えて食べることがあった。栽培植物と野生植物の間の半栽培植物であるとされている。いま、植物の栽培のことをあげたのは、「穢」字が新撰字鏡に、「穢 薉同、於癈反、去、蕉悪也」、また、「蕪 穢也、荒也、志介志(しけし)」と解説されているからである。
 ところで、ケガル、ケガスといった動詞形の場合、助詞ガの用法としては一見、無理があるようにも思われる。助詞のガに動詞が下接するケースとしては、次のようなものがみられる。

 (a)家思ふと 寐を寝ず居れば 鶴(たづ)が鳴く 葦辺も見えず 春の霞に(万4400)
 (b)長き夜を ひとりやねむと 君がいへば 過ぎにし人の思ほゆらくに(万463)
 (c)我が欲りし 野島は見せつ 底深き阿胡根の浦の玉ぞ拾はぬ(万12)

 (a)は連体句になっており、連体助詞の用法と捉えることもできる用法である。(b)は従属句にあるもので、そこから解放されて主節に用いられる例は上代に見られない。ガが連体構成を強調する特異性によるとされている。(c)はアリガホシ、ミガホシの例と関連するもので、願望の動詞である。
 連体関係を表す助詞のノとガの違いに、ノは同一・包摂・内属の判断を基礎に広く使われるのに対して、ガは包摂判断を基礎にのみ用いられる。「梅の枝」と「梅が枝」の違いで説明されている。ノは意義上に下の「枝」に主点が置かれるが、ガは上の「梅」に主点が置かれている。(a)(b)(c)それぞれ、他の何か誰かではなく、「鶴」ガ、「君」ガ、「我」ガ鳴いたり言ったり欲りたりしている。(c)において、主語「我」に対して願望の気持ちを表す動詞が続いていることは、当然といえば至極当然のことである。願望する気持ちが本当にそうであると確かめられるのは当人だけである。心の内面のことだから、他の誰でもない「我」が「欲り」する包摂の関係にある。
 言い換えれば、連体助詞の性質を根強くもつ助詞ガの出現する要件は、ガの上にある語に表現のストレスがあり、下の語を包摂する関係にある点に由来しているともいえるのである。「欲る」という言葉は、心の内面にふつふつと湧いて出る強い感情である。それによく似た状況を、ケガル、ケガスという語は表しているのではないか。アル(生)、アス(生)という言葉は、神霊や天皇などが生れたり、出現したりすることを指し、神聖性を持ったものが現れることに限って使う。

 あれ坐しし御子の名(記)
 諸仏の国王、是の経の夫人と和合して、共に是の菩薩の子(みこ)を生(あせませ)り。(無量義経、1000年頃点)
 顕露 此には阿羅幡弐(あらはに)と云ふ。(神代紀)

 ケ(異)ガ(助詞)アル(生)とは、心のなかに本来あるべきではない通常とは異なる状態が、神聖性を基盤に据えながら生じている。神聖性を心に備えるとは、自分の外側の現実の清潔―不潔ではなく、自分の内側の心のなかに清浄―不浄の価値軸を設けることから来る。常ならざる異(け)なる状態がその価値軸にかかって生じているとすれば、それは、不浄感が生れていることになる。したがって、ケ(異)+ガ(助詞)+アル(生)→ケガル(穢)、ケ(異)+ガ(助詞)+アス(生)→ケガス(穢)、ケ(異)+ガ(助詞)+アラハ(露)→ケガラハ(+シ(形容詞語尾))という語構成からそれぞれの語はできあがっていると仮説されるのである。
 助詞のガが包摂関係に由来することは再度確認しておきたい。穢れた、あるいは、穢れている、といった言葉は、当事者や発話者がそのように感じている限りにおいてのことである。包摂すると認められるためには、ガに上接する語にとり上げる語は、自らかそれと近しい間柄の人間を指すことが多くなければならない。近しいということは、親愛の対象であり、あるいはまた、軽侮、嫌悪の対象でもあり得る。ケ(異)は主観であり、自分の心の内なる声のようなものだから、助詞ガが続くことにふさわしいといえる(注2)
 なお、ケの音については、ケガル(穢)のケの甲乙は仮名書きの例がなく知られない。名義抄から、ケは平声であると知られる。ケ(異)は甲類、雄略紀前田本訓と名義抄に去声、雄略紀兼右本訓に平声を示している。
 次に、記紀のケガル、ケガス、ケガラハシの個々の用例について検討する。
 人の名を穢す名誉棄損は、そのように当人が思ってはじめて出来する事態であり、現在も親告罪である。「爰に神の名(みな)・王(きみ)の名を以て、人の賂物(まひなひ)とするの故に、他(ひと)の奴婢(をのこやつこめのこやつこ)に入れて、清き名を穢汚(けが)す。」(孝徳紀大化三年四月)とある。神名・王名を使って奴隷を賄賂にしていたら、神や王に対して名誉棄損に当たると孝徳天皇が“親告”している。
 名を毀損することは穢すことである。「武彦、皇女を姧(けが)しまつりて任身(はら)ましめたり。」(雄略紀三年四月)とある。ここで「姧」をヲカス(犯・侵)と訓まず、ケガスと訓んでいる。皇族の身分は高いとしても、ヲカスという訓でかまわないであろう。問題は、𣑥幡皇女(たくはたのひめみこ)という名にある。𣑥幡とは、真っ白くて完璧にきれいに織り上げられた布帛をいう。一点のほつれもよごれもない。そんな名を冠した皇女は、“聖なる”と評されてしかるべき美少女にして処女であるということになり、公認されない性交渉があれば、それは穢(けが)したことになる。心に抱き持っている整った言葉の秩序を乱しているから、「異(け)」なるしわざということになる。
 月夜見尊が、保食神(うけもちのかみ)が口から食べ物を吐いているところを見て、「穢(けがら)はしきかな。」と言っている。が、それはものの捉え方が間違っているとして、天照大神は「汝は悪しき神なり。相見じ」と怒られて、隔離されることに至っている。保食神は食べ物を吐くのが仕事であるという見方との違いである。捉えようによってケガレかどうか変わってくる。
 天の磐戸事件後に、素戔嗚尊を追放する場面に、「衆神(もろかみたち)の曰く、「汝(いまし)は是躬(み)の行(しはざ)濁悪(けがらは)しくして、逐(やら)ひ謫(せ)めらるる者(かみ)なり。如何(いかに)ぞ宿(やどり)を我に乞ふ」といひて、遂に同(とも)に距(ふせ)く。」(神代紀第七段一書第三)とある。発言者は、衆神一柱一柱である。素戔嗚尊が宿を衆神を一軒一軒まわって求めたが、どこへ行っても同じ答えが返ってきたということである。衆神一柱一柱が、それぞれの心に「濁悪(けがらは)し」と思っていたということである。素戔嗚尊の所行は廃渠槽(ひはがち)、埋溝(みぞうめ)、毀畔(あはなち)、重播種子(しきまき)、捶籤(くしざし)、伏馬(うまふせ)とひどいものである。正常ではないというより尋常ではない。「異(け)」である。
 天武天皇の詔に、「凡そ諸の僧尼(ほふしあま)は、常に寺の内に住(はべ)りて、三宝(さむぽう)を護れ。然るに或いは及老(お)い、或いは患病(や)みて、其れ永(ひたぶる)に陜(せば)き房(むろ)に臥(ふ)して、久しく老疾(おいやまひ)に苦ぶる者は、進止(ふるまひ)便(もやもや)もあらずして、浄地(いさぎよきところ)亦穢(けが)る。」(天武紀八年十月是月)とある。天皇の心の基準として、寺院は清浄なところであるべきで、そこではすべからく清浄なふるまいでなければならないと考えたわけである。天皇の考えたドレスコードに引っ掛かるから、「異(け)」であるとしている。よって、「今より以後、各親族(うからやから)及び篤信(あつきまこと)ある者に就きて、一二の舎屋(やかず)を間処(むなしきところ)に立てて、老いたる者は身を養ひ、病ある者は薬を服(くら)へ」と解決策を提示している。
 黄泉国から帰還後、「伊弉諾尊、既に還りて、乃ち追ひて悔いて曰はく、「吾前(さき)に不須也凶目(いなしこめ)き汚穢(きたな)き処に到る。故、吾が身の濁穢(けがらはしきもの)を滌(あら)ひ去(う)てむ」とのたまふ。」(神代紀第五段一書第六)、「但し親(みづか)ら泉国(よもつくに)を見たり。此既に不祥(さがな)し。故、其の穢悪(けがらはしきもの)を濯ぎ除(はら)はむと欲して、」(神代紀第五段一書第十)とある。黄泉国のあり方が、蒲陶(えびかづら)から黒鬘(くろきみかづら)ができ、筍(たかむな)から湯津爪櫛(ゆつつまぐし)ができているはずなのにその逆を作るように、不可逆的なものを可逆的にしようとする整序を欠いた光景であったのを目にし、ああおぞましや、身が穢れたと伊弉諾尊が内心で感じている。尋常ではないから、「異(け)」であるとしている。
 天稚彦が復命しない罪を犯し、高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)の放った矢に当たって死んだとき、友人として味耜高彦根神が喪に臨んだら顔かたちが似ているというので親族から生きていたと喜ばれてしまった。味耜高彦根神は怒って言っている。「朋友(ともがら)の道、理(ことわり)相(あひ)弔(と)ふべし。故、汚穢(けがらは)しきに憚らずして、遠くより赴(おもぶ)き哀ぶ。何(なに)為(す)れか我を亡者(しにたるひと)に誤つ。」(神代紀第九段本文)とある。生者と死者とはきちんと区別されなければならない。あってはならない誤解をし、整序を欠いていると感じている。だから、穢らわしいと言っている。生死を間違えるなど、心に「異(け)」なるものはないということである。
 大化改新の詔に、墓所をまとめることが述べられている。「凡そ畿内(うちつくに)より、諸の国等(くにぐに)に及(いた)るまでに、一所(ひとところ)に定めて、収め埋めしむべし。汚穢(けがらは)しく処処(ところどころ)に散し埋むること得じ。」(孝徳紀大化二年三月)とある。生者の世界と死者の世界とを峻別したがる気持ちが孝徳天皇の心のなかにあるから、住所の側にてんでばらばらにお墓を作ることを禁じようとしている。天皇の心の内の清浄感が損なわれて「異(け)」なのである。
 孝徳紀に、官人の罪状を述べている。「台直須弥(うてなのあたひすみ)は、初(はじめ)は上を諫むと雖も、遂に俱に濁(けが)れたり。」(孝徳紀大化二年三月)とある。台直須弥は当初こそ諫言していたが、結局、上司と共に不正を働いたと言っている。清き初心を忘れて上司同様の不浄の心に染まったとするから、「俱に濁(けが)れたり」と言うのがふさわしい。本来であれば、諫めて上司の心を改心させるはずで、それがかなわないのであれば、上司のもとを去らなければ諫言するほどの人柄が台無しになった。心が腐ってしまったことは、「異(け)」である。
 新羅が百済の日本への献上品を奪って自分たちの品であると差し出したことがあった。その真偽を確かめるために使いが派遣された。「是に、千熊長彦を新羅に遣して、責むるに百済の献物(たてまつりもの)を濫(けがしみだ)れりといふことを以てす。」(神功紀四十七年四月)とある。貢物という神聖であるべきものについて、百済と百済の貢物、新羅と新羅の貢物の一対一対応を混乱させて「異(け)」にしていると知れた。だから、「濫(けがしみだ)れり」という表現になっている。
 兄の火酢芹命(ほのすせりのみこと)が弟の彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)に降参している。「是に、兄(このかみ)、著犢鼻(たふさき)して、赭(そほに)を以て掌(たなうら)に塗り面に塗りて、其の弟(おとのみこ)に告(まを)して曰(まを)さく、「吾(われ)、身を汚(けが)すこと此(かく)の如し。永(ひたぶる)に汝(いまし)の俳優者(わざをきひと)たらむ。……」とまをす。」(神代紀第十段一書第四)とある。褌姿に身をやつし、さらに手のひらと顔面とに赤い土の顔料を塗って恥ずかしいほどであると主張して命乞いをしている。外見上の恥は本心からのことであると伝えたいから、「汚(けが)すこと此の如し」と言っている。内心が関わって尋常ならざるという意は、「異(け)」である。
 以上、上代におけるケガレ語群について、ケ(異)+ガ(助詞)+アル(生)→ケガル(穢)とする仮説を立てて考察した。

(注)
(注1)拙稿「上代における死のケガレについて」参照。
(注2)このような語構成によって生まれたかにみえる例として、コガル(爛・燋)がある。焦げる、くすぶる、恋いこがれるの意で用いられる。万葉集には、「下こがれ」という慣用句で使われている。
 あしひきの 山田守(も)る翁(をぢ)が 置く蚊火(かひ)の 下こがれのみ わが恋ひ居(を)らく(万2649)
 燃焼によって色が濃くなることであると推定すれば、コ(濃、コは甲類)+ガ(助詞)+アル(生)→コガル(爛・燋)という語構成によって起こった語であると考えられる。コ(濃)いかどうか焼け具合の判断は当人に任せられるから、包摂関係を示す助詞ガが使われている。コ(濃)は客観的に見てわかることではないかともいえるが、万葉集の用例に「下こがれ」とある。蚊遣り火の下のほうが濃くなっているかどうかは、小屋に一人いる田守りの翁でなければ見えないし、恋心が濃くなっているかは恋している本人でしかわからないものである。

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