万4番歌の「馬並めて」の用字に「馬數而」とある。数(數)の字は、馬を数多く連ねたことを表すもので、数えることを表すものではないとされる。並ぶことを表すが、それは縦列駐車ではない。「船並めて」(「船並而」(万933)・「船並弖」(万36))とあるのも、船は並列に並んでいる。馬が同じ方向を向いて横に並んでいる様を上から見たとき、数を書き記したものと同様だからと用いられたのだろう。今日、正の字を書いて数を数えるように、上代は、線を縦に│││││と刻んで数を表した。このことは、ヤマトコトバの「数」や「数ふ」について、かなりのことを教えてくれる。
古典基礎語辞典の「数ふ」の項に、「カズ(数)とアフ(合ふ)が複合して転じた語……。……カゾフは一つ二つと数を合わせていく意。本来は足し算の行為であったと考えられる。そこから、勘定し、合計の数量を求める意で用いられる。また数を追って日数や日付を知る意。」(334頁、この項、筒井ゆみ子)とある。カズ、カゾフについて、使用例の多いものからいうと次のようにまとめられる。
➀ものかず。他のものと同列に取り上げて数えるに足る価値のあるもの。否定を伴って使われる。
次に淡洲を生む。此亦児の数に充れず〔此亦不以充児数〕。(神代紀第四段一書第一)
不屑〈物加須尓世須〉(新撰字鏡)
倭文手纏 数にも有らぬ〔数二毛不有〕 命もち なにかここだく 吾が恋ひ渡る(万672)
倭文手纏 数にも在らぬ〔数母不在〕 身には在れど 千年にもがと 思ほゆるかも(万903)
塵泥の 数にもあらぬ〔可受尒母安良奴〕 我故に 思ひわぶらむ 妹が悲しさ(万3727)
世間は 数なきものか〔加受奈枳物能可〕 春花の 散りの乱ひに 死ぬべき思へば(万3963)
…… 古ゆ 言ひ継ぎ来らし 世間は 数なきものそ〔可受奈枳毛能曽〕 慰むる 事も有らむと ……(万3973)
うつせみは 数なき身なり〔加受奈吉身奈利〕 山川の 清けき見つつ 道を尋ねな(万4468)
➁数量。分量。自然数。一つ、二つ、三つなど。また、無数。
掻き数ふ〔可伎加蘇布〕 二上山に 神さびて ……(万4006)
天数ふ〔天數〕 大津の子が 逢ひし日に おほに見しくは 今ぞ悔しき(万219)
松の花 花数にしも〔花可受尓之毛〕 我が背子が 思へらなくに もとな咲きつつ(万3942)
秋の野に 咲きたる花を 指折り 掻き数ふれば〔可伎数者〕 七種の花〈其の一〉(万1537)
…… 奉る 御調宝は 数へ得ず〔可蘇倍衣受〕 尽しもかねつ ……(万4094)
畳薦 隔て編む数〔隔編数〕 通はさば 道の柴草 生ひざらましを(万2777)
逢ふよしの 出で来るまでは 畳薦 隔て編む数〔重編数〕 夢にし見てむ(万2995)
出でて行きし 日を数へつつ〔日乎可俗閇都々〕 今日今日と 吾を待たすらむ 父母らはも(万890)
一人寝る 夜を算へむと〔夜笇跡〕 思へども 恋の繁きに 情利もなし(万3275)
➂書き表された数字。
水の上に 数書く如き〔如数書〕 吾が命 妹に逢はむと 誓ひするかも(万2433)
➀の例の、万3963・3973・4468番歌の「数」は、仏語の「数」、すなわち、存在の意の翻訳語ではないかとの説もある。当否はともかく、➀の義の定着が成せるわざであろう。➂の例の万2433番歌は、無常の譬えとの説もあるが、古代において数を書(掻)くとは、地面に縦線を掻き刻み、順に並べ加えていくことと考えられる。そのことは、➁の例の、「畳薦 隔て編む数」(万2777・2995)が、薦の繊維を粗い目で編む時、緯糸どうし、経糸どうしが並行になっていることからも窺える。また、枕詞「掻き数ふ」(万4006)が「二上山」の「二」にかかることにも見てとれる。本邦の掻き数え記すやり方が縦棒を連ねるものであるとき、│と一本だけ刻んでもはたしてそれが数えあげているものであるとは言い切れない。││とふたつ並んだ時、初めてそれが数を記すために地面を搔きほじっているものと認められる。さらに、枕詞「天数ふ」(万219)が、オホなるツ(ひとつ、ふたつのツ)の「大津」にかかることからも定められよう。ソラカゾフとは空(諳)で数を数えること、すなわち、天のように高いから多いこと、また、諳で数えることは間違えやすいことから大雑把なこと、大概おおよそのことを示すとされる。空という語は、(a)地と対照する天空の高みのこと、また、(b)天と地の間の茫漠たる間のことから、拠りどころのないことを指す。「数ふ」ことは線を掻(書)くことだから、地面でも紙でもない空中を相手にすると、一つ、二つと数えて count することなどできないのである。それがこの言葉の面白味である。
また、日にち、時間を数える例として、「日を数へつつ 今日今日と」(万890)、「夜を算へむと」(万3275)などとある。この「算」は原文に
(元暦校本万葉集、東京国立博物館研究情報アーカイブズhttps://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/E0003323をトリミング)の字が用いられている。笇の異体字と思われ、笇の字はものの数を数え、記録するために用いる細長い串、棒の類のものをいう。掻き刻む線と同じ形状といえる。この場合、「日」や「夜」は複数のうちのそれぞれに違いはない。昨日の日(夜)も今日の日(夜)も明日の日(夜)も、日は日、夜は夜であり、その観点からは区別がないのである。だから、「今日今日と」という言葉が続いてくる。串、棒、線のそれぞれに区別がないのと同じである。
書かずに count するためのより確かな方法に、「数む」(ヨは乙類)がある。古典基礎語辞典は、「読む」「詠む」字を掲げ、「一つずつ順次数えあげていくのが原義。古くは、一定の時間的間隔をもって起こる事象に多く用いた。一つ一つ漏らさずに確認・認知する意。……類義語カゾフ(数ふ)は、……指を折りながら加算してゆく意。」(1304頁、この項、筒井ゆみ子)とする。白川1995.は、「数」字も加えて掲げ、「数を数えることを原義とする。暦は「日數み」の意。数えるようにして、神に祈り唱え申すことを詠という。数えるにしても唱えるにしても、いずれも声を出していうことであった。「呼ぶ」とも関係のある語である。のち、しるされた文を読む意となる。」(794頁)とする。ヨムの用例については次のようにまとめられる。
➀数を数える。
吾[稲羽の素菟]、其の上を蹈み、走りつつ読み度らむ〔走乍読度〕。(記上)
伏超ゆ 行かましものを 守らふに 打ち濡らさえぬ 浪数まずして〔浪不数為而〕(万1387)
時守の 打ち鳴す鼓 数み見れば〔数見者〕 時にはなりぬ 逢はなくも怪し(万2641)
➁月日を繰る。また、月齢から月のこと、その神格化。
月読命〔月読命〕(記上)・月読尊〔月読尊〕・月弓尊〔月弓尊〕・月夜見尊〔月夜見尊〕(神代紀第五段本文)
月読(〔月読〕万670・671・1075・〔月夜見〕3245・〔月余美〕3599・〔月余美〕3622)
月読男(〔月読壮子〕万985・〔月読壮士〕万1372)
月数めば〔都奇餘米婆〕 いまだ冬なり しかすがに 霞たなびく 春立ちぬとか(万4492)
白栲の 袖解きかへて 還り来む 月日を数みて〔月日乎数而〕 行きて来ましを(万510)
…… 出でて来し 月日数みつつ〔月日余美都追〕 嘆くらむ 心慰に ……(万4101)
春花の 移ろふまでに 相見ねば 月日数みつつ〔月日餘美都追〕 妹待つらむそ(万3982)
…… 若草の 妻をも纏かず あらたまの 月日数みつつ〔月日餘美都々〕 蘆が散る 難波の御津に ……(万4331)
…… 人の寐る 味寐は睡ずて 大舟の ゆくらゆくらに 思ひつつ 吾が睡る夜らを 読みも敢へむかも〔読文将敢鴨〕(万3274)
…… 人の寐る 味寐は寝ずに 大船の ゆくらゆくらに 思ひつつ 吾が寐る夜らは 数みも敢へぬかも〔数物不敢鴨〕(万3329)(注1)
ぬばたまの 夜渡る月を 幾夜経と 数みつつ妹は〔余美都追伊毛波〕 我待つらむそ(万4072)
➂歌や経文、宣命などを声をあげて唱える。
乃ち御謡して曰はく〔乃為御謡之曰〕、〈謡、此には宇哆預瀰と云ふ。〉……(神武即位前紀戊午年八月)
故、此の二つの歌は読歌ぞ〔此二歌者読歌也〕。(允恭記)
暦博士固徳王保孫〔暦博士固徳王保孫〕(欽明紀十五年二月)
故、経を読むことを停む〔停読経〕。(皇極紀元年七月)
➂は、書かれた文字を一字一字声を立てて唱え、相手に聞かせることをいう。➀との共通点は、字を一字一字繰ってゆくように進んでいくことである。般若心経なら、観自在菩薩をクワン、ジー、ザイ、ボー、サッー、と唱えていく。すなわち、事柄と言葉とを一対一対応させている。➀は数詞との対応である。稲羽の素菟の例でいえば、ワニを、ひぃ、ふぅ、みぃ、と唱えながら踏んでゆくので、ワニは、ワニ1、ワニ2、ワニ3と numbering されていっている。ここに、ワニ1、ワニ2、ワニ3とある数字は、背番号なので序数詞である。時守の鼓であれば、ドン、ドン、ドンと続く音を、ひぃ、ふぅ、みぃ、と、口中で唱えて確かめている。ドン1、ドン2、ドン3である。口に言う言葉と、目の前にある事柄とが対応しているから確かである。文字を持たない時代に頼りとなる証拠はそこにしかない。
事柄と言葉が同じことと定める考え方を、筆者は上代にいわゆる言霊信仰の実体であったと考えている。無文字時代に言葉が事柄と違うことを言ってしまったら、理解が困難なカオスとなってしまう。証文のとれない約束事は反故にされることがあるように、世界全体森羅万象、皆、訳がわからないことになる。そうならないために、言葉を事柄と同じになるように努めて使うことが求められた。その副産物として、言葉に霊が宿っているように思わせるふしが生まれている。ただし、言葉にはすべからく霊が備わっていて、その言葉を発しさえすれば世界がそのようになるといった一部の新興宗教に見られるようなことが行われていたとは考えられない。「ヨムは、もし漢字を宛てるとすれば、「呪言む」とでもするのが本来的な、原初のニュアンスであった」(藤井1980.106頁)という妄説が罷り通るものではない。
アマテラス(天照大御神・天照大神)を天の石屋から引き出した時の話に次のようにある。
布刀玉命、尻くめ縄を以て其の御後方に控き度して、白して言はく、「此より以内に還り入ること得じ」といふ。(記上)
乃ち[中臣神・忌部神]請して曰さく、「復な還幸りましそ」とまをす。(神代紀第七段本文)
ロープを引き渡したとしても、戻ろうと思えば、外したりくぐったりすれば入ることは可能である。しかし、還り入るなと言葉にすることで、その通りの出来事となっている。上に述べたように、言葉と事柄との関係が同じになるのが約束事として決められているから、その約束事に従って天の石屋での発言は展開されている。現在の土地境界線には標となる杭が打ち込まれているが、それを勝手に掘り起こしてはならないと法律に定められており、登記簿にも記録保管されている。当時は文字がなく、登記することができなかった。そこで、言=事とする言霊信仰にゆだね、秩序を保つように図られていたのであった。
この意味合いでの言霊信仰においては、数を数えるとき、カゾフことは間違えがあり得るが、言葉にしてヨム際には間違えがないことがわかる。間違えるとワニの方から、あるいは、経文ならば一緒に読んでいる僧侶仲間から、間違えを指摘されて修正を受ける。
そして、➁の用法は、日(day)をヨム方法が月齢に依っていたことに因むものである。日(sun)の姿を見ても、毎日、形は真ん丸である。月はその形から、moon1、moon2、moon3とあらかじめ numbering されており、day と対応可能なのである。月には背番号がついている。十六夜の日は三日月の日から13日目と読めるのである。したがって、日中は日(day)は読めないが、夜は月(moon)から日(day)が読める。そこで万葉集の例に見られるように、「夜」を対象としてヨムと言っている。
夜を数える例として、カズ・カゾフの➁の例に、「一人寝る 夜を算へむと 思へども 恋の繁きに 情利もなし」(万3275)とあった。夜なのだから、月の形を見れば何日幾夜経ったか一目瞭然である。その際、曇っていた、目が悪いからわからない、といった指摘はおよそナンセンスなものである。そういうことではなく、恋心があまりに激しくて余裕がなく、正気を失って心が利かなくなると、月を拝むことすら念頭に浮かばない、その異常な精神状態を表すために「夜」をカゾヘムという言い方を用いている。月とヨムこととは密接な関係にある。
ただ、数え方一般のあり方からすると、これは特殊である。数の数え方は、一匹、二匹、三匹と次々に指していく序数的な数え方をする。個数が少なくて一目で数がわかる場合、それは基数的な数え方である。多くの数の観衆、2万人ぐらいという言い方も基数的な数え方であるとされている。スタジアムの収容人数から簡単に割り出されるからである。月の場合、姿を現した段階で背番号が見えてすぐわかる。数字が目に入って読むのと同じことになっている。もちろん、ツクヨミノミコトは月(moon)の個数を数えているのではない。日(day)を定めており、月(month)を数える場合は満ち欠けの一巡をひと月とする。ヨムには定めるというニュアンスが含まれている。
実はヨムの➀の例でも、「浪数まずして」(万1387)とあるのは、水に濡れたのはじゃぶじゃぶと寄せては返す一回ごとの波のことばかりをいうのではなかった。海には干満があり、さらに大潮小潮とあり、あるいは大潮の満潮時だったから濡れたことを表すのであろう(注2)。潮は月の引力によるから、月を読んでいれば濡れなかったに違いない。額田王の歌に、「熟田津に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな」(万8)とあるのも参考になる。
暦は「日数み」のこととされる。「日数へ」という語が造られなかったのは、伝来した暦法が太陰暦で月齢に依っていたこともあろうが、なにより、暦の本によって日(day)が day1、day2、day3と背番号をつけられて numbering されて定められ、なるほどと思えるほどに正しかったからだろう。暦の本とは日めくりと呼ばれるカレンダーである。毎朝当主がめくることで、今日はツイタチ、今日はフツカ、今日はミッカと、着実な一対一対応が可能になっている。
「数ふ」ことと「数む」ことは、結果的には同じことでも、もともとの意味には相違のあることが理解されるのである(注3)。
(注)
(注1)万3274番歌の類歌、万3329番歌は長い歌で、別の意味合いが加わっている。
(注2)多田2014.に、「海辺の難所を波の合間をねらって通過することをヨムと表現した例」とし、「このヨムには波間を計る意がある。」(400頁)とあるが、大縄跳びをするように皆してみぎわで遊んでいるわけではない。
(注3)木村2009.は、『日本方言大辞典』の「かぞえる(数)」の方言分布を載せている。ヨムは畿内、北陸、四国、南西諸島に、カゾエル系統はそれ以外に分布している。民俗学からは柳田国男『蝸牛考』のように興味深いものがあろうが、本稿とは趣旨が異なる。
(引用・参考文献)
木村2009. 木村紀子『原始日本語のおもかげ』平凡社(平凡社新書)、2009年。
古典基礎語辞典 大野晋編『古典基礎語辞典』角川学芸出版、2011年。
白川1995. 白川静『字訓 普及版』平凡社、1995年。
多田2014. 多田一臣「よむ【数む・読む】」多田一臣編『万葉語誌』筑摩書房、2014年。
藤井1980. 藤井貞和『古日本文学発生論─記紀歌謡前史─』思潮社、1980年。
※本稿は、2013年3月稿を2021年3月に改稿し、2025年2月にルビ形式にしたものである。
(English Summary)
In this paper, we will examine the similarities and differences between "Kazoꜰu (数・算)" and "Yömu (読・詠・数)" in ancient Japanese, Yamato Kotoba. From that examination, it can be seen that each word was used accurately, and that the kanji was written with the meaning in mind.
古典基礎語辞典の「数ふ」の項に、「カズ(数)とアフ(合ふ)が複合して転じた語……。……カゾフは一つ二つと数を合わせていく意。本来は足し算の行為であったと考えられる。そこから、勘定し、合計の数量を求める意で用いられる。また数を追って日数や日付を知る意。」(334頁、この項、筒井ゆみ子)とある。カズ、カゾフについて、使用例の多いものからいうと次のようにまとめられる。
➀ものかず。他のものと同列に取り上げて数えるに足る価値のあるもの。否定を伴って使われる。
次に淡洲を生む。此亦児の数に充れず〔此亦不以充児数〕。(神代紀第四段一書第一)
不屑〈物加須尓世須〉(新撰字鏡)
倭文手纏 数にも有らぬ〔数二毛不有〕 命もち なにかここだく 吾が恋ひ渡る(万672)
倭文手纏 数にも在らぬ〔数母不在〕 身には在れど 千年にもがと 思ほゆるかも(万903)
塵泥の 数にもあらぬ〔可受尒母安良奴〕 我故に 思ひわぶらむ 妹が悲しさ(万3727)
世間は 数なきものか〔加受奈枳物能可〕 春花の 散りの乱ひに 死ぬべき思へば(万3963)
…… 古ゆ 言ひ継ぎ来らし 世間は 数なきものそ〔可受奈枳毛能曽〕 慰むる 事も有らむと ……(万3973)
うつせみは 数なき身なり〔加受奈吉身奈利〕 山川の 清けき見つつ 道を尋ねな(万4468)
➁数量。分量。自然数。一つ、二つ、三つなど。また、無数。
掻き数ふ〔可伎加蘇布〕 二上山に 神さびて ……(万4006)
天数ふ〔天數〕 大津の子が 逢ひし日に おほに見しくは 今ぞ悔しき(万219)
松の花 花数にしも〔花可受尓之毛〕 我が背子が 思へらなくに もとな咲きつつ(万3942)
秋の野に 咲きたる花を 指折り 掻き数ふれば〔可伎数者〕 七種の花〈其の一〉(万1537)
…… 奉る 御調宝は 数へ得ず〔可蘇倍衣受〕 尽しもかねつ ……(万4094)
畳薦 隔て編む数〔隔編数〕 通はさば 道の柴草 生ひざらましを(万2777)
逢ふよしの 出で来るまでは 畳薦 隔て編む数〔重編数〕 夢にし見てむ(万2995)
出でて行きし 日を数へつつ〔日乎可俗閇都々〕 今日今日と 吾を待たすらむ 父母らはも(万890)
一人寝る 夜を算へむと〔夜笇跡〕 思へども 恋の繁きに 情利もなし(万3275)
➂書き表された数字。
水の上に 数書く如き〔如数書〕 吾が命 妹に逢はむと 誓ひするかも(万2433)
➀の例の、万3963・3973・4468番歌の「数」は、仏語の「数」、すなわち、存在の意の翻訳語ではないかとの説もある。当否はともかく、➀の義の定着が成せるわざであろう。➂の例の万2433番歌は、無常の譬えとの説もあるが、古代において数を書(掻)くとは、地面に縦線を掻き刻み、順に並べ加えていくことと考えられる。そのことは、➁の例の、「畳薦 隔て編む数」(万2777・2995)が、薦の繊維を粗い目で編む時、緯糸どうし、経糸どうしが並行になっていることからも窺える。また、枕詞「掻き数ふ」(万4006)が「二上山」の「二」にかかることにも見てとれる。本邦の掻き数え記すやり方が縦棒を連ねるものであるとき、│と一本だけ刻んでもはたしてそれが数えあげているものであるとは言い切れない。││とふたつ並んだ時、初めてそれが数を記すために地面を搔きほじっているものと認められる。さらに、枕詞「天数ふ」(万219)が、オホなるツ(ひとつ、ふたつのツ)の「大津」にかかることからも定められよう。ソラカゾフとは空(諳)で数を数えること、すなわち、天のように高いから多いこと、また、諳で数えることは間違えやすいことから大雑把なこと、大概おおよそのことを示すとされる。空という語は、(a)地と対照する天空の高みのこと、また、(b)天と地の間の茫漠たる間のことから、拠りどころのないことを指す。「数ふ」ことは線を掻(書)くことだから、地面でも紙でもない空中を相手にすると、一つ、二つと数えて count することなどできないのである。それがこの言葉の面白味である。
また、日にち、時間を数える例として、「日を数へつつ 今日今日と」(万890)、「夜を算へむと」(万3275)などとある。この「算」は原文に
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書かずに count するためのより確かな方法に、「数む」(ヨは乙類)がある。古典基礎語辞典は、「読む」「詠む」字を掲げ、「一つずつ順次数えあげていくのが原義。古くは、一定の時間的間隔をもって起こる事象に多く用いた。一つ一つ漏らさずに確認・認知する意。……類義語カゾフ(数ふ)は、……指を折りながら加算してゆく意。」(1304頁、この項、筒井ゆみ子)とする。白川1995.は、「数」字も加えて掲げ、「数を数えることを原義とする。暦は「日數み」の意。数えるようにして、神に祈り唱え申すことを詠という。数えるにしても唱えるにしても、いずれも声を出していうことであった。「呼ぶ」とも関係のある語である。のち、しるされた文を読む意となる。」(794頁)とする。ヨムの用例については次のようにまとめられる。
➀数を数える。
吾[稲羽の素菟]、其の上を蹈み、走りつつ読み度らむ〔走乍読度〕。(記上)
伏超ゆ 行かましものを 守らふに 打ち濡らさえぬ 浪数まずして〔浪不数為而〕(万1387)
時守の 打ち鳴す鼓 数み見れば〔数見者〕 時にはなりぬ 逢はなくも怪し(万2641)
➁月日を繰る。また、月齢から月のこと、その神格化。
月読命〔月読命〕(記上)・月読尊〔月読尊〕・月弓尊〔月弓尊〕・月夜見尊〔月夜見尊〕(神代紀第五段本文)
月読(〔月読〕万670・671・1075・〔月夜見〕3245・〔月余美〕3599・〔月余美〕3622)
月読男(〔月読壮子〕万985・〔月読壮士〕万1372)
月数めば〔都奇餘米婆〕 いまだ冬なり しかすがに 霞たなびく 春立ちぬとか(万4492)
白栲の 袖解きかへて 還り来む 月日を数みて〔月日乎数而〕 行きて来ましを(万510)
…… 出でて来し 月日数みつつ〔月日余美都追〕 嘆くらむ 心慰に ……(万4101)
春花の 移ろふまでに 相見ねば 月日数みつつ〔月日餘美都追〕 妹待つらむそ(万3982)
…… 若草の 妻をも纏かず あらたまの 月日数みつつ〔月日餘美都々〕 蘆が散る 難波の御津に ……(万4331)
…… 人の寐る 味寐は睡ずて 大舟の ゆくらゆくらに 思ひつつ 吾が睡る夜らを 読みも敢へむかも〔読文将敢鴨〕(万3274)
…… 人の寐る 味寐は寝ずに 大船の ゆくらゆくらに 思ひつつ 吾が寐る夜らは 数みも敢へぬかも〔数物不敢鴨〕(万3329)(注1)
ぬばたまの 夜渡る月を 幾夜経と 数みつつ妹は〔余美都追伊毛波〕 我待つらむそ(万4072)
➂歌や経文、宣命などを声をあげて唱える。
乃ち御謡して曰はく〔乃為御謡之曰〕、〈謡、此には宇哆預瀰と云ふ。〉……(神武即位前紀戊午年八月)
故、此の二つの歌は読歌ぞ〔此二歌者読歌也〕。(允恭記)
暦博士固徳王保孫〔暦博士固徳王保孫〕(欽明紀十五年二月)
故、経を読むことを停む〔停読経〕。(皇極紀元年七月)
➂は、書かれた文字を一字一字声を立てて唱え、相手に聞かせることをいう。➀との共通点は、字を一字一字繰ってゆくように進んでいくことである。般若心経なら、観自在菩薩をクワン、ジー、ザイ、ボー、サッー、と唱えていく。すなわち、事柄と言葉とを一対一対応させている。➀は数詞との対応である。稲羽の素菟の例でいえば、ワニを、ひぃ、ふぅ、みぃ、と唱えながら踏んでゆくので、ワニは、ワニ1、ワニ2、ワニ3と numbering されていっている。ここに、ワニ1、ワニ2、ワニ3とある数字は、背番号なので序数詞である。時守の鼓であれば、ドン、ドン、ドンと続く音を、ひぃ、ふぅ、みぃ、と、口中で唱えて確かめている。ドン1、ドン2、ドン3である。口に言う言葉と、目の前にある事柄とが対応しているから確かである。文字を持たない時代に頼りとなる証拠はそこにしかない。
事柄と言葉が同じことと定める考え方を、筆者は上代にいわゆる言霊信仰の実体であったと考えている。無文字時代に言葉が事柄と違うことを言ってしまったら、理解が困難なカオスとなってしまう。証文のとれない約束事は反故にされることがあるように、世界全体森羅万象、皆、訳がわからないことになる。そうならないために、言葉を事柄と同じになるように努めて使うことが求められた。その副産物として、言葉に霊が宿っているように思わせるふしが生まれている。ただし、言葉にはすべからく霊が備わっていて、その言葉を発しさえすれば世界がそのようになるといった一部の新興宗教に見られるようなことが行われていたとは考えられない。「ヨムは、もし漢字を宛てるとすれば、「呪言む」とでもするのが本来的な、原初のニュアンスであった」(藤井1980.106頁)という妄説が罷り通るものではない。
アマテラス(天照大御神・天照大神)を天の石屋から引き出した時の話に次のようにある。
布刀玉命、尻くめ縄を以て其の御後方に控き度して、白して言はく、「此より以内に還り入ること得じ」といふ。(記上)
乃ち[中臣神・忌部神]請して曰さく、「復な還幸りましそ」とまをす。(神代紀第七段本文)
ロープを引き渡したとしても、戻ろうと思えば、外したりくぐったりすれば入ることは可能である。しかし、還り入るなと言葉にすることで、その通りの出来事となっている。上に述べたように、言葉と事柄との関係が同じになるのが約束事として決められているから、その約束事に従って天の石屋での発言は展開されている。現在の土地境界線には標となる杭が打ち込まれているが、それを勝手に掘り起こしてはならないと法律に定められており、登記簿にも記録保管されている。当時は文字がなく、登記することができなかった。そこで、言=事とする言霊信仰にゆだね、秩序を保つように図られていたのであった。
この意味合いでの言霊信仰においては、数を数えるとき、カゾフことは間違えがあり得るが、言葉にしてヨム際には間違えがないことがわかる。間違えるとワニの方から、あるいは、経文ならば一緒に読んでいる僧侶仲間から、間違えを指摘されて修正を受ける。
そして、➁の用法は、日(day)をヨム方法が月齢に依っていたことに因むものである。日(sun)の姿を見ても、毎日、形は真ん丸である。月はその形から、moon1、moon2、moon3とあらかじめ numbering されており、day と対応可能なのである。月には背番号がついている。十六夜の日は三日月の日から13日目と読めるのである。したがって、日中は日(day)は読めないが、夜は月(moon)から日(day)が読める。そこで万葉集の例に見られるように、「夜」を対象としてヨムと言っている。
夜を数える例として、カズ・カゾフの➁の例に、「一人寝る 夜を算へむと 思へども 恋の繁きに 情利もなし」(万3275)とあった。夜なのだから、月の形を見れば何日幾夜経ったか一目瞭然である。その際、曇っていた、目が悪いからわからない、といった指摘はおよそナンセンスなものである。そういうことではなく、恋心があまりに激しくて余裕がなく、正気を失って心が利かなくなると、月を拝むことすら念頭に浮かばない、その異常な精神状態を表すために「夜」をカゾヘムという言い方を用いている。月とヨムこととは密接な関係にある。
ただ、数え方一般のあり方からすると、これは特殊である。数の数え方は、一匹、二匹、三匹と次々に指していく序数的な数え方をする。個数が少なくて一目で数がわかる場合、それは基数的な数え方である。多くの数の観衆、2万人ぐらいという言い方も基数的な数え方であるとされている。スタジアムの収容人数から簡単に割り出されるからである。月の場合、姿を現した段階で背番号が見えてすぐわかる。数字が目に入って読むのと同じことになっている。もちろん、ツクヨミノミコトは月(moon)の個数を数えているのではない。日(day)を定めており、月(month)を数える場合は満ち欠けの一巡をひと月とする。ヨムには定めるというニュアンスが含まれている。
実はヨムの➀の例でも、「浪数まずして」(万1387)とあるのは、水に濡れたのはじゃぶじゃぶと寄せては返す一回ごとの波のことばかりをいうのではなかった。海には干満があり、さらに大潮小潮とあり、あるいは大潮の満潮時だったから濡れたことを表すのであろう(注2)。潮は月の引力によるから、月を読んでいれば濡れなかったに違いない。額田王の歌に、「熟田津に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな」(万8)とあるのも参考になる。
暦は「日数み」のこととされる。「日数へ」という語が造られなかったのは、伝来した暦法が太陰暦で月齢に依っていたこともあろうが、なにより、暦の本によって日(day)が day1、day2、day3と背番号をつけられて numbering されて定められ、なるほどと思えるほどに正しかったからだろう。暦の本とは日めくりと呼ばれるカレンダーである。毎朝当主がめくることで、今日はツイタチ、今日はフツカ、今日はミッカと、着実な一対一対応が可能になっている。
「数ふ」ことと「数む」ことは、結果的には同じことでも、もともとの意味には相違のあることが理解されるのである(注3)。
(注)
(注1)万3274番歌の類歌、万3329番歌は長い歌で、別の意味合いが加わっている。
(注2)多田2014.に、「海辺の難所を波の合間をねらって通過することをヨムと表現した例」とし、「このヨムには波間を計る意がある。」(400頁)とあるが、大縄跳びをするように皆してみぎわで遊んでいるわけではない。
(注3)木村2009.は、『日本方言大辞典』の「かぞえる(数)」の方言分布を載せている。ヨムは畿内、北陸、四国、南西諸島に、カゾエル系統はそれ以外に分布している。民俗学からは柳田国男『蝸牛考』のように興味深いものがあろうが、本稿とは趣旨が異なる。
(引用・参考文献)
木村2009. 木村紀子『原始日本語のおもかげ』平凡社(平凡社新書)、2009年。
古典基礎語辞典 大野晋編『古典基礎語辞典』角川学芸出版、2011年。
白川1995. 白川静『字訓 普及版』平凡社、1995年。
多田2014. 多田一臣「よむ【数む・読む】」多田一臣編『万葉語誌』筑摩書房、2014年。
藤井1980. 藤井貞和『古日本文学発生論─記紀歌謡前史─』思潮社、1980年。
※本稿は、2013年3月稿を2021年3月に改稿し、2025年2月にルビ形式にしたものである。
(English Summary)
In this paper, we will examine the similarities and differences between "Kazoꜰu (数・算)" and "Yömu (読・詠・数)" in ancient Japanese, Yamato Kotoba. From that examination, it can be seen that each word was used accurately, and that the kanji was written with the meaning in mind.