古事記・日本書紀・万葉集を読む(論文集)

ヤマトコトバについての学術情報リポジトリ 加藤良平

滑石製刀子副葬の意味

2017年08月01日 | 上古・中古・中世・近世
 古墳に、滑石製のミニチュアが副葬されていることがある。各種あるが、ここでは滑石製刀子の意味について考える。
 その様子を見ると、鞘に納められている姿で模造している。わざわざミニチュアを拵えた理由は、刀子を表したかったからではなく、鞘を表したかったからと推測される。鞘を縫った針孔ばかりか糸目を表現したものも見られる(注)
石製刀子(奈良県河合町 佐味田宝塚古墳出土、古墳時代、4~5世紀、東博展示品)
 和名抄には次のようにある。

 刀子 楊氏漢語抄に云はく、刀子〈賀太奈(かたな)、上、都穻反〉といふ。(細工具)
 剣鞘 郭璞方言注に云はく、鞸〈音旱〉は剣鞘也といふ。唐韻に云はく、鞘〈私妙反、佐夜(さや)〉は刀室也といふ。(弓剣具)

また、新撰字鏡には次のようにある。

 鞘 思誚反、平、刀剣の室を成すを謂ふ、失知乃乎、又佐也(さや)。(鞘 思誚反平謂成刀剱室失知乃乎又佐也)

 中ほどの「失知乃乎」は、「失知のヲ(緒)」、備忘の用となる緒、手掛かりという意味であろう。刀子には大きさもさまざま、先の尖り方や反り、刃の幅もさまざまで、たくさんの数を使い分けていた。今日でも、初心者用の彫刻刀でさえ、平ら、斜め、U字、V字の刃がセットになって売られている。その数多い刀子を使い終わってしまう時、1点1点にそれぞれぴったりくる専用の鞘があった。それに納めていって、刀子のセット一揃えが確かめられることとなる。片付けの際に1つずつ入れていって、なお鞘が残っているなら、その鞘に入れるべき刀子をさてどこで使ったか思い出すことができる。
刀子の鞘の復元品(高槻市立今城塚古代歴史館展示品)
 したがって、「失知の緒」とは、忘れないようにするための手掛かりという意である。端的に言えば、鞘とは“忘れ形見”である。カタナ(刀)を鞘に納めるということは、カタナは片名であり、名の半分を指す。もう半分は、人々の記憶の中に納める。それがナ(刃、名)という言葉の本意である。人が実在して、名もあるように、刀子も実在して、納める鞘もある。鞘だけ作ることはない。
 人は2度死ぬと言われる。実際に当人が死ぬときと、その人を覚えている人が死ぬときである。生きている人に記憶されているうちは、その亡くなった人は生きている心のなかに生きていて、ありありと語られる。その記憶をたどる緒、思い出すよすが、それが「失知の緒」、鞘だといえる。あなたのこと覚えているからね、とお墓に鞘を副葬したということであろう。新撰字鏡は古墳の副葬品の意味を伝えている。

(注)世田谷区の野毛大塚古墳出土品(東京国立博物館http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1870参照。)に滑石製のミニチュアがある。①水の祭祀に関係があるものとして、水槽や下駄、②器として、坩(かん)と呼ばれる器やお皿、③生産用具として、斧や鎌、刀子が模造されているとされている。なかでも、刀子、つまり、小刀は、革製の鞘に納めた鉄製の刀子がモデルである。革製の鞘を表現するために、革を糸で縫っていったように、糸の穴を2列に開けていくほど手が込んでいる。
滑石製刀子(野毛大塚古墳出土、古墳時代中期、5世紀、東博展示品)
 滑石製の刀子は出土点数が著しく多く、野毛大塚古墳の第2主体部から232点以上も出土しているという。祭祀具として考えられているが、生産の祭祀に関わるものであるとの括りとしては他に斧、鎌が数点あるばかりで、残りはみな刀子である。
 刀子は、木を削り、包丁となり、埴輪の穴を開けることもでき、手作業に活躍する。農具(鋤や鍬)は、この刀子で木部を工作した。刃先は鉄でも、羽床(だい)と柄の部分は木でできている。伐り出してきた粗材を最終的に刀子で整えていく。刀子は、稲作に使う農具を作る道具、今風に言えば、機械の機械、マザーマシンである。
滑石製刀子群(野毛大塚遺跡、古墳時代中期、5世紀、東博展示品)
左:滑石製斧、右:滑石製鎌(同上)
実際の刀子(鉄製、高崎市綿貫町出土、古墳時代、5~6世紀、東博展示品、写真は左右反転)
鍬羽床部分(木製、静岡市清水区長崎遺跡出土、弥生時代中期~後期、前2~後3世紀、静岡市教育委員会蔵、東博展示品)
 野毛大塚古墳に多数の滑石製のミニチュア刀子が見られるからといって、モノが出土したから現代的な整理をしていては説得力ある議論、真の理解には至らない。刀子自身ではなく、それを収納する鞘部分を形象している点に注意を向けなければならない。他の滑石製ミニチュアのつくりの優劣の指標にもなり、それぞれに何を表したかったのかを考える端緒にもなろう。

※本稿は、2017年8月稿、同12月稿を、2020年9月に改稿したものである。

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