角灯と砂時計 

その手に持つのは、角灯(ランタン)か、砂時計か。
第9番アルカナ「隠者」の、その俗世を生きる知恵を、私にも。

PROM.10 三度、夫婦別姓について

2015-12-20 07:05:07 | 夫婦別姓、アレやコレや
PROM.06 夫婦別姓について
(→http://blog.goo.ne.jp/kawai_yoshinori/e/5a5891d818a06cbc47c76f6f87fc4246

および、
PROM.09 夫婦別姓について、再び
(→http://blog.goo.ne.jp/kawai_yoshinori/e/d1dada1c0611aa783a44094f6495560f

で、
〈結婚にあたって「姓」が変わる→人格を否定される→生きていけない〉
式の発想は、

単なる思い込みじゃないの?
何か別の意図を持った確信犯に、ノセられてるだけじゃないの?

と言ってきたつもりです。
さらに付け加えれば、

自分が(家庭の名前として)父母と共有する姓に拘ってるわりには、
自分の子供には(家庭のではなく)父か母かどちらか一方の姓を強要する、
その矛盾に気付いてほしいなあと思います。

じゃ、いわゆる社会進出によって、
「〇〇さんちの」という意味を越え、
広くキャリヤや地位と結びついた姓はどうなんだ、
となりますね。

はい、
仕事社会の人間としてそれを望むなら、
どうぞ遠慮せず使い続けてください。
通称使用は(まだまだ不便で面倒でしょうけど)、
それなりに認められてますし。

身を立て名を挙げた皆さんなら、
(どの程度か分からないので無責任発言ではありますが)
各場面、書類による姓の切り替えくらい、
お安い御用でしょう。

もちろん、
署名や印鑑の使い分けなど、
具体的な負担をさらに減らしていくことは必要だし、
当然のこととして推めてくれればと、私も願っています。

ただ、結果それでも、
「毎度毎度イヤになっちゃう」と思うか、
「ま、慣れちゃいました」と感じるか、
そこは人それぞれじゃないかなと。

社会的な通称姓と戸籍上の姓が違っていても、
それで人格が分裂する、というものでもないでしょう。
むしろ、その境遇を誇りとしてくださいな、と思いますよ。
苦渋ではあったにしても、自分で選択したわけですから。

ともかく、

両親(もしくは家庭)の姓であれ、
あるいは社会的に認知された姓であれ、
もっぱら自分個人の問題としか捉えていない人の別姓論は、
全くもって勝手で自意識過剰だなあ、というのが私の感想です。

本来、戸籍というのは、
誰かの子であり、誰かの妻(夫)であり、誰かの親である、
そういうことを証明するものなんですから。

日本における姓は、昔も今も「おうち」の名前。
外国のことは、この際、置いといてください。

次に、
親から受け継いだ姓(家名)を、
絶やすことはできない、次世代に伝えたい、
という視点からの別姓論についてです。

誰かの子孫であること、誰かの祖先になること、
それを大事にしたいという理由が本心ならば、
素晴らしいことです。

でもねえ、
だったら別姓にしたところで、
何の解決にもならないじゃないですか。

必ず(!)子供を2人以上産んで(もしくは養子を貰って)、
必ず(!)夫婦それぞれの姓を名乗らせないと意味がありません。

そんな覚悟のある別姓論者なんて見たことも聞いたこともないですよ。
どこかにいるんですか?

家名を伝えたいなら、
別姓を選ぶんじゃなくて、子供沢山産んでください。

子供が沢山いれば、妻(夫)の実家に、
養子に出すことだってできますよ。

ということで、
ムードに流されて別姓イイかも、なんて思わないでください。
特に、これから結婚する若い人は。

最後に、
自分はしないけど、人が別姓を選択するのはいいよ、
と考えている人へ。

例えば(実証するのは難しいですから)、
夫婦別姓(子供も必ず父母どちらかと別姓)によって
不和だったり暴力だったり、それこそ崩壊だったり、

が、あったとしても、
それが家庭内で収まってる限り、
ま、お好きにどうぞ、とも言えますね。
知ったこっちゃないと。

けど実は、
別姓選択を認めてしまうと、
ちょっと困っちゃうこともあるんですよ。

例えば、
PTAや子供会、地域自治会の役員とか務めると、
誰と誰が夫婦でその子供が誰でっていうことが分からないと、
物事が進んでいかないことが多々あるんです。

福島太郎クンのお父さんと思しき人に、
「福島さんですね」と確認すると、
「違います。岡田です」とか、

岡田花子チャンのお母さんを探して、
「花子チャンのお母さん、岡田さん、どちらですか?」と呼びかけると、
「あ、私です。福島ですが」とか、

「あれま、じゃ太郎クンと花子チャン、兄妹だったんだね。
 全然分からなかったよ」とか、

覚えるのは大変だし、気も遣う。
やりにくい事この上ない。
ご近所さんとして、そういうことを強いられるんですよ。

今回の判決に関して、
学校の先生たちが大層気をもんでましたが、
お察ししますね。

選択制度が認められれば、
別姓で通したい人は、気が晴れ、ラクになるかもしれませんが、
その分、周囲の人間が面倒を抱えることになります。

外国では上手くやってるって?

そうかもしれないし、そうでないかもしれない。
どっちにせよ、外国のことは置いといてください。
ここは日本で、今日本の話してるんですから。

ま、そんなわけで、

〈選択できるのはいいこと。個人の自由が何より大切〉

ごもっともで反対しにくい部分にこそ、
危険が潜んでるってこともありますから、
そこはお互い、気をつけましょう。

ここでダメ押し。

私的であれ公的であれ、
真に貴方を貴方として認めているのなら、
「結婚して名前変った」
としても、周囲の人間は素直にそのまま受け入れます。

旧姓時の貴方を忘れるはずないし、
失われたとも、まして死んでしまったなんて思うはずがありません!


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