昭和21年1月1日、
「新日本建設に関する詔書」
が発せられました。
いわゆる「人間宣言」で、巷間、
天皇陛下が、自ら神格を否定したものだと言われていますが、
ウソです。
少なくとも、
試験問題としてこの詔書にこのタイトルをつけたら、
不合格間違いないし、です。
ソレに関する言及は、
然レドモ朕ハ爾等国民ト共ニ在リ、常ニ利害ヲ同ジウシ休戚ヲ分タント欲ス。朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神(アキツミカミ)トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ。
(国立国会図書館:天皇「人間宣言」→http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/03/056/056tx.html)
という部分ですが、
詔書全体から見ると、
冒頭でなく、末尾でなく、ちょうど中程、
かつ、文章の主語は「朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ」ですから。
ところで、
この詔書が出された正月、
言うまでもなく、日本は連合軍の占領下にありました。
故に、詔書の内容や発表が、
連合軍の命令によるものなのか、
日本側が主導したのか、
あるいは昭和天皇御自らの御意思なのか、
様々な見方があります。
各々の見解によって、詔書の価値自体、
受け止め方も変ってくるわけですが、
どうやら、どれもが正解というもののようです。
その辺りの事情は、
『平和の海と戦いの海』で、
平川祐弘氏が詳しく書かれています。
(講談社BOOK倶楽部:『平和の海と戦いの海』→http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784061590748)
山梨さんは「向こうのいうことを聞いてこっちが書くのでも意味がない」しかし「こっち側だけ出してマッカーサー連合軍が横を向くのでは値打ちがない」。それで相手の示唆をもとめたのだ。
これは、
詔書づくりに関わった、
山梨勝之進という人についての記述です。
加えて、
天皇陛下が素案に対して、
「これは結構だが、詔書として今後国の進路としてかように進歩的な方向を示す場合に、その事柄がなにも突然に湧き上がったというわけでなく、わが国としてはすでにかような傾向が、明治大帝以来示されて居るのであり、決して付焼刃でないという事をも明らかにしたい。そのなによりの例は、明治の最初のときに、明治天皇が示された五箇条の御誓文である。・・・そういうような意味も詔書のなかに含ませてもらえないだろうか」
と言われた、とも書いています。
詔書の、
その冒頭第一節に五箇条の御誓文が置かれているのは天皇御自身のこのいかにも適切な発意によるものである。
わけですね。
ならば、
今一度その冒頭部分を噛み締めて、
戦後71年目のこの1年を始めるのも良いんじゃないかと思います。
茲ニ新年ヲ迎フ。顧ミレバ明治天皇明治ノ初国是トシテ五箇条ノ御誓文ヲ下シ給ヘリ。曰ク、
一、広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ
一、上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フヘシ
一、官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメンコトヲ要ス
一、旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ
一、智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ
叡旨公明正大、又何ヲカ加ヘン。朕ハ茲ニ誓ヲ新ニシテ国運ヲ開カント欲ス。須ラク此ノ御趣旨ニ則リ、旧来ノ陋習ヲ去リ、民意ヲ暢達シ、官民拳ゲテ平和主義ニ徹シ、教養豊カニ文化ヲ築キ、以テ民生ノ向上ヲ図リ、新日本ヲ建設スベシ。
最後に、
本来詔書のタイトルとすべき、結びの1文です。
非力で小心者の私ですが、ぼちぼち頑張ります。
一年ノ計ハ年頭ニ在リ、朕ハ朕ノ信頼スル国民ガ朕ト其ノ心ヲ一ニシテ、自ラ奮ヒ自ラ励マシ、以テ此ノ大業ヲ成就センコトヲ庶幾フ。
・・・ ・・・ ・・・ ・・・
*「新日本建設に関する詔書」≠「人間宣言」ということについては、
すでに様々指摘がなされています。以下、参考までに。
小名木善行 ねずさんのひとりごと:天皇人間宣言という言葉のまやかし
→http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1051.html
ぼやきくっくり:新日本建設に関する詔書
→http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid1123.html
*占領下だっただけに、英文(発表前に連合国の了解を得ていたし、1日以降、海外報道もなされた)もあります。
日英対訳、後の陛下記者会見文字起こし付き
芋太郎の広場:対訳“人間宣言”→http://www.chukai.ne.jp/~masago/ningen.html
「新日本建設に関する詔書」
が発せられました。
いわゆる「人間宣言」で、巷間、
天皇陛下が、自ら神格を否定したものだと言われていますが、
ウソです。
少なくとも、
試験問題としてこの詔書にこのタイトルをつけたら、
不合格間違いないし、です。
ソレに関する言及は、
然レドモ朕ハ爾等国民ト共ニ在リ、常ニ利害ヲ同ジウシ休戚ヲ分タント欲ス。朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神(アキツミカミ)トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ。
(国立国会図書館:天皇「人間宣言」→http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/03/056/056tx.html)
という部分ですが、
詔書全体から見ると、
冒頭でなく、末尾でなく、ちょうど中程、
かつ、文章の主語は「朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ」ですから。
ところで、
この詔書が出された正月、
言うまでもなく、日本は連合軍の占領下にありました。
故に、詔書の内容や発表が、
連合軍の命令によるものなのか、
日本側が主導したのか、
あるいは昭和天皇御自らの御意思なのか、
様々な見方があります。
各々の見解によって、詔書の価値自体、
受け止め方も変ってくるわけですが、
どうやら、どれもが正解というもののようです。
その辺りの事情は、
『平和の海と戦いの海』で、
平川祐弘氏が詳しく書かれています。
(講談社BOOK倶楽部:『平和の海と戦いの海』→http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784061590748)
山梨さんは「向こうのいうことを聞いてこっちが書くのでも意味がない」しかし「こっち側だけ出してマッカーサー連合軍が横を向くのでは値打ちがない」。それで相手の示唆をもとめたのだ。
これは、
詔書づくりに関わった、
山梨勝之進という人についての記述です。
加えて、
天皇陛下が素案に対して、
「これは結構だが、詔書として今後国の進路としてかように進歩的な方向を示す場合に、その事柄がなにも突然に湧き上がったというわけでなく、わが国としてはすでにかような傾向が、明治大帝以来示されて居るのであり、決して付焼刃でないという事をも明らかにしたい。そのなによりの例は、明治の最初のときに、明治天皇が示された五箇条の御誓文である。・・・そういうような意味も詔書のなかに含ませてもらえないだろうか」
と言われた、とも書いています。
詔書の、
その冒頭第一節に五箇条の御誓文が置かれているのは天皇御自身のこのいかにも適切な発意によるものである。
わけですね。
ならば、
今一度その冒頭部分を噛み締めて、
戦後71年目のこの1年を始めるのも良いんじゃないかと思います。
茲ニ新年ヲ迎フ。顧ミレバ明治天皇明治ノ初国是トシテ五箇条ノ御誓文ヲ下シ給ヘリ。曰ク、
一、広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ
一、上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フヘシ
一、官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメンコトヲ要ス
一、旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ
一、智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ
叡旨公明正大、又何ヲカ加ヘン。朕ハ茲ニ誓ヲ新ニシテ国運ヲ開カント欲ス。須ラク此ノ御趣旨ニ則リ、旧来ノ陋習ヲ去リ、民意ヲ暢達シ、官民拳ゲテ平和主義ニ徹シ、教養豊カニ文化ヲ築キ、以テ民生ノ向上ヲ図リ、新日本ヲ建設スベシ。
最後に、
本来詔書のタイトルとすべき、結びの1文です。
非力で小心者の私ですが、ぼちぼち頑張ります。
一年ノ計ハ年頭ニ在リ、朕ハ朕ノ信頼スル国民ガ朕ト其ノ心ヲ一ニシテ、自ラ奮ヒ自ラ励マシ、以テ此ノ大業ヲ成就センコトヲ庶幾フ。
・・・ ・・・ ・・・ ・・・
*「新日本建設に関する詔書」≠「人間宣言」ということについては、
すでに様々指摘がなされています。以下、参考までに。
小名木善行 ねずさんのひとりごと:天皇人間宣言という言葉のまやかし
→http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1051.html
ぼやきくっくり:新日本建設に関する詔書
→http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid1123.html
*占領下だっただけに、英文(発表前に連合国の了解を得ていたし、1日以降、海外報道もなされた)もあります。
日英対訳、後の陛下記者会見文字起こし付き
芋太郎の広場:対訳“人間宣言”→http://www.chukai.ne.jp/~masago/ningen.html
全生庵
言霊百神
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