(産経新聞 令和元年5月1日大阪6版 1面)
大きな混乱もなく、いや、むしろ、ほぼ「歓迎ムード一色」の中で御代替わり・改元がなされた今となっては、既にどうでも良いことのように思わないでもないし、何なら、今は昔の物語と言っても良いくらいなのですが・・・
平成28年、上皇陛下(当時天皇陛下)が「お気持ち」を表明されてしばらく後、ワタクシ、こんなことを書きました。
高齢で自由に動けなくても、病弱で臥せっていても、
天皇は天皇です。天皇位に相応しいも相応しくないもありません。
今上陛下が、ご高齢にもかかわらず天皇であられることが問題なのではなく、
ご高齢の陛下に、過分のお務めを求め続けてきた国民の側に非があるんだと思います。
その非を改めるには、
陛下のご意向を受け止めて退位を認めるのではなく、
陛下のご意向に背いてでも在位のまま摂政を立てていただき、
一切のご公務から解放して差し上げる他ありません。
将来、ご不例となった折、
前天皇(上皇?太上天皇?)となっていれば、国民生活に影響が出ることはない、
というものでもないでしょう。
*PROM.42「御務めを果たせなくとも、御位に相応しくいられなくとも、天皇は天皇」だと思います。
→https://blog.goo.ne.jp/kawai_yoshinori/e/d36b4a0df7b5573a5073f53f842612ad
また、こんなことも書きました。
そうです。
明治以降、法治国家としての日本においては、
天皇ご自身を含め(!)、
何者かの意思によって天皇の退位が取り沙汰されることがあってはならないのです。
お務め云々は、二の次で構いません。
というか、何を置いても天皇の地位に在る、ということが、
第一のお務めなんです。
*PROM.46 天皇「生前退位」→譲位に関する基礎知識-3
→https://blog.goo.ne.jp/kawai_yoshinori/e/d5e479c3f79fedda329554dffe24d400
さらに、こんなことまで。
譲位について、
はっきり言ってしまえば、意図は問題ではないんです。
というか、
どのような意図であったにしても、
それは必ず解釈を生み、必ず憶測を呼びます。
今回の陛下のお気持ちの表明に関しても、
既に、色々と勝手なことを言う人がいます。
(自分にとって)都合の良いときだけ、
「天皇のご意向」を持ち出すのは、
厳に慎まなければなりません。
やや逆説めくのですが、
陛下を思えばこそ、陛下のお気持ちを汲んではならない、
と私は考えてます。
*PROM.47 天皇「生前退位」→譲位に関する基礎知識-4
→https://blog.goo.ne.jp/kawai_yoshinori/e/f4b9e45916ef1fbb127df305cb6ec70d
何故にこんなことを振り返っているかと言いますと・・・
現時点で(!)、今回の御代替わり・改元が上手く行き過ぎてて「一代限りの例外」であるはずが、例外でなくなる気配を痛切に感じるからです。
正直なところ、ワタクシ自身は、世の“行く年くる年”モード、特番に便乗商売、まあまあ硬いこと言うなよ、みたいな空気には、やや引き気味になってました。何しろ「予定された改元」「目出度いだけの改元」というものが、どうにもしっくりこなくてですね。
そりゃ過去には、祥事があり、あるいは凶事がありで改元してた時代もあったんでしょうけど、御代替わりと言えば昭和から平成以外知らない人間としては、人智の及ばぬ時の流れ、喪失の哀しみを一切含まない改元というのは、何か違うような気がしてしまうんですよ。
というか、今回の改元は、その部分を隠してる、もしくは先送りしてるとも言えるわけでして。
事の発端となった(実際には、その前段にも水面下で色々あったようですが)上皇陛下の「お気持ちの表明」の中には、このような一節がありました。
〈天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。更にこれまでの皇室のしきたりとして、天皇の終焉に当たっては、重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き、その後喪儀に関連する行事が、1年間続きます。その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります〉
*NHK NEWS WEB:象徴としてのお務めについての天皇陛下お言葉
→https://www3.nhk.or.jp/news/special/japans-emperor/
確かに、譲位された平成天皇は既に天皇ではありません。けれども、避けることのできない「その折」に、天皇ではなく上皇だからということで、私達は何事もないかのように過ごすことが出来るんでしょうか。もしくは、そのように過ごして良いんでしょうか。あるいは、(陛下のお気持ちに沿って)そのように過ごすべきなんでしょうか。
皇室のしきたりについては、ワタクシごときに何か言えるものではありませんが、いずれにせよソコを越えてからでないと、今回の「例外」たる御代替わり・改元についての良し悪しは、どちらとも判断がつきません。「御代替わりの宿題」と言うのは、その意味です。
・・・ええ、まあ、ちょっとね、斜め気分でそんなことを思ったりもしている、この10連休(ワタクシは8連休ですけど)でございます。
ともあれ、二言目には「平成最後の〜」とか「令和初の〜」とか言っていた方々、あるいは「令和令和で酒が呑めるぞ〜」ってな感じで盛り上がってた皆さんにおかれましては、今後、特に指定のない限り、日付表記は基本元号使用でいってくださるんですよね? ( )に入れるべきは西暦の方ということで良いんですよね?
「令和元年(2019)」! よろしくお願いしますよ。
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