亡くなってきた後聞いた話だが、
わしの母は戦争中、ある人と文通かなにかしていたらしい。母は、息子のわしがいうのも、なんですが、お目々ぱっちりの、なかなかの容貌の人だった。
関係は、兵隊に対する慰問かなにかから始まった話ではないかと思う。既に本人も、知り得た人も周りにはいなくなったのであくまで推測の話ですが。
最初、このことが、ぼんやり感じたのが、わしが、進学で名古屋にいったとき。
当時はあまり気にもとめなかったが、岐阜にそんな人がいるから、会いにいかないか、何回も言われた。何故いうのかそのときはわからなかったし、わしも若かったので、あまりいい気はしなかったから、聞き流していた。当時オヤジが死んだ直後で、さみしい気もあり、昔のことが澱のように表面に浮かび上がったのかもしれない。
戦争というぎりぎりの精神状態のなかでの、今では考えられないくらいのプラトニックな関係が本人にとっては、とてつもない忘れられない思い出として、以降の人生の中で自分の人生の象徴のように残ったのだろう。戦後のどさくさで、結局は成就することもなく終わり、その後の生涯はわしが知っているとおり60才になったときに終わった。
神様が最後に用意してくれたプレゼントだったかもしれないが、亡くなる最後の半年前、もう既に病床にあったとき(わしには何も言ってくれなかったので知らなかったが余命半年のことだった)、その人が、偶然だと思うが、はるばる母に会いに来た、「幸せに暮らしているか?」と。母は、老いて、弱った姿をみせたくないのだっただろう、「いないといってくれ」として、頑として会わなかったという。あの当時の、美しい思い出を、相手にも、自分にも、そのまま残して死にたかったのじゃないかという気がする。
母の気持ちも相当揺れたと思うが、気持ちは今となってはよくわかる。会っていればとも思う、最後の、最後だったのに。
ふと、自分も同じような歳になってから、このことはたびたび思い出す。ずいぶん、歳をとったと感じる。