平成十年九月二十日、会社から帰路、パソコンショップに寄り道し、いろいろ見ていたら、急に目の前が真っ暗になり火花が散り、胸が苦しくなりましただ。
おもわずその場にしゃがみこむこと数分、よほど店員に救急車の手配を頼もうかと思ったほどの苦しさであった。が、数分後、どうにかその苦しみも治まり、顔色は恐らく真っ青に花って威ただだろうが、胸を右手でおさえつつ、ジムニーを片手運転して帰宅したアッシでごぜぇましただ。
帰宅して、そのまま寝床に潜り込んで寝ましたんでごぜぇますが、翌朝、どうも普通ではない感じがしたので、会社を休んで、カミさんと一緒に旭川市立病院へ。数時間待合室で待たされ、ようやく診察室へ。
昨夜の状態を医師に説明すると、即、車椅子が用意され、そのまま緊急入院。IGQに三日間も入れられたんでごぜぇますだ。
診察の結果はなんと「心筋梗塞」とのこと、検査々の連日 そのうちカテーテル検査をし、カテーテル手術を済ませ一カ月、明日は退院だと云うときに浜松で暮していた妹、康子が肺癌で死んだとの凶報が入りましたんでのでごぜぇますだ。
担当医師に、葬儀に出席したいんだがと相談したところ、浜松を「浜益」と、どうも聞き違いしたらしく、即、了承していただいたんでごぜぇますだ。手術後一週間で、浜松の葬儀に出席したのでごぜぇます。
矢張り、少し、精神的にも肉体的にもつらい日々でごぜぇましたなぁ。旭川空港から羽田空港まで、そこから新幹線で浜松の妹の家へ。
葬儀場を借りずに、自分の家で葬儀を行ったのでごぜぇますだ。娘が二人おりやして、長女が高校一年生、次女が中学二年でごぜぇましただ。亡くなった妹は数年前に離婚しており、母子家庭でございやして頑張っていたようでやんした。
5日ほどで、葬儀その後の手続きなどを終え、あっしはまた、病室へ戻ってきたのでごぜぇますだ。数日後には、退院するということも決まり、その日が目前に迫ってきた或る日、医師から、いろいろな検査の結果、胆嚢にポリープが発見されたとのこと、悪性の腫瘍か良性のものかは、手術して細胞を接種し、検査してみなければ何とも云えないとのことで、さすがにあっしも内心、青くなったのを覚えておりやすでやんすよ。
今まで、病気らしい病気で入院したことがあったのは「盲腸」のときだけのアッシだっただけに、このときは心底まいりかけましたなぁ。 というわけで、五階の内科より、三階の外科に病室が変わりましただ。
そんなこんなで、あっしは万が一のことを考え、「墓」を購入いたしましたんでやんすよ。外出許可をもらって、墓を購入してきたあっしでやんしたよ。場所は、観音霊園でごぇますだ。自分が死んでしまったら、墓が無かったら、カミさんが大変だろうと思いましてな。「死」のことばかり、考えていたアッシでございましたなぁ。いろいろな検査の結果、開腹手術になったのが、十二月の頭でございましたなぁ。
全身麻酔の手術でございましたんで、全く手術の様子は覚えておりませんだ。ただ、手術を終えたあとの二日間は高熱にうなされ、つらい思いをしたのは鮮明に覚えておりやす。手術までの期間が二ヶ月ほどありましたので、その間、もし悪性腫瘍の癌だったらと何度脳裏を掠めたことでござんしょう。今、思うとやはり若かったせいもあったんでやんしょうねぇ、マイナス思考の考えばかり繰り返し考えておりやしたですなぁ。
手術したおりの、尿道カテーテルからの血がなかなか止まらず、この出血が止まらない限りは退院は許可出来ねぇと云われやしえねぇ。何日経っても、出血が止まりやせんでやんしたよ。そこで、ハッとあっしは気がついたんでやんすよ。もしかしたら、心臓の薬のなかで、血液をサラサラにするのがありやしたので、ドロドロの血液にしたら出血が止まるんじゃねぇかと。。。そこで、外科の医師に心臓の薬を三日ほど飲むのをやめても大丈夫かと、心臓の担当医師に問い合わせてくれと頼んのでやんすよ。
心臓の担当医師は、三日なら薬は止めても大丈夫だと返事がきたんで、さっそく心臓の薬を飲むのをとめたんでやんすよ。なんと、三日目で見事に出血が止まったじゃござんせんか。外科の担当医師がヤブ医者だと初めてそのとき知ったあっしでやんした(笑)。
もしかしたら、年末年始は病室で過ごすことになるのではと思っておりやしたが、十二月二十日無事退院し帰宅することが出来たアッシでごぜぇましただ。年末年始を我が家で過ごし、四日からもう会社へ出勤した自分でごぜぇましただ。
この話は、ここらへんで一息入れたいのだがなぁ~。
これ以降の、50代60代にまたまた、波乱万丈の出来事が起こったんじゃがのう(笑)。
一応、ここらへんで一息つきたいと思ってのう。また、機会があったら「続編」を話ししてみたいがな(笑)。
中 完
後 記
平成11年の正月明けの仕事始めのところで、筆を置いたのだが、それから数十年、
なんと筆は再び執ることなく、平成28年の春を迎えてしまっている現在なり。
一端、筆を置いてしまうと、なかなか再び筆を執るということが
如何に困難であるかが良く身に浸みたなり。
今月5月28日でもって、マイHPがサーバーの事情で閉鎖されることになってしまった為、
この「夢のまた夢」が、
このまま陽の目を見ることなく姿を消されることが惜しい気持ちから、
この「北の隠れ家」に載せた次第でございます。
果たして、続編が綴る日が到来するかどうかはわかりませんが、
その折はまた、一見のほどよろしくお願い致します。
なんと筆は再び執ることなく、平成28年の春を迎えてしまっている現在なり。
一端、筆を置いてしまうと、なかなか再び筆を執るということが
如何に困難であるかが良く身に浸みたなり。
今月5月28日でもって、マイHPがサーバーの事情で閉鎖されることになってしまった為、
この「夢のまた夢」が、
このまま陽の目を見ることなく姿を消されることが惜しい気持ちから、
この「北の隠れ家」に載せた次第でございます。
果たして、続編が綴る日が到来するかどうかはわかりませんが、
その折はまた、一見のほどよろしくお願い致します。
平成28年5月4日筆