北の隠れ家

 総本家「ホームページ風又長屋」・本家「風又長屋」の別館もございますのでご訪問を。 SINCE 2008.12.19

「TEXTエディタ」画像リンク成功

2009年09月30日 16時14分44秒 | ブログ


たった今、昼過ぎから行ってきたパークから帰宅したところなり。
風が少~し有ったものの、真っ青な抜けるような青空のもとで2時間半ほど遊んでくるなり。町内の方も、見えており一緒にプレイしてきたが、成績はどっこいどっこい(笑)。

そうそう 先日来の画像リンクがようやく出来るようになった。

足かけ 一週間、あ~でもないこ~でもないと、似たような操作を繰り返し、なかば諦めかけていた今朝であった。 それがようやく 出来るやり方を見つけたのである。 ふと時計を見ると、パークの約束の時間が目の前であった。

この写真がその画像リンク第一号である。写真ネタがないので、急遽パチリしたものである(笑)。
「HTMLエディタ」方式の書き込みでは、すでに画像リンクは出来ていたのだが、先日来また、もとの「TEXTエディタ」方式の書き込みに戻ってから、この画像リンクが思うように出来なくなっていたのである。
問い合わせをしても その指示通りにやってみたが成功せず、三度も問い合わせをしたが、結果は同じであった。三度目の問い合わせはもう、返事が来なくなってしまった(笑)。

それでも懲りずに、自力でなんとか、繰り返し操作をあ~でもないこ~でもないと、やっていたのだが、今朝、ようやく成功した。
気分良く、パークに出掛けたおいらであった(笑)。

追伸
   ただいま、午後20:01、gooさんから、今回の画像リンクの回答が再びとどきました。今回の説明と自力での解決法は少し異なっておりましたが、どちらも画像リンクは出来ることは、間違いありません。三度目の問い合わせでもう、回答の返事を諦めていた自分ですが、お返事をいただきましたこと、改めて公表させていただきます。

迷い道

2009年09月27日 10時06分35秒 | 花&庭


今朝はすばらしい青空なり 風もなく まさしく小春日和である
雲がまったく見当たらない 真っ青な青一色の秋空なり
それでも 今朝はエアコンの暖房を入れるほどの冷え込みであった


思い切って 「隠れ家」を閉じてしまおうかとも 想っている最近
やっぱり二兎を追うもの 一兎も得ずかも

秋雨

2009年09月25日 23時55分35秒 | ブログ

屋根を打つ雨音が 深夜に響く
いささか疲れを感じている  ようやく今夜 一つの課題を果たすことが出来た
気分一新にと テンプレートを変えてみる

なかなか気に入ったものが見つからない 
これはっと デザインが気に入っても 枠幅が合わない
わがままなものだ これとこれを合わせたら グッドなんだがと
ひとり 雨音を聞きながら 楽しんでいるのやら どうなのやら

要は気分一新したいだけのことなのだ
その気持ちに ぴったり合う テンプレートがない
次第に いらいらして もうどうでも良くなってくる
ここらあたりで 手を打とう きりがないから

秋の夜明け

2009年09月24日 10時30分51秒 | ブログ

久しぶりに夜中の3時半に目覚めたので そのまま起き出す
ついでに 写真ネタに使おうと 夜明けの空を撮る

これが平野で水平線の 夜明けシーンを撮るのなら 決まっただろう住宅街のど真ん中では こんな屋根の上の空しか 撮れない

これは早朝の割には 明るく撮れている 
実際はもっと 暗い カメラの腕が悪いのか事実を撮れない
贅沢は言えない 雨降りならば こんな写真は撮れなかったのだから

起きてから6時まで 寒い寒いと思いながらPCと向き合っていた
アホなおいら そうだと気がついてエアコンの暖房を入れた
健忘症の進化か はたまた ただのアホなのか


なんだかんだと 夜が明けた
二度と訪れてこない今日という日が明けた

 
ふと 顔を上げると 保育園児たちがラジオ体操をやっている
初めて見る光景 良いことだ こんな歳からラジオ体操を覚えるのは

保育園も それなりに進化しているのだろう
昔はこんな ラジオ体操の光景は目にしなかったものだ

6時半に神社や公園などへ行くと 年配の男女が
一生懸命ラジオ体操に 励んでいる これまた良い光景だ
自分はいつから しなくなってしまったのだろう


小春日和

2009年09月23日 11時18分46秒 | 花&庭


シルバーウィーク 最期を飾る今日 真っ青な暖かい秋日和なり
夜中に雨音がしたようだが 今朝カーテンを開けると 眩しい青空が
しかも おひさまの日差しが暖かい 
先日のあの寒さは いったいどこへ行ってしまったのだろう

これといって 載せる被写体もないので 青空に向かってパチリ
これから パークに今日も出かける予定なり
こんな 素晴らしい天気に家の中にいるのは もったいない
貴重な 北の大地の秋の好天である


ダリヤも この青空のもと 生き生きと咲いている
夜中に雨が降り  朝からはこの好天 ダリヤも喜んでおりことであろう

明日からはまた 天気が崩れだしそうな天気予報
アウトドアは 逃せれない今日の秋空である


パーク三昧

2009年09月22日 23時34分44秒 | 花&庭

天気予報は午前中 晴れマーク 午後曇りマーク
そんな中 パークへの誘いの電話あり 
同じ町内の ご夫婦から いつものように 
お昼近くであったが  青空も持ちこたえそうということで同道するなり


 3時間 いつものようにプレイ 旦那さんは各大会で優勝経験あり
実はおいらの パークの師匠でもある 
昨年の この地区を含めた12町内の代表選抜大会
ご夫婦そろっての男女組での それぞれの優勝者である


 パーク場はいつもの チャリンコで10分の河川敷
7月から一ホール 増設され 有料化になるなり
一日200円 シーズン券今年は半端ということで4000円
来年からは 6000円になるそうだ 今年は定額給付金を充てるなり


 3時間半ほどで 一万歩は歩いている 良い運動である
リハビリがてらに来られて プレイされておられる方もいるなり
最近は若い方も けっこう顔を見せている 
時おり 子供も一緒に家族プレイで楽しんでいるときがある


 3年目の今年 ホールインワンが9個出しているなり
スコアは par33のところを「23」で回ったのが最高記録なり


さてはて  こうして遊べるのももうわずか
 
天気の良い日は  無理してでも行く我れなり


シルバーウィーク

2009年09月20日 11時31分09秒 | ブログ

名付けたりも名づけたり  シルバーウィークとは

聞き触りは そう悪くはない

枯葉ウィークであったなら  全国騒動起きたにちがいない

いつの世の シルバー世代は元気なり

若い者に 負けてられないと (笑)

またしても 載せるほうも載せるなり 

それほど 見事な大輪の白ダリヤ まだまだ蕾が沢山見える

来月の末ころまでは 散っては咲き散っては咲く ダリヤ軍団

冬囲いをする傍で まだまだ元気に咲いている

我が家の一員 チュン太郎一家 否 一族なり

正月から春までは 姿をばったり見せなくなり

心配させたが 初夏のあたりから 徐々に戻ってくるなり

一時の雀軍団とは 少し数が減ったものの まだまだ健在なり 


今昔の庭

2009年09月19日 12時58分35秒 | 花&庭


ノコギリソウが未だに 散っては咲き散っては咲いている
あまりにも 鮮やかな白色に またカメラを
けっこう 広がってきている
花畑 ほとんど花の姿が消えている中 がんばっている

欲をいえば 花畑をこんなような 花で埋めてみたいものだ
チューリップ・ヒヤシンスが散った後 その場所に
来年は マリーゴールドや秋に咲く花を 植えておこうと


これらダリヤも けっこう咲いてくれている
ご覧のように 蕾がまだまだ沢山見える 
昔の 庭の写真を見ると ほとんど花の姿はみられない

そう 2年前までは庭に花の姿がなかった
ツツジ・木牡丹・シャクナゲ・芍薬
このような花しか 植えてなかったゆえ

それが 6月の年に一度の賑わいを過ぎると
残るは雑草畑と 模様替え 
それが ネットのブログを拝見していくうちに
180度変身 花を植え始めたのである

今や もう植える場所さえなくなってきてしまった
春から秋まで 庭に花が途絶えることがなくなった
まさか 室内種蒔きをしてまでも 花に関心を抱くようになるとは
お釈迦様でも ご存じなかったことであろう


マイホームページ開設記念日

2009年09月18日 12時18分42秒 | 花&庭

 

またまたダリヤである もう見飽きたことであろう

今日も 真っ青な青空 これぞ北の大地の秋の空といった感

夜中に雨が降って 朝はもう雨上がりの青空

こんな毎日が つづいている北の大地なり

さすがに 雑草がどんどん成長していっている

 

      

 

昨年夏に植えた「ミント」が 今年はこんなに広がっている

驚異的な成長ぶりである

放っておくと 庭がミントに占領されてしまいそう 

 

今日は 先日来悪戦苦闘してきている マイホームページ

まだまだ 未完成の段階ながら 公開することにするなり

完成を待っていては 

浦島太郎になっちまい 載せる機会を失うことになるやもと想い

「工事中」の部屋のなんと 多いこと 赤面の至りなり

徐々に 空室を満員にしていく予定なのだが

マイホームページ作成 初挑戦

これほど 難しいものとは露知らず 手がけたこと悔いるやも

しかし 何事もチャレンジ精神 北の大地の開拓魂の血が騒ぐ


秋たけなわ

2009年09月17日 10時56分24秒 | 花&庭

 

天高く馬肥ゆる秋 まさに今朝の今の秋空なり

春夏秋冬と それぞれ四季の四季がある

どの季節も 独特の味わいがあり これが一番というものはない

北の大地の住人は その中でも

やはり 春の季節が一番好きなのではないだろうか

長い半年もの冬から 開放され迎える 春の喜び

天は 本当に偉大なるものを 与えてくれている

 

可愛いミニ向日葵 大輪の向日葵とはまた異なる味が

春先の4月に 室内種蒔きをし育て

6月に 庭へ定植 そして秋の今 開花している

大輪の向日葵のように これもこぼれ種で 咲くのだろうか

今年は天候不順で 桃太郎もいまいちの収穫

農家が 大変なのがよくわかる 御苦労さま

来春は 今植えてあるものを 少し移動してみよう

やはり 場所によって かなり成長度が異なるゆえに 


なんとか心と秋の空

2009年09月16日 13時54分38秒 | 花&庭

夜中に雨が降り 朝は雨がりの青空
午後から次第に 雲が広がり 今にも雨が降り出しそう
ここ二・三日の秋の空もようである

ダリヤも これが最後のかと思っていたら
まだ1本残っていた 雀の金網式お宿の後ろに
あまりにも背が高いので 何の花かと思っていたが

どうも ダリヤの花らしい

この白いダリヤも けっこう背丈があるので
残っているのも 白ダリヤの花の可能性が強い

この孔雀草は まだかなり蕾があるが
今日はもう これらが開花し 満開である

背丈のある孔雀草も 別の場所に咲いているのを
今朝 発見 
見ごたえは こちらにはかなわないが

昨日今日と 雨上がりの朝で青空が広がるなり
今までと同じような時刻で パークゴルフに行くと
芝が夜中の雨で ぐっしょり

それで最近は 2時間ほどずらして行っているなり
お昼前後に戻ってくるのだが
いつも 帰宅してから まもなく天気が崩れだす
今年は昨日の出したホールインワンで8個目になった


大雪山旭岳初冠雪

2009年09月15日 14時36分56秒 | ブログ

 

12日に大雪山主峰旭岳(2291m)に 初冠雪


大雪山の高原は 今 紅葉の絨毯を敷き詰めたような庭園

それが この新雪とのコントランス
観光客が このすばらしい絶景に 歓声の声があがっているという

下界では まだ紅葉になっていないというのに
この天からの贈り物が やがてほどなく 下界にも届くかと思うと
喜んで良いのやら 悲しんで良いのやら

昨日今日と 久々の青空が 顔を出している
食欲の秋 読書の秋 スポーツの秋
北国にとって 短い秋の季節を堪能するには やはり天気次第である


 今年は季節感を味わう感がなかった年といっても過言ではない

ようやく 雪の姿が見えなくなって喜んでいたのも 束の間
夏がきたのか 忘れて過ぎ去っていったのか 

今年の夏は いままでにない 1週間ほどのものであった

あっという間に 秋がやってきている
この秋も すぐに過ぎ去って この大雪山旭岳の初冠雪のごとく
下界にも 天からの手紙が舞い降りてくることだろう


元気復活

2009年09月14日 10時46分55秒 | ブログ


 

静養期間10日 ようやく元気復活

この間青空の空は なんと3日しか無かった北の大地の秋空
この時期の kazemataガーデンは咲いている花は数えるほどなり

ダリヤ・ミニ向日葵・ホウセンカ・向日葵・ガウラ・マリンゴールド・
グラジオラス・ノコギリソウ・ベニチアくらいである

 

雀とカワラヒワは 毎日来訪している

毎朝 二人のお宿にそれぞれ 食事を運んでいるゆえである
雀も 春当時に比べると かなり数が増えてきている

カワラヒワの鳴き声は いまだ聞いたことがない
雀は にぎやかである 


また 白いものが降ってくるような時期になると
林檎をもとめて ヒヨドリの来訪となる
先日 ヒヨドリがやってきたが 北の大地で夏を過ごしたのであろうか

また 食事代がかさむ時期が近ずいてきている


伊豆の踊子   「 完結編 」     HP「kazemata劇場 第2幕」より

2009年09月03日 19時23分01秒 | 小説

吾朗が上京したのは、52歳のころであった。

池袋の西武デパートから、陽子のところに今、東京に来ている旨の電話をかけた。留守だったら、それでもかまわない、運命だろう故と割り切ってダイヤルを回した。なんと、陽子が電話口に出た。すぐ、吾朗だとわかったらしく、ぜひ自宅に来るように言われた吾朗であった。

運良く、陽子の自宅は池袋のすぐ近くの板橋にあった。
駅まで迎えにきてくれ、徒歩で行けるほどの近くの家であった。東京の家は隣との間がほとんど無いと言っても過言でないくらい、隣合わせであるのに吾朗は改めて気がついた。
陽子・再婚したご主人の二人暮らしだった。陽子は、息子の誠が大学を卒業させてから、再婚していたのである。ご主人は、なんと初婚だった。温厚な優しい方であった。

陽子は、その夜ぜひ泊まっていけと吾朗にせがんだ。夫婦・息子夫婦を紹介したかったからだ。誠は大学を卒業し、小学校の教師になっていた。最初の赴任地はなんと、北海道の稚内に近い片田舎の小学校に赴任していたのだった。

東京の大都会から、北の大地の果てに赴任してきた誠は、しばらく北国の生活や人間関係になじむことが出来ずに、東京に戻りたいと陽子に電話で何度も、云ってきたらしい。その時も陽子は、吾朗のところへ電話してきて、なんとかなだめて欲しいと頼まれた吾朗であった。車で3時間半のその片田舎の一郎のもとへ車を走らせた吾朗である。

いろいろ話を聞くと、どうやら環境が問題なのではなく、人間関係が問題だったようだ。一生、この片田舎にいるものでもなく、いずれは母親のいる東京勤務への希望が必ず叶うからと、説得に努めた吾朗、その甲斐あって、辛抱して頑張ってくれることを約束して、彼のもとを去った吾朗であった。そんな昔のことを思い出しながら、誠との再会を楽しみに待っていた。


 夜になって、誠夫婦と娘が来宅してきた。1歳になったばかりだという。めんこい娘さんで、じいちゃんばあちゃんになった、陽子夫婦は満面笑みが絶えなかった。陽子の発案で、吾朗の来宅記念ということで記念写真を撮ることになった。

なんと、中央に吾朗がその誠夫婦の一粒種を膝の上に抱いて記念写真を。
そういえば、一郎も生後3か月のころ、吾朗の膝の上で写真を撮っていたのを思い出した吾朗であった。陽子の息子・その息子の娘を膝に上に抱いての記念写真を撮るとは夢にも思ったことのない吾朗であった。遠い北国に暮らしている吾朗にとって、それは奇跡に等しい出来事であった。

川端康成の名作「伊豆の踊り子」の名は「薫(かおる)」、主人公の書生と出合った時は14歳、ちょうど吾朗が陽子に出会った時の、陽子の歳であった。天城峠で二人は出会い、下田まで、彼女ら旅芸人と一緒に旅をする話が、どこか、吾朗と陽子がその後の薫と、その書生のその後の物語を継いでいるかのように想えるのは、吾朗のみの心の奥深くであったであろうか。
このような吾朗と陽子のつながりは、純粋であった故に、陽子が14歳からいまの58歳にいたるまで、切れない糸がつながっているのであろう。

                                       【 完 】


伊豆の踊子   「 第四部 」     HP「kazemata劇場 第2幕」より

2009年09月02日 15時21分51秒 | 小説

吾朗が37歳になった夏の或る夜、一本の電話が鳴った。

なんと、10年近くも逢っていなかった陽子からの電話であった。明日、下田の家族も入れてみんなで、層雲峡温泉に行くとの内容であった。明日、東京を発って北海道家族旅行に出掛けるという。とりあえず、明後日の夜は層雲峡温泉で一泊するので、逢えたら逢いたいということであった。

吾朗は6時半に、層雲峡温泉グランドホテルロビーで桃木家の家族のツアーバスが到着するのを待っていた。予定時刻より20分遅れでようやく、ツアーバスがホテルに到着。吾朗は、目をさらのようにして、バスからホテルへ入ってくるツアー客の中にいるはずの桃木家の家族を追った。

桃木家の一同が目に入ってきた。ご主人・奥さん・陽子・一郎・そして陽子の一人息子の三郎の姿が。。。。。10年ぶりの再会であった。その夜は、10時ころまで昔話に花が咲いた一夜であった。その日吾朗は1時間半ほどの車で帰宅する車中、まるで10年も前に戻っている自分を感じた。

翌朝、札幌に向かう途中吾朗の街で、休息時間があるということで、吾朗は仕事の休みをとり、車で奥さん・陽子・一郎を載せてツアーバスの後ろについていったのだった。車中は、昔話から現在に至るまでのよもやま話に尽きる話題はなかった。
吾朗は卒業後、弘前に3年間暮らしていたことや、今の家庭のことやら、また桃木家では陽子が数年前に離婚して、今は、保母さんの仕事をしながら一人息子と暮らしていることなど、知らなかったことが沢山あった。スチュワーデスの仕事は結婚を機に辞めていたとのこと、なんとももったいないことであった。

あっという間に札幌につき、自由時間が数時間あったので、一行をあまり詳しくはわからない札幌の街を案内した吾朗である。希望を聞いて、北大構内を案内した。ポプラ並木・大学構内のキャンパスの芝生の上で寝転がって、旅の疲れを少しでも取ってもらおうと吾朗は、あまりあちこちと連れまわすを控えた。
あと、案内したのは「時計台」「ラーメン横町」であった。ラーメン横町では、ちょうど、ラジオの番組で、観光客のインタビューをされていた。陽子にマイクが回ってきて、なにか旅の感想を語っていたようであった。自由行動の時間もあっというまに過ぎ去り、再び別れの時間が迫ってきた。ひとりひとりと、固い握手を交わしながら、今度再開出来るのはいつになることやらと、心中、とても寂しくなりその想いで熱いものが瞼に浮かんでくるのを必死に抑えていた吾朗であった。

逢うは別れの始めとやら、再会は本当に嬉しいが、別れがまたその倍辛いものであることを痛切に感じた吾朗であった。

                               つづく。。。。。。。。。