抜けるような夏の青空のもと、吾朗は伊豆急下田駅に降り立った。
二か月半ほど前にきた、寝姿山の麓にある桃木家の道を、確かこの道だったなぁと想いだしながら。。。。
そうだ、この家だ!おもわず心の中で歓声をあげていた吾朗であった。懐かしい家であった。「ごめんくださ~い」「はぁ~い」。。。。。懐かしい声が聞こえた。その夜はつつましくも、ささやかな歓迎会を開いてくれたのだった。
二階は12畳間であったろうか、否、それ以上の広い畳間である。そこに一人貸切状態で三週間もの長い間、寝起きした吾朗であった。
翌日、小学六年生の息子・一郎君に案内されてバスに乗って、砂が白一色に埋もれている白浜海岸へ。ちょうど、その海岸の近くに桃木家の親戚の家があり、そのお宅で水泳着に着替えさせてもらい、目の前の真っ青な海に走っていった二人であった。まるで、歳の離れた兄弟のように。
海は穏やか、最高の海水浴日和りである。
次第に、海水浴客も増えだし、これぞ夏の海といった光景である。泳いでは休み、休んでは泳いだ二人であった。吾朗がかつて知っている海水浴の海とは、まったく異なっていた伊豆の海である。白い砂、これは吾朗が初めてしった砂浜であった。ほんとうに、夢のようなすばらしい海水浴場である。
赤く日焼けして、桃木家に戻ってきた二人、否、赤く日焼けしていたのは吾朗だけ、一郎君はすでにもうクロンボのようにまっ黒に焼けていた。帰宅して、冷えた西瓜を御馳走になり、夜には以前にお邪魔したときに連れていってもらった、掘立小屋の温泉へ。なんともはや、こんな贅沢な、かつて経験したことのない夏休みを吾朗は過ごしていくのであった。
時々はあの田舎道で、声を掛け、母親にささやいてくれた吾朗にとっては救いの女神・陽子も一緒に、海に出掛けた。なんでも、将来はスチワーデスになるのが夢だと語っていた彼女であった。
学校では一・二番の成績を収める優秀な子であった。その娘が、高校を出てから進学もせずに本当にスチワーデスになるとは、露とも思わなかった吾朗である。まるで三人兄弟のように、楽しい毎日を過ごした、吾朗にとっては最高の思い出になる夏休みであった。
吾朗が滞在した間に、台風が襲来したことがあった。その時は強風で、ご主人は雨戸を閉め、風雨に備えていたのを覚えている吾朗である。それまでは、台風直撃の経験をしたことのなかった吾朗にその様子は、珍しくも映った。すごい雨風の一夜が明け、翌朝は文字通りの台風一過の青空であった。
そんなこんなで、楽しい日々もあっという間に過ぎ去っていった三週間であった。もう、家族の一員にでもなったような吾朗の気持であっただけに、別れがまた格別なものであった。来年もまた、おいで!と、温かい言葉を背になごり惜しくも、伊豆下田を後にした吾朗であった。
つづく。。。。。。。。