長い夏休みが終わろうとしています。
娘のオトは外出しない日が続き
毎日私は、オトに私の不安を悟られないように日々を過ごしていました。
でも、以前よりは確実に
『これでいいんだ』と思えるようになっている自分に気づいてきたんです。
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数日前テレビを見ていると
北海道の旭川市の女子中学生のニュースが流れます。
私はチャンネルを変えるか迷いながらも
平然を装ってお昼ご飯を食べていました。
学校側の責任逃れのコメントと、
10人の加害者にも人権があるという話に
じゃあ1人の被害者が亡くなってもいいのかという怒りが 私とオトの中で膨らんでいっていました。
「先生が助けてくれるわけないよ…。
先生なんて、
いじめられてる子の事を一緒にわらったりするし
いじめられている現場を見たって注意しなくって見てるだけやで。
止めになんて来てくれなかった。」
自分のことを思い出すオト。
小学校の時の先生はみんないい先生だと私は思っていたけれど、
オトにとっては自分を助けず見て見ぬふりをするような大人だったようです。
「(いじめられていたこと)ママには知られたくなかったからその時は言えなかったけれど・・・」
「・・・」の後には
私に気づいて欲しかった想いが溢れているようでした。
「ママ、あのときオトの気持ちに気づいてあげればよかったね。味方になれなかってごめんね。」
いじめは、いじめてくる子だけが加害者ではありません。
自分はいじめられたくないという想いから、いじめる側に意見を合わせる人
真相を知らずに、ありもしない噂にとびつく人
少数派になりたくなくて、多数派の意見に属す何にも考えてない人
仲良くしていた子ですら、次のターゲットになりたくない気持ちを隠せずに、よそよそしくなる…。
大勢vs1人
そんな中でオトは傷つきながら頑張っていたんです。
今なら「人が怖い」というオトの気持ちが痛い程よく分かります。
「オト…
オトが『学校にいかない』選択をしてくれたお陰で、ママは大事なオトを失わずにすんだわ。勇気を出して『不登校』を選んでくれてありがとう。」
そんな話をしました。
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先日、オトは自室のお布団に横たわり
涙を流しながらこういいました。
「ママ、わたし 中学生が終わったら働こうと思ってるねん」と…
ショックでした。
心療内科の先生に話すと
「親としてのこうした方がいいという話はしなくていいです。オトちゃんがそう思ったならそれをさせてみてください。その時にどういう道を選ぶのかまた考えますから。進んでみてダメだったらまた違う道を自分で探したらいいと先生は思います。」
「でも、先生。そうしたらまた落ち込んでひきこもりしたりしたらどうしましょう。」
「そういう時も勿論あるかもしれません。それでも、また自分で考えて動き出せる。そうやって壁を乗り越えていけばいいとおもいますよ。」
1度は不信感でいっぱいになった心療内科の先生ですが、通うことを辞めず、わたしだけでも繋がり続けてよかったと思えました。
『不登校』は落とし穴ではない
『不登校』は壁なんだ。
壁を乗り越えていけばいつか明るい未来が待っている。
乗り越えた先には
自分で考え行動してきた経験が宝になるかもしれません。
オトは『不登校』を選んでしまったことで得られた『安心 安全』と共に、
不登校児の未来に少し不安を感じてきだしているのかもしれません。
昨日も少し話ができました。
「わたし、自分のしたいことを先にみつけるわ。
それから、それに必要な勉強をするときが来るかもしれない。
でも、まずはわたしがしたいことをもう一度考えていきたいねん。」
オトの自分のタイミングで行動したいという想いが伝わりました。
それから
将来への気持ちは日々変わるものなんだと知りました。
ひとつひとつ乗り越えようとする中で思うことは変わり続けるのかもしれません。
『不安』を乗り越えていく試行錯誤を
ほんの少しずつ考えだしているんだな。
そう思って、
オトの成長を感じ
『これでいいんだ』と思えるようになってきたのかもしれません。