オトはほぼ毎日、
お昼の12時から12時半の間にたくさんの話をしてくれます。
今日もテレビを見てひと言つぶやきました。
「信じることは疑うこと・・・」と小さな声がオトから聞こえます。
「え??何か言った?」
「いや…私は『信じる』って、はまず疑ってみて初めて信じることにつながると思うねん」
ちょうどその時は
硫酸を掛けた事件のニュースがお昼のワイドショーで流れていました。
右上のテロップには
『普段は大人しい人』『全校生徒の前でオタ芸』などと書かれており
コメンテーターの人たちの軽いコメントが飛び交っていました。
『恨みに思った犯行』とか『年上なのに呼び捨て』されたからとか、そんな薄っぺらな理由で犯行に及んだと加害者を決めつけ100パーセント悪者にしては「こわいですね〜」なんてみんなで口を揃えて言っていました。
きっとオトはこの事件には
『いじめ』があったのではないかと感じたんでしょう。
そういうことに敏感に反応をしているんだとピンときました。
「きっと、この人(加害者)にとっては許せない言葉や態度を普段とっていたのかもしれないね。許せなかったんじゃないかな。
・・・
いじめってさ、
いじめる理由がないのにいじめてしまったって言ってたりするやん。
あれって本当は理由があると思うねん。
いじめられてる子がさ、大人しくって、おっちょこちょいで失敗ばかりして…
その人のせいで1番になれなかったりするとイライラするとか。
ちゃんとした『いじめる理由』がそこにはあるねん。
そういうところ先生は全然見てなくて。
いじめる理由がないのにいじめてしまうなんてあれは嘘。
そしてさ、だいたいみんなは1番になりたがるやん。
1番になるためには、自分に不利益な人を排除していくねん。」
聞いていて複雑でした。
自分自身のことを『いじめられる側』として話をしているのかよくわからない切り口でした。
「そうやなー。学校ってさ、同じ年齢っていうだけで集められて『はい、今日からみんな友達やから仲良くしましょ』ってなるやんか。
そういうの、無理な人もたくさんいてるよね。
これからの社会は、その集められた学校以外の場所も選択肢にある世の中になってほしいね。」
集団社会で輝ける子もいれば、集団になると不利になり萎縮してしまう子もいてるんだ。
色んな子がいていいんだ。
そんな思いで返事をしました。
「本当にいいのは、1人1人に合わせる教育だと思う。」とオトが言いました。
オトに合わせて寄り添ってくれた先生は
居なかったんだろうな…
ふと、そう思いました。
「信じることは疑うことか・・・
そうだね!なるほど!
そうかもしれない。
私は、オトが学校行けなくなった時、疑ってたかも。
疑って疑って、ちゃんと向き合ったからオトのことが分かったし、今は信じてるもん。」
精一杯オトへの私の気持ちを伝えます。
「疑ってたんや。」とオト。
「うん。薬飲んだら治るはずなのになーって(笑)」
「薬飲んだって…治らへんよ。
多分ずっと治らない。」
ずーんと重いものを感じました。
「でも…ママは信じてる。
好きなことはできるようになってきたやん。これからも、好きなことがあって、その為には外にでたり学んだりできるって、今までのオトを見てて信じてるねん。
今は無理でも、これからをね。」
精一杯応援した。
今まで疑って疑って悩んだから、今は信じて待つんだ。