昔の私は、夢中で絵を描いていました。
私の学習机の棚には
沢山の色鉛筆
小学校で使った水彩絵の具
中学校で使ったポスターカラー絵の具
高校で使ったアクリルガッシュ絵の具
学校を卒業しても
絵の具はとことん使いました。
無くなっては買い足しながら使っていました。
すごい絵は描けませんでしたが、
あの時は
『こんな感じに描きたい』という気持ちが
自分の画力をぐいぐい引き伸ばしてくれていたような気がします。
夢中に描く私を見て、
父はいつも同じセリフを言ってきました。
「おぉ〜ネイロからα波がでとるなぁ。
えぇこっちゃ。
好きなことをしていると体からα波がでるんやって〜。」
そんなきまり文句をいつも言ってくれていました。
その言葉がいつの間にかしっかり胸に刻み込まれていることが不思議です。
オトが今日また沢山私に話しかけてくれました。
「ねぇ、ママ。ちょっとコレ見て。」
そう言いながら私の隣に座って
自分のスマートフォンをオトと私の間にかざします。
YouTubeで歌の動画を一緒に見ました。
「最近コレにハマってるねん。」
そうオトが言ってくるので、色々歌について質問したり教えてもらったりしていました。
「同じ歌でも歌う人によって表現が全くちがうね〜」って私が言うと
色んな人の『歌ってみた』を聞かせてくれました。
「この歌詞は、どうしょうもなく辛くて苦しくて、悲しい感情やと思うねん。
そんな絶望の中で、誰かが手を差し伸べてきた。
だんだん辺りが明るくなってきて、自分は実は暗い中に居てなかったんだってきづくねん。
世界が広がる感じ。
映像をつけるとしたら
今まさに日が昇る瞬間の様なそんな感じだと思う。」
私はまるでオトのようだと感じました。
誰も信じられない暗い中に居てると思い込んでいる。それがこの歌の歌詞とリンクしていると思ったんです。
「(暗闇から手をさしのばしてくれたのは)誰の手だろうね」
と聞いてみました。
「うーん。
未来の自分かな…。
もしかしたら友達かもしれないし、
過去の自分かもしれない。」
「そっか、イメージが膨らむね」
「うん、こうやって歌を聞いてイメージを映像化してるねん。
ほら、同じ歌でも歌う人によって浮かぶイメージがちがうよ。
この人のやつ聴いてみて
…ほら、
この人のやつは、風が通り抜けるような歌い方をしてるやろ。
こうなってくるとまた歌詞の解釈がかわってくる。」
「オトはやっぱり感受性が強いんだね。
いい事だよ。
今、感じることを大切にしてね。
色んなことを想像して幸せな気持ちになれそうだよ。」
「幸せかどうかはその歌詞によるわ。
でも、今湧き上がるイメージを絵にしてみたいという気持ちになる。」
そうオトが言いました。
きっと以前の私なら
「じゃあ、背景とか苦手な部分も描けるようにしなあかんな。」とか
「とにかく毎日絵を描きまくらなあかんわ」とか
『なんとかしよう』
『なんとか子どもの夢を叶えてあげるアドバイスしよう』
などと思って発言してたはずです。
だけど、
そんな風に『なんとかした』事の効力は長続きしないし、
干渉すれば、いずれは自信喪失につながるんだと学びました。
今は
この小さな小さなオトから生まれた『やってみたい』を大切にしたいと思います
きっとオトからはα波がでていたはず
『やってみたい』を沢山感じていれば
いつかは
『やってみる』力になるんだ
「ママ、ママは可愛いものが好きでしょ?ママが昔描いた絵を見たけど、きっとああいう絵が好きなんだよ。ママは。
それを突き詰めれば、ママはまた絵を描く様になれるんじゃないかな?」
オトの方が1枚うわてです。
さりげなく私に絵を描くきっかけを与えてくれようとしてくれます。
ママはオトのことで
頭いっぱいなんですけどね