介護疲れの母

2021-07-15 12:00:03 | 日記
ふと、昔
私が高校生の頃

父が昔録音したカセットテープを見つけた時の事を思い出しました。

沢山のカセットテープの中には
私たちの為に沢山録音してくれたアニメの歌や、

時々録音中に喋ってしまった兄や私の声。

父の私たちを喜ばせる為に言った声。

兄の歌

私の声

そんな宝物のようなテープを見つけ
勉強しながらこっそり聞いては
フフって笑ってあたたかい気持ちになったことがありました。


また、父が若い頃好きだった歌のコレクションも見つけ

歌謡曲の魅力にこっそり浸ったこともあります。


その歌の中で特に気に入っていたのが

かぐや姫 の 『22歳の別れ』です。


当時私は高校生だったので、歌詞の意味があまり分からず

曲調やなんとなくわかる歌詞の部分だけを心地よく聞いていました。


🎼あなたに さよならって言えるのは

今日だけ…

明日になって また あなたの暖かい手に

触れたらきっと 言えなくなってしまう

そんな

気がして…




こんな歌い出しに、大人になったような気分と恋愛への憧れを抱いていたのかもしれません。



今、何故ふと思ったのか…



母は父と別れていた方が幸せだったかもしれないと
思うことが多いからだと思います。


病院から退院して今日で4日目。

また今朝も意識を失い倒れたらしいです。


朝、実家にいくと

父は布団の上でぐったりと寝転び


母も別室でぐったりと寝転んでいました。


あの太陽のように元気で明るい母が…。


父は私の顔を見て
「もう、この体はあかんわ」と力なげに言いました。


母は何だか怒っている感じがしたので
きっと父から暴言を吐かれたんだと感づきました。

父も自分の体が辛くて嫌で、
その気持ちが母に向いたんだろうと想像します。


私たち兄弟の為に、
若い頃母は父と別れなかった


大人になってからは
母に
「お父さんと別れてもいいんだよ」と
何回か声をかけたことがあります。


「いや、私が選んだ道やから、仕方ないから最後まで面倒みるわ」

なんて言っていました。

最近知った事ですが、
母は
お父さんが母と別れたら
お父さんは弱い人間だから自殺したり
自暴自棄になって何するかわからないと
だから別れずに居てると
知りました。



見捨てることの出来ない
なんとなく可哀想なところがある父なんだと母は考えているようです。

私も…そう思います。


今回の入院中
母と沢山散歩をしました。


父と出会った街を通ると母が言いました。

「ここの喫茶店でよくお父さんがコーヒー飲んでたわ」


「ここのビルの下でお父さんがラーメン食べてたわ」

なんて。



そりゃ、恋愛結婚でしたから

若い頃はいい所もあったんでしょう。


少しホッとした気持ちになりました。


人生をそいとげるというのは
好きだった気持ち
見捨てることができない気持ち
ここまできたら最後までと

色んな気持ちで乗り越えていくのかもしれません。


父の今の状況も、ただあるがままに
私たちが慣れていき
その生活の中で
いい時 悪い時を受け入れながら
流れに身を任せていくのかもしれません。

母の力に
私はなりたいです。








『倦怠感』と『生きたい』の狭間で…

2021-07-13 11:38:33 | 
「ネイロ…ベッド持って帰り〜」

畳の上に布団をひいてクーラーもかけずに横たわる父が、
私を見上げて言いました。


「あれ、私がお父さんに買ってあげたんやで。
今はしんどいけれど段々元気になってくるんやから、またふらつきがなくなったら使ってよ。」

首を横にゆっくりふる父。




昨日は夜中に2回も倒れたそうです。

貧血だと思いますが、

本人もヤバいと思っていたみたいで、
寝る時はやっぱり畳の上で寝る。

ふらついて
ベッドにつまづいてはいけないからと
私が買ってあげたベッドは
(という設定にしています💦私が買うものは文句いわないので)、
違う部屋へ移動させていました。

そして案の定
2回も倒れて
倒れた記憶も朧気だったようで

今朝母はため息まじりに私に報告をしてくれました。


日に日によくなるよと励ました私の言葉に父は


「いや…(このまま元気になる感じはない)」

そう言って
入れ歯も外してクシャクシャになった口元は続きを話す訳でもなく
つぐんでしまいました。


「大丈夫。元気になるよ。
元気になってもらわないとね。


そう言って、昼から仕事があるので
早々に実家から今帰ってきました。


貧血の時、
体調不良の時の
あの何かにひっぱられてまっすぐたっていられない感じ。

ご飯が食べれない感じ。

私が倒れて最悪だった時の状態を思い出します。

きっとものすごく辛い。



でも、あの時私は
『生きたかった』


しんどいと生きたいの狭間で

涙を何度も流していた。

どうか神様、日に日に元気になっていく実感を父に与えてください。


きっと良くなる。







日曜日なのに外出しました

2021-07-11 21:55:45 | 日記
先週1週間の低気圧を吹き飛ばしたような、気持ちのいい朝。
今日は娘のオトと
元々外出の約束をしていました。

以前からオトはiPadが欲しくて
ずっとどうやって手に入れようか考えていたんです。

先週のカウンセリングからの帰り道、
オトはニヤッと気まずそうに笑いながら私にいいました。
「やっぱり私iPadがほしいねん〜」
その気まずそうな笑顔に、
私も思わず笑ってしまいました。

「ママもなぁ〜前々からほしいって言われているから気にはなっててん。
そりゃ、そんなにオトが欲しいって言っているものを『ダメ』なんて拒否できないわ(笑)。
でもなぁ、実際問題資金はどう捻出しようか・・・。それが問題なんよ。」


「考えてたんやけど、私、今年はお年玉もお誕生日もいらん!だから、そのお金で買ってほしい!お願い!!」





そういう訳で、
夫とも相談した上でiPad購入するという運びになった訳です


今日は日曜日、人通りも多い中
電車に乗って難波まで行ってきました。

『不要不急の外出は控えてください』なんていうアナウンスが駅構内に流れます。



いや、オトにとっては
『早急に必要な外出』なんです。
ゆるしてください

そう心の中で言いました。


ざわめく人々の会話や
駅に響き渡るアナウンスやベルの音
電車の往来の雑音に耐え
人がうじゃうじゃといる
繁華街へ向かう事が
オトにとってどんなに大変か・・・


「私、欲しいものの為なら、日曜日の昼間でも頑張って外出するわ!」


そう出かける前に私に言ってくれてたな。



その宣言通り、
オトは晴れてiPadをゲットしたのでした


14715歩


沢山歩きました。


いつも寝転がっているのに。

動けるようになってきたんだ。



好きなことで動けている

この動けるを積み重ねていけたら

前向きになれる


そう信じています


父からの電話

2021-07-09 22:42:33 | 
今日の夜8時頃 母からLINEがきました。


『おじいさん(入院中の父)から電話あったよ。変わりはないかって』


LINEを読んで直ぐに母に電話をしました。

「お父さん電話してきたんだね」

「うん。なんかなかなか治らないみたいでまだ退院できないみたいって言ってた(笑)
月曜日退院やでって言っておいたわ。
声も普通やったよ。


やっぱりあれはせん妄状態だったんだな…と今になって確信できました。

手術の翌日の夜
父がひどく暴れたので
病院から呼び出されたんです。

暴れている父はいつもの父ではなかったように思えた反面
私や母という認識はしっかりしていてやっぱりいつもの父かもしれないと不安になる位でした。

父は怒りと恨みを私たちにもぶつけてきました。

ただただ・・・
父を取り押さえて
ごめんねって・・・

罪悪感と恐怖で泣いてしまった日でした。

あの場に、母だけでなく私がついて行って本当に良かったです。

母だけにあんな辛い思いをさせなくて本当によかった。


2人だから乗り越えた1日でした。


私たちを強く恨んだ父は
その後1週間ほど連絡がなかったのですが

今週あたりからちらほらメールが母にとどくようになったそうです。

あの父が電話できるくらいに
日に日に回復していることに少し安心しました。




もう
今後、父に手術はさせないと思います。


できるだけ人間らしい生活をしてほしいと思っています。


自分の足で歩いたり
自分のことを自分でしたり
好きなご飯をできるだけ食べたり




そういう事がどれだけ大事なのか




手術をする度に命は長いかもしれません。

けれども、自分で生きるための大事な事を手術で入院で奪いたくないなと
思いました。




前回も今回も
手術後、
父はせん妄の為
拘束帯をつけられていました。


命を守るため
安全のため
仕方のないことだったのかもしれません。


退院後も、
『肝硬変』は変わらずの事実です。

どう父と母を支えていけばいいのか
正直わかりません。

でも、大切なのは
笑顔
家族の会話
何とかしようとして強要しないこと


そして私が元気であること。

ブログで知り合った方が教えてくれた言葉がふと思い浮かびます。


相田みつをさんの
『雨の日には雨の中を

風の日には風の中を』







ほんのひと時だけれど…

2021-07-09 00:12:03 | 日記
毎日雨の日で

低気圧に元気を吸い取られ

振り向いたり立ち上がったりする度にフラフラする毎日です。

『気のせい』
と思ったり

『低気圧のせい』
と思ったり

『大丈夫だよ』
なんて自分に言い聞かせたりして
何とか普通に過ごせています。



7月早々にワクチン接種をする意気込みでしたが、ワクチンが入ってこないとのことで受けていません。


今思えば、
神様が
「今時期は ネイロさんはめまいがしやすい時期だから止めときなさい」
と言ってくれてるのかもしれません。


低気圧不調は

娘のオトも…そうみたいです


今日久々にピアノを休みました。


振替の話をLINEでどう伝えたらいいかわからないと言われたので

「オトの好きなようにしたらいいよ」

と言うと

「そうじゃないねん。なんて伝えたらいいかわからないねん。」
と言われました。


『好きなようにしたらいい』は
具体的じゃないので
『わからない』し『苦手』みたいです。


あと、突き放されたようにも感じたかもしれません。

学校の予定表を持ってきて
「月曜日はいつもの1時から大丈夫みたいだね。
火曜からは懇談が続くからみんなに鉢会わないように午前中11時のレッスンにしてもらったら行けそうやで。」


「・・・」

「んーと、月曜日13時からか
火曜日~金曜日は中学昼までなので、出来れば午前中11時がいいです。
先生のご都合はどうですか?って打っといたら?」


黙ってLINEを送っていました。

果たしてどんなLINEにしたかはわかりませんが。

多分、私の言った内容とは違う文章にしてるんではないかと思います





ピアノを休んだオトは
昨日私がオトに買ってあげたTシャツの上に寝転んでいました💧

(着替えやすいようにポイッとオトの隣にさりげなく置いておいたのですが
さり気なさすぎてくしゃくしゃになってしまっていました。)

「あーママがオトに買った服クシャクシャ‼️」

すこし大きな声で言った後、
オトが罪悪感を感じたかもと思いました。

「ねぇ、オト」


「ん?」

「ママの今日の服ヤバくない?


自分に服を買わなすぎて、雨で服が乾いていないこともありとりあえずすごい組み合わせで服を着ていたんです


「ほんまやーーー


「やっぱりーーー?

そうして2人で私のヤバいファッションで笑いあいました


低気圧の不調の中でも

笑いあえたほんのひと時が幸せでした。


服がクシャクシャになったことにとらわれるより

色んなことを笑いに変えて笑顔で過ごしていきたいな