新選組の日
1862(文久2)年、庄内藩の郷士・清河八郎の提案で、事件が頻発している京都の警護に当る為に幕府が江戸で集められ浪士組が「新選組」の前身となった。浪士組は清河八郎と共に翌1863年の2月8日に江戸を出発2月23日に京都に到着した。
しかし京都に着いた途端、清河が壬生浪士組の目的は尊皇攘夷だと言い出したため、浪士組は空中分解した。まもなく幕府の帰還命令を受けて清河ら209名は江戸に戻ったが、近藤勇・芹沢鴨・土方歳三ら24名はそのまま京都に残留し、「壬生浪士組」となり、京都守護職であった会津藩主の松平容保の配下に入って、8月に「新選組」と改称した。その後、約4年間にわたり、京都で尊皇攘夷派・倒幕派の弾圧を行った。
新撰組の日は、壬生浪士組を会津藩預りとするとする建白書の提出された、2月27日(1863)の他に、会津藩預りが正式決定した3月13日などがある。