新聞を読んで

いろんな、新聞を読んで感じたことを書いて見たいと思います。

今日のコラム

2013-09-01 06:06:56 | 日記

9月1日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

苦難もまたよし

 わが国では、毎年、台風や集中豪雨で 大きな水害を受けるところが少なくない。しかし、これまでの例からみると、大雨が降って川があふれ、町が流れてもうダメかといえば、必ずしもそうではな い。数年もたてば被害を受けなかった町よりも、かえってきれいになり、繁栄していることがしばしばある。

 もちろん、災難や苦難はないに 越したことはないが、思わぬときに思わぬことが起こってくる。だから苦難がくればそれもよし、順調ならばさらによし、という心づもりを常に持ち、安易に流 れず凡に堕さず、人一倍の知恵をしぼり、人一倍の働きを積み重ねてゆくことが大切だと思う。



筆洗

2013年8月31日筆洗(東京新聞TOKYOWeb)
 
▼夏休みは、もう終わり。なのに宿題がまだ終わっておらず、机に向かいながら、大きな「?」が頭に浮かんでいる子もいるだろう。「子どもはなぜ勉強しなくちゃいけないの?」

▼この疑問をそのまま書名にした本(日経BP社刊)で、生物学者の福岡伸一さんは、「そもそも人間とは」という原点から、この問いに挑んでいる

▼人類誕生をめぐるこんな説があるらしい。ある時、サルの中に成熟が遅い、言い換えれば、子ども時代がとりわけ長いサルが突然変異で現れた。普通に考えれば、不利な存在のはずなのに、なぜかそのサルが繁栄するようになった

▼食料調達や縄張りなど「大人の問題」に悩まされず、好奇心に従っていろいろ探ったり、遊びで新しい技を身に付けたりする時間がたっぷりあったために、脳の発達が促されたというのだ

▼長い子ども時代は人間だけに与えられた特権であり、その中で「世界の成り立ち」や「自分の存在意義」などという「大きな問い」を発明した-と、福岡さんは指摘している。そして、そんな人類がたどってきた進化の道を自分で踏みしめてみることこそ、勉強なのだと

▼いやはや、「子どもはなぜ勉強しなくてはならないのか?」というのは、とてつもなくスケールが大きい難問だ。しかし夏休みが終わっても、大人になっても考え続ける価値のある素晴らしい疑問でもある。




2013年9月1日天声人語(OCN*朝日新聞デジタル)

天声人語

▼床がビリビリ震えるくらいの大音響である。阪神大震災による破壊の凄(すさ)まじさを特撮映像で再現している。家々が崩れ、高速道路が倒れ、病院が潰れる。大地の暴走を7分間、見せつけられる

▼神戸市にある「人と防災未来センター」は、こうした追体験のコーナーが来館者を迎える。恐怖や驚きで気分が悪くなる人もいる。その場合は遠慮なく部屋の外に出るよう、係員が事前に注意する。心の準備をしていても、感じる衝撃は並でない

▼経験を語り継ぎ、記憶を風化させない。02年に兵庫県が開いたセンターの使命だ。阪神以後は忘れる暇(いとま)もないほど天災が続く。特に東日本大震災後は、伝承はもとより、将来に向けた防災、減災のための研究の比重が高まっているという

▼いざという時、いかに生き延びるか。センターは去年、水や非常食といった防災グッズのリストを新しくした。発生時に家から持ち出す分に加え、普段からいつも持ち歩くといい品々を例示している。携帯ラジオ、懐中電灯、マスク……。いつどこで被災するかわからないからである

▼90年前の関東大震災では、持って出た家財道具が足手まといになって焼け死んだ人が多かったという。当時のジャーナリスト、宮武外骨(みやたけがいこつ)が著した『震災画報』(ちくま学芸文庫)は、ものへの執着心が悲劇を増やしたと報告している

▼当座いらないものは捨てよ、逃げよ。この教訓を裏返すなら、必須の品を厳選して備えよ、となろう。センター作成のリストを見直してみる。