☆ 9月6日は黒の日
お早うございます。今日もお立ち寄りありがとうございます。☆
9月6日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)
自然を生かす
自然はそれ自体のために存在しているという見方がある。しかし、もっと大きな観点に立って考えてみると、自然は人間の共同生活に役立つために存在しているのだと考えることもできるのではなかろうか。そう考えてみれば、自然を人間の共同生活の上に正しく活用していくことは、人間にとって当然なすべきことだとも言える。
むろん、単に意欲をたくましくして自然を破壊することはあってはならない。自然を十破壊して、そこから八の価値しか生み出さないというのではいけないが、十二の価値を生むならば、むしろ積極的に自然を活用していったらいいと思うのである。
【コラム】筆洗
2014年9月5日 東京新聞TOKYOWeb
▼テニスの全米選手権で、一九二二年に八強入りを果たした清水善造選手のフォームは、珍妙だったという
▼へっぴり腰のような低い姿勢で、ぎこちなく見えるから、「草刈りテニス」と呼ばれた。実際、群馬の貧しい農家に生まれた清水選手は、進学の学費を稼ぐために毎日、足腰が立たなくなるほど草刈りをした
▼農作業で鍛えた足腰で球を拾いまくり粘りに粘って、自分のペースに引きずり込む。対戦相手は「あいつとやると、まさか、と思う間にやられている」とこぼしたそうだ(上前淳一郎著『やわらかなボール』)
▼錦織圭(にしこりけい)選手も、驚異の粘りで全米オープンを勝ち進んでいる。二試合続けて四時間超の激闘。対戦相手には「まるでコートで死んでしまいそうに見えた」らしいが、生き残ったのは錦織選手。熊谷一弥選手が一九一八年に達成した全米四強入りを果たした
▼日本のテニス界の黄金期を築いた清水選手と熊谷選手は、対照的なプレーヤーだったという。清水選手は、ポイントを取っても取られても、いつもほほ笑んでいるように見えるから、「スマイリー・シミー」と呼ばれ愛された。熊谷選手は闘志を前面にコートをえぐるような球をさく裂させ、猛牛とも評された
▼粘り強さと闘志を併せ持つ錦織選手は、先人も登り切れなかった頂の上に立ち、あのはにかむような柔らかい笑顔を見せてくれるだろうか。
【社説】東京新聞TOKYOWeb
池上コラム問題 言論を大切にしたい
2014年9月5日
ジャーナリストの池上彰さんが朝日新聞に連載中のコラムがいったん掲載を拒まれた。朝日の記事を批判的に論じた原稿だった。寛容の精神を貫き、批判をも包み込む言論空間を大切にしたい。
コラムは月一回朝刊に載る「新聞ななめ読み」である。テーマを絞り、朝日をはじめ主に大手紙の記事を読み比べ、池上さんならではの視点で論評する。
予定より六日遅れで、きのうの朝刊に載ったコラムは、朝日が八月五、六両日付朝刊で展開した自社の過去の慰安婦報道を検証した特集を取り上げた。
特集では、現韓国の済州島で戦時中、多くの朝鮮人女性を慰安婦として強制連行したとした吉田清治氏の証言を虚偽と判断し、一連の記事を取り消した。
「遅ればせながら過去の報道ぶりについて自己検証したことをまず、評価したい」とした現代史家の論評に、池上さんも賛同する。
その上で、一九八二年九月二日に報じてから三十二年もたって訂正したのは「遅きに失したのではないか」と書く。二十二年前には疑問が出され、信憑(しんぴょう)性が揺らいだはずだった。その点の検証を欠いているとも指摘した。
九三年からは慰安婦と女子挺身(ていしん)隊とを混同しないよう努力してきたとも、特集では説明した。その点についても「その時点で、どうして訂正を出さなかったのか」などとし、検証の欠落を挙げた。
殊に問題視したのは、過ちを認めて訂正したのに謝罪がないことだ。「お詫(わ)びがなければ、試みは台無しです」という。特集を読んだ多くの人たちが共通に抱く率直な気持ちだろう。当たり前とも思えるコラムの掲載を拒んだのは全く理解に苦しむ。
表現や言論の自由を守るべく最前線に立つ同じ報道機関として、一時的にしろ掲載を見合わせたのは残念だ。読者の不信を増幅させないよう善後策を期待したい。
最近の身の回りで強まる表現活動や言論空間を制限する動きは見過ごせない。
さいたま市大宮区の三橋公民館は、市民が「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」と詠んだ俳句を月報に載せなかった。
東京都国分寺市では十一月に開かれる国分寺まつりに、市民団体の「国分寺9条の会」や「バイバイ原発/国分寺の会」の参加が認められなかった。
多様な考えが民主主義を強くする。異論や反論を排除せず、熟慮する場がつくられるべきだ。
☆ 昨日のカープ
カープVメール
5日横浜、カープ8―0DeNA、勝ち投手ヒース2勝 詳しくは中国新聞朝刊で
今日も天気は不安定のようです。今日も皆様にとって良い一日で有りますように ☆
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自然を生かす
自然はそれ自体のために存在しているという見方がある。しかし、もっと大きな観点に立って考えてみると、自然は人間の共同生活に役立つために存在しているのだと考えることもできるのではなかろうか。そう考えてみれば、自然を人間の共同生活の上に正しく活用していくことは、人間にとって当然なすべきことだとも言える。
むろん、単に意欲をたくましくして自然を破壊することはあってはならない。自然を十破壊して、そこから八の価値しか生み出さないというのではいけないが、十二の価値を生むならば、むしろ積極的に自然を活用していったらいいと思うのである。
【コラム】筆洗
2014年9月5日 東京新聞TOKYOWeb
▼テニスの全米選手権で、一九二二年に八強入りを果たした清水善造選手のフォームは、珍妙だったという
▼へっぴり腰のような低い姿勢で、ぎこちなく見えるから、「草刈りテニス」と呼ばれた。実際、群馬の貧しい農家に生まれた清水選手は、進学の学費を稼ぐために毎日、足腰が立たなくなるほど草刈りをした
▼農作業で鍛えた足腰で球を拾いまくり粘りに粘って、自分のペースに引きずり込む。対戦相手は「あいつとやると、まさか、と思う間にやられている」とこぼしたそうだ(上前淳一郎著『やわらかなボール』)
▼錦織圭(にしこりけい)選手も、驚異の粘りで全米オープンを勝ち進んでいる。二試合続けて四時間超の激闘。対戦相手には「まるでコートで死んでしまいそうに見えた」らしいが、生き残ったのは錦織選手。熊谷一弥選手が一九一八年に達成した全米四強入りを果たした
▼日本のテニス界の黄金期を築いた清水選手と熊谷選手は、対照的なプレーヤーだったという。清水選手は、ポイントを取っても取られても、いつもほほ笑んでいるように見えるから、「スマイリー・シミー」と呼ばれ愛された。熊谷選手は闘志を前面にコートをえぐるような球をさく裂させ、猛牛とも評された
▼粘り強さと闘志を併せ持つ錦織選手は、先人も登り切れなかった頂の上に立ち、あのはにかむような柔らかい笑顔を見せてくれるだろうか。
【社説】東京新聞TOKYOWeb
池上コラム問題 言論を大切にしたい
2014年9月5日
ジャーナリストの池上彰さんが朝日新聞に連載中のコラムがいったん掲載を拒まれた。朝日の記事を批判的に論じた原稿だった。寛容の精神を貫き、批判をも包み込む言論空間を大切にしたい。
コラムは月一回朝刊に載る「新聞ななめ読み」である。テーマを絞り、朝日をはじめ主に大手紙の記事を読み比べ、池上さんならではの視点で論評する。
予定より六日遅れで、きのうの朝刊に載ったコラムは、朝日が八月五、六両日付朝刊で展開した自社の過去の慰安婦報道を検証した特集を取り上げた。
特集では、現韓国の済州島で戦時中、多くの朝鮮人女性を慰安婦として強制連行したとした吉田清治氏の証言を虚偽と判断し、一連の記事を取り消した。
「遅ればせながら過去の報道ぶりについて自己検証したことをまず、評価したい」とした現代史家の論評に、池上さんも賛同する。
その上で、一九八二年九月二日に報じてから三十二年もたって訂正したのは「遅きに失したのではないか」と書く。二十二年前には疑問が出され、信憑(しんぴょう)性が揺らいだはずだった。その点の検証を欠いているとも指摘した。
九三年からは慰安婦と女子挺身(ていしん)隊とを混同しないよう努力してきたとも、特集では説明した。その点についても「その時点で、どうして訂正を出さなかったのか」などとし、検証の欠落を挙げた。
殊に問題視したのは、過ちを認めて訂正したのに謝罪がないことだ。「お詫(わ)びがなければ、試みは台無しです」という。特集を読んだ多くの人たちが共通に抱く率直な気持ちだろう。当たり前とも思えるコラムの掲載を拒んだのは全く理解に苦しむ。
表現や言論の自由を守るべく最前線に立つ同じ報道機関として、一時的にしろ掲載を見合わせたのは残念だ。読者の不信を増幅させないよう善後策を期待したい。
最近の身の回りで強まる表現活動や言論空間を制限する動きは見過ごせない。
さいたま市大宮区の三橋公民館は、市民が「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」と詠んだ俳句を月報に載せなかった。
東京都国分寺市では十一月に開かれる国分寺まつりに、市民団体の「国分寺9条の会」や「バイバイ原発/国分寺の会」の参加が認められなかった。
多様な考えが民主主義を強くする。異論や反論を排除せず、熟慮する場がつくられるべきだ。
☆ 昨日のカープ
カープVメール
5日横浜、カープ8―0DeNA、勝ち投手ヒース2勝 詳しくは中国新聞朝刊で
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